タグ

2010年11月15日のブックマーク (8件)

  • フリマの心得 売る人編

    何度もフリマに通ううち、「自分も出店してみたい!」って思うでしょ?思うのなら出しちゃえ。 どうせ出すなら経験者にコツを聞いてみよう! というわけで、月に1度はフリマに出店しているというピノコさんに教えてもらいました。 =========================================== まずは出店準備。 予約をとらなきゃはじまりません。 まいぷれフリマ情報を見ても、いろんな団体がいろんな場所で開催してますよね。 人出の多い大会場、近くて便利な地元の会場など、場所はお好みで! 売れ筋商品は後に書きますが、「私の手作り人形をみんなに紹介したいの♪」みたいな人は登録時にちょっ と注意!主催団体には必ず「古いものをリサイクルして環境の役にたとう」というようなポリシーがあります。 出店の規約をよく読んでおきましょう。

  • 三日かかった書評は見向きもされず、飲みながらポストした記事が10,000PV稼いだ話

    昨日ポストした記事、 「『休日くらいはゆっくりさせろ』とぼやく、KYな世の中のパパさん達へ」がはてブのホッテントリーに掲載されまして、祭り状態になっています(2010/11/14 20:00現在)。 とんでもない数のアクセスが来ています。びっくりです。 昨晩べた手巻き寿司。あまった刺身をつまみに飲みながらアップしました ありえない事態 20:00現在の、2010/11/14の当ブログの総PVは13,114PV、はてブ数218 ツイッターのリツイート数345(Tospy) ウチのような弱小ブログでは経験したことのない事態が、いま起きています! 「休みの日くらいゆっくりさせろ!」と旦那さんが育児に参加してくれない知り合いの話 私のイクメン経験 を元に、世の中の育児ママを応援する記事を書いてみたくなってアップしました。 正直申しますと、この記事は飲みながらポストしました。当に申し訳ないですm

    三日かかった書評は見向きもされず、飲みながらポストした記事が10,000PV稼いだ話
  • 「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやくパパへの非難の件 - 紙屋研究所

    下記の元記事を読んで、乳幼児期の育児の大変さについて共感していたのだが、 「休日くらいはゆっくりさせろ」とぼやく、KYな世の中のパパさん達へ 元記事のコメント欄、はてブのコメントが荒れていて驚く。とくに前者の攻撃性に仰天する。 「自分は子育てをしているがそんなことはない」というタイプのコメントはあるけども少ない。否定的なコメントの大半は、元記事で批判されている「『休日くらいはゆっくりさせろ』とぼやく、KYな世の中のパパさん達」、もしくは「『休日くらいはゆっくりさせろ』とぼやく」独身者だと推測できる。 元記事のブロガー(かん吉)が射落とそうとした標的そのものにタマが当たって、手負いになった標的がものすごい勢いで狙撃手の尻へ噛み付いている構図である。 ブコメで何人かが指摘しているのは、かん吉の「伝え方のまずさ」である。代表的なのは「ココロ社」だろう。 気で人を説得したいのであれば、相手の立場

  • 妖精物語(マブ)

    utaq-999
    utaq-999 2010/11/15
    #takarazuka 「La reine Mab」という楽曲絡みでgoogる。wikiによれば「メイブ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B4 」との呼称。
  • 出雲の阿国と北野天満宮 | CiNii Research

  • ²¼¤Î¿¹ | ËÌÌ·¨¤Î¤´¾Ò²ð | ¤Õ¤ì¤¢¤¤¤Î³¹¤­¤¿¤Î¡ÊµþÅÔËÌÌŹ³¹¿¶¶½Áȹç¡Ë

  • 中世北野下の森は一大イベント会場 | 北野今昔ものがたり | ふれあいの街きたの(北野商店街振興組合)

    天慶5年(942)道真の霊が多冶比文子(たじひのあやこ)という女性の前に現れ、自分がかって遊んだ思い出の地、右近の馬場に祠を築くようお告げがあり、文子はとりあえず瑞垣を作って道真の霊を慰めた。これが北野社・・・・北野天満宮の起源といわれています。 当初は怨霊として祀られた道真だが学問の神様としての信仰もかなり昔からあったようだ。室町時代、朝廷では毎年道真の死去した2月25日を中心に「北野法楽連歌」が、北野社でも舞楽や猿楽が右近の馬場などで催されている。 その後も安土・桃山時代 秀吉の北野神社境内の松原での大茶会や江戸時代はじめ出雲阿国の歌舞伎踊りが始めて披露されたり、露の五郎兵衛が落語を語ったたり、いずれも天神さんの境内から下の森一帯がその舞台となっている。 他にも当時の目代の記録を見るとやぐら芝居、狂言、浄瑠璃、ものまね、人形からくり、かるわざ、講釈、相撲、のぞき店、曲馬、唐人おどり、オ

  • 古地図に見る北野 | 北野今昔ものがたり | ふれあいの街きたの(北野商店街振興組合)

    元和六年(1621)〜寛永元年(1624)に作られたと思われる最古の京地図「京都図屏風」を見ると秀吉による城郭都市つくりへのお土居がしっかりと描かれている。すでに破却された聚楽第であるが「聚楽」の文字とともに城郭を示す堀は明確に示されている。 聚楽第から北野に向けて周辺は畑に囲まれながら松並木に沿って右近の馬場、左近の馬場が平行に走って、乗馬の練習や馬の調教・訓練がおこなわれていた?ことがわかる。そういえば菅原道真は学問はもちろんだが武道特に弓道の名手でもあった。 元禄14年(1701)の地図では七松中立売南東部に「的場」の記述、元禄14年頃は「内野新地」の遊里として官許されており、その出入り口として現在の三軒町、東町、双方に江戸で言う「矢場」「射場」のいわゆる社交遊技場があったと思われます。宝永六年(1709)の「京絵図」では七松通りのお目見えとともに七の松の絵が現在の三角広場界隈