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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (37)

  • 宮沢賢治 オツベルと象

    オツベルときたら大したもんだ。稲扱(いねこき)器械の六台も据(す)えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。 十六人の百姓(ひゃくしょう)どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏(ふ)んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしから扱(こ)いて行く。藁(わら)はどんどんうしろの方へ投げられて、また新らしい山になる。そこらは、籾(もみ)や藁から発(た)ったこまかな塵(ちり)で、変にぼうっと黄いろになり、まるで沙漠(さばく)のけむりのようだ。 そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな琥珀(こはく)のパイプをくわえ、吹殻(ふきがら)を藁に落さないよう、眼(め)を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往(い)ったり来たりする。 小屋はずいぶん頑丈(がんじょう)で、学校ぐらいもあるのだが、何せ新式稲扱器械が、六台もそろってまわってるから、のん

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    utaq-999 2022/10/05
    あ、なんていうことだ、靴に飾りをつける場面がある。もっと早く読むんだった?...(...理解できなかったかも?)
  • ディッケンス Dickens 森田草平訳 クリスマス・カロル A CHRISTMAS CAROL

    先ず第一に、マアレイは死んだ。それについては少しも疑いがない。彼の埋葬の登録簿には、僧侶も、書記も、葬儀屋も、また喪主も署名した。スクルージがそれに署名した。そして、スクルージの名は、取引所においては、彼の署名しようとするいかなる物に対しても十分有効であった。 老マアレイは戸の鋲のように死に果てていた。 注意せよ。私は、私自身の知識からして、戸の鋲に関して特に死に果てたような要素を知っていると云うつもりではない。私一個としては、むしろ柩の鋲を取引における最も死に果てた鉄物(かなもの)と見做したいのであった。けれども、我々の祖先の智慧は直喩にある。そして、私のような汚れた手でそれを掻き紊すべきではない。そんなことをしたら、この国は滅びて仕舞う。だから諸君も、私が語気を強めて、マアレイは戸の鋲の様に死に果てていたと繰り返すのを許して下さいましょう。 スクルージは彼が死んだことを知っていたか。も

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    utaq-999 2020/06/07
    あら こんな一節が。読書不足も健康によくなぃなあ(苦笑)→「疾病や悲哀に感染がある一方に、世の中には笑いや上機嫌ほど不可抗力的に伝染するものがないと云うことは、物事の公明にして公平なるかつ貴き調節である」
  • 夢野久作 懐中時計

    懐中時計が箪笥の向う側へ落ちて一人でチクタクと動いておりました。 鼠が見つけて笑いました。 「馬鹿だなあ。誰も見る者はないのに、何だって動いているんだえ」 「人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのさ」 と懐中時計は答えました。 「人の見ない時だけか、又は人が見ている時だけに働いているものはどちらも泥棒だよ」 鼠は恥かしくなってコソコソと逃げて行きました。 底:「夢野久作全集7」三一書房 1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行 1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行 初出:「九州日報」 1923(大正12)年11月4日 ※底の解題によれば、初出時の署名は「土原耕作」です。 入力:川山隆 校正:土屋隆 2007年7月21日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で

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    utaq-999 2017/10/19
    「人の見ない時だけか、又は人が見ている時だけに働いているものはどちらも泥棒だよ」
  • アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳 あのときの王子くん LE PETIT PRINCE

    あのときの王子くん LE PETIT PRINCE アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳 子どものみなさん、ゆるしてください。ぼくはこのをひとりのおとなのひとにささげます。でもちゃんとしたわけがあるのです。そのおとなのひとは、ぼくのせかいでいちばんの友だちなんです。それにそのひとはなんでもわかるひとで、子どものもわかります。しかも、そのひとはいまフランスにいて、さむいなか、おなかをへらしてくるしんでいます。心のささえがいるのです。まだいいわけがほしいのなら、このひともまえは子どもだったので、ぼくはその子どもにこのをささげることにします。おとなはだれでも、もとは子どもですよね。(みんな、そのことをわすれますけど。)じゃあ、ささげるひとをこう書きなおしましょう。 ぼくが6つのとき、よんだにすばらしい絵があった。『ぜんぶほん

