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ブックマーク / dr-seton.hatenablog.com (4)

  • ゼロリスクなど求めていません - シートン俗物記

    佐々木俊尚のバカさがスゴイ! 「原発は絶対安全なのか?」とゼロリスクを求めた結果、架空の安全神話を原発に生みだしてしまった構造と似てるなあと思いますよ。非論理的な極論は、議論を成立させない。結果として強行突破や架空のゼロリスク論を生み出してしまう。 えー、どこに“「原発は絶対安全なのか?」とゼロリスクを求めた”人がいたんでしょうね。バカじゃないの? もともと、“絶対安全な原発”“ゼロリスクな原発”など求めた人、などはいなかった。いたのは“原発にゼロリスクはあり得ないから、やめろ!”という反原発派である*1。 あったのは、「リスクは無くせないでしょ?(だから原発ヤメロ)」という論法であって、それに対して何が何でも原子力を推進したい側が原発安全論を打ち出してきたのだ。 だから、“原発は絶対安全”と主張してきたのは、原発推進派であり、最初から議論を成立させる気など無かった。 (原発というリスクに

    ゼロリスクなど求めていません - シートン俗物記
    ustar
    ustar 2014/07/04
    本来は使う場合のリスクと使わない場合のリスクを比べたいところなんですが
  • 物理屋が語る『電気屋が語る「電気は足りてません」の呟き』は足りてません - シートン俗物記

    いや、久しぶりに凄いバカな文を読んでしまったので、存分にディスらせてもらうぜ! 電気屋が語る「電気は足りていません」の呟き http://togetter.com/li/466577 1俺は元電気工事屋だったから多少送電システムとかの知識がある。 その上でだ「電気が今足りてるから原発いらね」な人に言いたい。 俺も原発は無い方が良いとは思っているが、全体の30%程度の電力源 である原発を即止めるのは無理。 もう、初っ端からダメダメ。原子力はそもそも30%程度の電力源、などではなかった。「オール電化住宅」促進やら低迷する稼働率を上げるなどして、無理矢理押し上げて「3割をまかなう」と主張していただけ。 現在、原発を稼働させなくても賄える程の供給能力があるのは、原発の巨大な発電量が失われる事態*1に備えて設備があったからである。もともと原子力自体が電力運用を非効率にしている根なのである。原発一基

    物理屋が語る『電気屋が語る「電気は足りてません」の呟き』は足りてません - シートン俗物記
    ustar
    ustar 2013/03/14
    物理的な気持ちで思うんですが「電力の質、なんてバッファーとインバーターを設置すれば問われないのだ」その調整の反作用で上流側にものすごいノイズ出てないですか?
  • 脱原子力はチャンスだよ その2(2/5) - シートン俗物記

    このエントリーは、 脱原子力はチャンスだよ その1 http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20110904/1315116898 の続きです。 続いては、ちょっと違う論点の話をしましょう。 以前、私は「原子力はやめよう」というエントリーを上げました。 原子力はやめよう http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20110409/1302327534 このエントリーに対しても消極的原発賛成派からのクレームが付きましたが、“現実的”に考えたら、むしろ原子炉再稼働の方がハードルが高いように思いますね。それとも、この期に及んでもゴリ押ししますか。 とりあえず、考えていくなら一足飛びの自然エネルギーへのエネルギー転換、などではなく、原子力分の電力供給を何とかしよう、ということになるでしょう。もちろん、それは従来の「原子力の電力需要に占める割合は3割」とかい

    ustar
    ustar 2011/09/06
    脱原子力発電は良いとしてどうして意見の違う人を叩かないといけないのかと思います
  • いのちの奪い方 - シートン俗物記

    ずっと昔のことだ。子供相手のボランティアをやっていた時のこと。ある時、キャンプを行って、その夕時にニワトリをシメて料理することになっていた。ニワトリは近くの養鶏場から譲り受けた廃鶏といわれる老鶏。「子供たちにたべる事の大事さを伝える」授業の一環として行ったものだ。 参加した子供たちの親たちは口々に 「命の大切さを教えるために必要なことだ」 「べ物がどうやって手に入れられているのが教えてやって欲しい」 「べるためには、他の生き物の命を奪わなければならない事を伝えて」 と、立派な事を言ってくれたのだった。 ところが、いざ鶏をシメるとなった時、親たちは 「自分は血が苦手なので」 「こうしたことはやったことがないんで、慣れた方に」 「いや、ちょっと出来ないです」 と仰り、 「どうか、先生(私の事)がやって、見せてやってください」 と云い、誰一人として自分でやろう、という親は現れなかった。 み

    いのちの奪い方 - シートン俗物記
    ustar
    ustar 2008/05/29
    料理のプロがいなかったのが問題ですね工夫したらもっと旨く食えたでしょうに
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