最初、坂本は「板垣退助伯の話を聞いて、キリスト教を広めることは外交政策上もっとも都合が良いと思うようになったが、それでも自分自身がキリスト教を信じる気持ちはどうしも起きなかった」と述べている[2]。 しかし、フルベッキ宣教師やG・W・ナックス宣教師との交流によりキリスト教を学ぶようになる。 1888年(明治21年)坂本らが出席していた高知教会での礼拝風景 明治18年(1885年)5月18日に高知基督教会(日本基督教団高知教会)設立に伴い、武市安哉や片岡健吉、西森拙三らと共に高知教会で洗礼を受け、キリスト教に入信する[注釈 1]。 その後立志社の高知県での活動は、政府を攻撃する政談演説会から、キリスト教演説会に切り替えられる。 明治20年(1887年)、「南海男」から「直寛」に改名した。この年、34歳で高知県会議員に当選する。高知県内で精力的に伝道を始め、政治家としては官僚主義を痛烈に批判す