  • 作家別作品リスト:松浦 武四郎

    公開中の作品 他計甚麽(竹島)雑誌 (旧字旧仮名、作品ID:50161) 作業中の作品 →作業中 作家別作品一覧:松浦 武四郎 石狩日誌 (旧字旧仮名、作品ID:50170) 乙酉後記 (旧字旧仮名、作品ID:50165) 乙酉掌記 (旧字旧仮名、作品ID:50116) 梅嵯峨誌 (旧字旧仮名、作品ID:49466) 蝦夷年代記 (旧字旧仮名、作品ID:50171) 蝦夷漫畫 (旧字旧仮名、作品ID:57992) 奥州旅行記 (旧字旧仮名、作品ID:48146) 北蝦夷余誌 一名 ※[#「口+它」、第3水準1-14-88]※[#「口+羅」、第3水準1-15-31]伊加 ※[#「口+遠」、537-1]呂津古 記行(旧字旧仮名、作品ID:50172) 癸未溟誌 首卷 (旧字旧仮名、作品ID:53762) 近世蝦夷人物誌 (旧字旧仮名、作品ID:50173) 久摺日誌 (旧字旧仮名、作品ID:5

  • 中島敦 悟浄出世

    寒蝉敗柳(かんせんはいりゅう)に鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも三蔵(さんぞう)は二人の弟子にいざなわれ嶮難(けんなん)を凌(しの)ぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。大波湧返(わきかえ)りて河の広さそのいくばくという限りを知らず。岸に上りて望み見るときかたわらに一つの石碑あり。上に流沙河(りゅうさが)の三字を篆字(てんじ)にて彫付け、表に四行の小楷字(かいじ)あり。 八百流沙界(はちひゃくりゅうさのかい) 三千弱水深(さんぜんじゃくすいふかし) 鵞毛飄不起(がもうただよいうかばず) 蘆花定底沈(ろかそこによどみてしずむ) そのころ流沙河(りゅうさが)の河底に栖(す)んでおった妖怪(ばけもの)の総数およそ一万三千、なかで、渠(かれ)ばかり心弱きはなかった。渠(かれ)に言わせると、自分は今までに九人の僧侶(そうりょ)を啖(く)った罰で、それら九人の骸顱(

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    utaq-999 2013/12/30
    (ゎはぁっ なにこれ、ざっと読んだ感じだと、沙悟浄てば「残念キャラ」系で描かれてるじゃない?)
  • 2017年01月01日「土地とともにあるパブリック・ドメイン」- そらもよう

    今年も青空文庫の誕生日である7月7日がやってきました。 今日までその活動を27年間地道に続けて来られたのは、実作業で支えてくださった多くのボランティアのみなさんと、収録された作品をさまざまに楽しみ、その可能性を広げてきてくださったユーザのみなさんのおかげです。 あらためて御礼申し上げます。ありがとうございます。 さて、2023年1月1日から継続して進めて参りました「式年遷宮」ですが、ようやく新規データベースサーバの引っ越しの目処がつきました。 元旦でお知らせしていた日7月7日からの運用には間に合いませんでしたが、この8月から実データを構築中の新データベースに移し、そして運用を試験して大きな問題がなければ、この秋には引っ越しを完遂したいと考えています。 (もちろん試用しながら都度バグフィックスを行う必要が生じますので、夏のあいだにタイミングを慎重に見極めなければなりません) ともあれ、お

