北斗の拳とIT言論──意外と共通する「結果は問わない」日本人の原理:連載・部屋とディスプレイとわたし(3/3 ページ) 21世紀のネット社会に現れる「結果は問わない」 もっともこんな評価は彼らにとっては余計なことであり、本人にしてみれば、行動そのものに価値があったわけであり、成功に終わろうとも失敗に終わろうとも、その結果を問うものでもないのかもしれません。人々もまた、彼らの振る舞いに詩を感じ、結果よりもその意図に共感できるかどうかを重視しているように思います。 ニワトリが先か、卵が先かの話になりますが、陽明学が伝えられたから、独特の行動主義が生まれたのでしょうか。それとも、もともと日本人の情緒として、後先考えない青春の暴走に詩を感じる風土があるのでしょうか。 欧米の法では「なにをやったか」が精密に検証され、「その時なにを考えていたか」はあまり重視されない。しかし日本では犯行の「情状」を解明