(前回から読む) 武田 少し話が変わるけれど、山岸俊男さんの『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』という本があるのですが、山岸さんの主張は日本人が信頼と思っていたのは、実は顔の見える共同体内での安心の構造だということでしょう。安心できる範囲の外側の人に対しては実はアメリカ人なんかよりはるかに不親切だし、信頼しないわけです。 ところが、そんな日本でも今グローバリゼーションや、終身雇用制みたいなものの崩壊に伴い、個人が個人相手に何かをしないといけない状態になっている。つまり条件的にはよくも悪くもアメリカっぽくなっているにもかかわらず、日本では従来通りの安心におもねって個人レベルでの信頼構築というのが文化的にできてない。それも法令遵守の問題と絡んでいますね。 郷原 確かに今や信頼に基づく安心で成り立っていた関係をどんどん崩そうとしているわけです。代わりに何が表面に出てきているかといったら、たとえば
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