  • 伊藤左千夫 水害雑録

    一 臆病者というのは、勇気の無い奴(やつ)に限るものと思っておったのは誤りであった。人間は無事をこいねがうの念の強ければ、その強いだけそれだけ臆病になるものである。人間は誰とて無事をこいねがうの念の無いものは無い筈であるが、身に多くの係累者を持った者、殊に手足まといの幼少者などある身には、更に痛切に無事を願うの念が強いのである。 一朝禍(わざわい)を蹈むの場合にあたって、係累の多い者ほど、惨害はその惨の甚しいものがあるからであろう。 天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の極(きょく)なるものではない。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覚悟したとき、自(みずか)ら振作(しんさ)するの勇気は、もって笑いつつ天災地変に臨むことができると思うものの、絶つに絶たれない係累が多くて見ると、

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    utaq-999 2013/05/16
    「当時はただ一場の癡話として夢のごとき記憶...二人が相擁して死を語った以後二十年...苦しむのが人生であるとは、どんな哲学宗教にもいうてはなかろう。しかも実際の人生は苦しんでるのが常であるとは...」
  • 青空文庫 - 梶井基次郎 「桜の樹の下には」

    桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。 どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選(よ)りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。 いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽(こま)が完全な静止に澄むように、また、音楽の上

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    utaq-999 2013/03/26
    久しぶりに全文を読んでみました。毒々しいですが、これもひとつの死生観ですよね→
  • 青空文庫 - 工作員マニュアル

    ●このマニュアルでは、これから工作員になっていただく方のために、底選びから公開にいたるまでの作業の流れと概略を紹介します。 ●「青空文庫独自の約束事」も説明します。 ●新たに青空文庫の作業に取り組む際には、一通り全体に目を通してください。 ●作業の中で、「これはどうすれば?」と疑問がわいたら、ここにもどって答えを探してください。 ●底を選ぶ際に必要となる著作権については、ここでは詳しくふれません。「青空文庫からのメッセージ―という財産とどう向き合うか」をご覧ください。

  • 坂口安吾 安吾の新日本地理 宝塚女子占領軍――阪神の巻――

    宝塚少女歌劇というものは、現代の神話的存在の一ツである。とにかく私のようなヤジウマ根性の旺盛な人間が今まで実物を見たことがなかった。同様に他の殿方の大部分も実物は御存知あるまい。 東京公演で男の見物姿を見かけることは少いそうだが、場の宝塚大劇場では男姿も珍しくないという。なるほど、私のような図体の大きいのが最前列で見物していても、ジロジロ視線をあびることもなかったが、しかし見廻したところ男の姿を見出すには相当苦労するな。もっとも進駐軍席があって、私はその隣にいたせいで、怪しまれなかったのかも知れません。 日の女学生は大方宝塚ファンとみて差支えないようだが、女学生のお小遣いの半分ぐらいは宝塚のために費されているものらしい。さすれば娘のオヤジにとっても甚だ密接重大な宝塚であるが、宝塚を実地見学した教育熱心なオヤジというものは世に稀なもののようである。もっとも母親の半分ぐらいは往年の宝塚ファ

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    utaq-999 2011/07/03
    「東京公演で男の見物姿を見かけることは少いそうだが、本場の宝塚大劇場では男姿も珍しくないという...男が見ても、面白いね。面白い筈さ」と、こちらは昭和26年の #takarazuka 話→
  • 夏目漱石 行人

    友達 一 梅田(うめだ)の停車場(ステーション)を下(お)りるや否(いな)や自分は母からいいつけられた通り、すぐ俥(くるま)を雇(やと)って岡田(おかだ)の家に馳(か)けさせた。岡田は母方の遠縁に当る男であった。自分は彼がはたして母の何に当るかを知らずにただ疎(うと)い親類とばかり覚えていた。 大阪へ下りるとすぐ彼を訪(と)うたのには理由があった。自分はここへ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地(はんち)で落ち合おう、そうしていっしょに高野(こうや)登りをやろう、もし時日(じじつ)が許すなら、伊勢から名古屋へ廻(まわ)ろう、と取りきめた時、どっちも指定すべき場所をもたないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。 「じゃ大阪へ着き次第、そこへ電話をかければ君のいるかいないかは、すぐ分るんだね」と友達は別れるとき念を押した。岡田が電話をもっているかどうか

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    utaq-999 2011/07/02
    まだ #takarazuka =温泉だったころの話:11章に地名が登場
  • 高村光太郎 九代目団十郎の首

    九代目市川団十郎は明治三十六年九月、六十六歳で死んだ。丁度幕末からかけて明治興隆期の文明開化時代を通過し、国運第二の発展期たる日露戦争直前に生を終ったわけである。彼は俳優という職業柄、明治文化の総和をその肉体で示していた。もうあんな顔は無い。之がほんとのところである。明治文化という事からいえば、西園寺公の様な方にも同じ事がいえるけれど、肉体を素材とせらるる方でない上に、現代の教養があまねく深くその風(ふうぼう)に浸潤しているので、早く世を去って現代の風にあたる事なく終った団十郎よりは複雑である。団十郎はこの点純粋の明治の顔を持っていて、女でいえば洗髪のおつまのような其の世代の標式といえるのである。五代目菊五郎についても素より団十郎と同じ事が言えるわけであるが、菊五郎の方は余りに多く俳優であり過ぎて、その現われ方がむしろ旧幕の延長として意味があり、当代の文化一般を肉体化していたような趣のある

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    utaq-999 2011/06/04
    青空文庫
  • 坂本龍馬 海援隊約規

  • アントン・チェーホフ 神西清訳 桜の園 ――喜劇 四幕――

    人物 ラネーフスカヤ(リュボーフィ・アンドレーエヴナ)〔愛称リューバ〕 女地主 アーニャ その娘、十七歳 ワーリャ その養女、二十四歳 ガーエフ(レオニード・アンドレーエヴィチ)〔愛称リョーニャ〕 ラネーフスカヤの兄 ロパーヒン(エルモライ・アレクセーエヴィチ) 商人 トロフィーモフ(ピョートル・セルゲーエヴィチ)〔愛称ペーチャ〕 大学生 ピーシチク(ボリース・ポリーソヴィチ・シメオーノフ) 地主 シャルロッタ(イワーノヴナ) 家庭教師 エピホードフ(セミョーン・パンテレーエヴィチ) 執事 ドゥニャーシャ 小間使 フィールス 老僕(ろうぼく)、八十七歳 ヤーシャ 若い従僕 浮浪人 駅長 郵便局の官吏 ほかに客たち、召使たち ラネーフスカヤ夫人の領地でのこと [#改ページ] 第一幕 いまだに子供部屋と呼ばれている部屋。ドアの一つはアーニャの部屋へ通じる。夜明け、ほどなく日の昇る時刻。もう五月

  • 内田魯庵 文明国には必ず智識ある高等遊民あり

    遊民は如何なる国、何れの時代にもある。何所の国に行っても全国民が朝から晩まで稼いで居るものではない。けれども、国に遊民のあるは決して憂うるに足らぬことだ。即ち、これあるは其の国の余裕を示す所以で、勤勉な国民に富んで居るのは、見ように依ってはその国が貧乏だからである。遊民の多きを亡国の兆(ちょう)だなどゝ苦労するのは大きな間違いだ。文明の進んだ富める国には、必ず此の遊民がある。是れ太平の祥であると云って何も遊民を喜ぶのではない。あっても決して差支えないと言うのである。 其所で、遊民があるとして、無智で下等な遊民の方が好いか、智識ある高等の遊民の方が好いかと言えば云うまでもない高等遊民が好い、同じ貧乏人でも、無智で低級で下等な奴よりは、智識ある高等な貧乏人の方が好いのである。それで、何所の国にでも此の遊民はあるのだが、其の遊民に智識があると否とで、其の国の文明が別れる。智識ある高等遊民のあるの

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    utaq-999 2010/05/28
    ●●組・デモシカ教師・大学全入・ポスドク氾濫・・・なんてキーワードの無い時代、「高等」な遊民は何割いるだろう(笑) 自分のことは思いっきり棚に上げておくとしてっ
  • 正岡子規 歌よみに与ふる書

    歌よみに与ふる書 仰(おおせ)の如(ごと)く近来和歌は一向に振ひ不申(もうさず)候。正直に申し候へば万葉以来実朝(さねとも)以来一向に振ひ不申候。実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年も活(い)かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存(ぞんじ)候。強(あなが)ち人丸(ひとまろ)・赤人(あかひと)の余唾(よだ)を舐(ねぶ)るでもなく、固(もと)より貫之(つらゆき)・定家(ていか)の糟粕(そうはく)をしやぶるでもなく、自己の領屹然(きつぜん)として山岳(さんがく)と高きを争ひ日月と光を競ふ処、実に畏(おそ)るべく尊むべく、覚えず膝(ひざ)を屈するの思ひ有之(これあり)候。古来凡庸の人と評し来りしは必ず誤(あやまり)なるべく、北条氏を憚(はばか)りて韜晦(とうかい)せし人か、さらず

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    utaq-999 2010/02/05
    「古人のいふた通りに言はんとするにてもなく、しきたりに倣はんとするにてもなく、ただ自己が美と感じたる趣味をなるべく善く分るやうに現すが本来の主意・・・」
  • 二都物語 (ディケンズ チャールズ)

    イギリス、ポーツマス郊外に生まれる。身体が弱かったため、外で遊ぶよりは芸術を好む子どもだった。明るい父親であったがお金にはだらしなく、そのため子どもの頃から様々な苦労をすることになるが、その中でもこつこつと読書を重ねた。こういった豊富な知識と経験から数々の秀逸な作品を著し、イギリスの国民的作家となる。代表的作品では特に、人間の良心のすばらしさを描いた「クリスマス・キャロル」「二都物語」の二作品が日でも人気が高く、他に「オリヴァ・トゥイスト」「ディヴィット・コパフィールド」「大いなる遺産」「エドウィン・ドルードの謎」など。(大久保ゆう) 「チャールズ・ディケンズ」

    二都物語 (ディケンズ チャールズ)
  • 北原白秋訳 まざあ・ぐうす

    目次 日の子供たちに はしがき 序詩 マザア・グウスの歌 まざあ・ぐうす こまどりのお葬式 お月夜 天竺ねずみのちびすけ 木のぼりのおさる くるみ ボンベイのふとっちょ 六ペンスの歌 一時 卵 朝焼け夕焼け 風がふきゃ 文なし ファウスト国手 とことこ床屋さん おくつの中に 一つの石に コオル老王 雨、雨、いっちまえ 花壇にぶた 日の照り雨 いばらのかげに セント・クレメンツの鐘 おうまのり 小径にむすめ 月の中の人 十人のくろんぼの子供 お月さまの中のおひとが クリスマスがきますわい べああ、べああ、ブラック・シイプ ろうそく ちっちゃなテイ・ウイ 三月、風よ お面もち ししと一角獣 くつやさん きれいなくびまき 何人何

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    utaq-999 2009/09/21
    「多少の玉石混淆は免れぬ・・・それにしてもどうにも棄てるには惜しいなんらかの鋭さが蔵されている・・・子供というものはそうビクビクして教育しなくともよい。私は子供の叡智を信じている」
  • 宮沢賢治 饑餓陣営 一幕

    人物 バナナン大将。 特務曹長(そうちょう)、 曹長、 兵士、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。 場処 不明なるも劇中マルトン原と呼ばれたり。 時  不明。 幕あく。 砲弾(ほうだん)にて破損せる古き穀倉の内部、辛(から)くも全滅(ぜんめつ)を免(まぬ)かれしバナナン軍団、マルトン原の臨時幕営(ばくえい)。

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    utaq-999 2009/08/25
    (浅草オペラの影響らしい)