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増田と人生に関するvespidのブックマーク (33)

  • 実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

    そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて

    実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
  • スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ

    【240407編集しました】 当初はベタ打ちの記事でしたが、あまりにも可読性が低いので見出しに記法を用いました。 今見返すと修正したいところは多々あるのですが、明らかな誤記(退学届→退部届)の修正、追記日付の補記を除き、情報が陳腐化している箇所なども含め、そのままにしています。 スポーツ推薦で高校に行く人がどれくらいいるか知らないが、行ったはいいけど馴染めない、中退して想定していたルートから脱落する、最悪の場合自ら命を絶ってしまうという人は(残念ながら)少なからずいる。 私もスポーツ推薦で高校に行った。 中学へスカウトにきた顧問は、週に1日は休み、練習も平日は2時間、勉学の時間も大事にする、著名な大学にも推薦で行けると熱弁した。 私は技量はあったが体力がなく、すぐ高熱をだすようなひ弱な中学生だった。スポーツ推薦なんか到底無理と思っていたが、休みがあるなら、その先があるなら、三年間だけ頑張っ

    スポーツ推薦で入学したけど失敗したな、という人と、その親御さんへ
  • (追記あり)主夫になるまでの婚活での学びと自分語り

    https://anond.hatelabo.jp/20231129081226 専業主夫になりたいと願い、夢を叶えた増田です。思った以上にバズってしまい恥ずかしいけど誰かの参考になったなら嬉しい。今後ダラダラと続きを書きはしないので、今回は補足と自分語りをさせてほしい。おれは主夫になりたい男性を応援してるし、主夫を養える女性も尊敬している。もちろん主婦とその夫も、共働き夫婦も独身男女も。 今までどこに出すでもなかった婚活の学びだが、今回も誰かの参考になれば幸い。 「婚活」そのものについてはてなには男女とも婚活で酷い目を見たエントリーが目立つ気がするが、おれ的には会った女性は7割まともだと感じた。2割がコミュニケーション能力に難ありで、残りの1割はモンスターかな。だからそんなに構えなくていい。ネットでは変わった体験をした人の記事が面白がられて伸びるだけで、大概の人は良くも悪くもわざわざ書く

    (追記あり)主夫になるまでの婚活での学びと自分語り
  • セックスレス解決に足りてなかった視点

    自分なりに問題と向き合ってみて何がいけなかったのかを整理してみた結果、気付きがあったよという話です。 我が家ではが二人目の子どもを妊娠してからセックスに応じてくれなくなり、気がつくと8年近く経っていました。 子どもがいるとなかなかそういう空気にならないのは仕方ないことですが、まれにチャンスがあっても「眠い」「疲れている」「休ませてほしい」と言われるばかりで、そうなると強要することが加害ともなりかねないとそれ以上は話が進まないままにフラストレーションを溜め込み続けました。 セックスの話をするときに、どうしても「気持ちがいい」という言葉が頭の中に支配的になります。 実際、と話し合う上で、どうしてそんなにセックスがしたいのかを説得するときに大きな戸惑いとなりました。 そんなに難しい話ではないかもしれませんが、でも、どうしてしたいのかを考えた時、「気持ちよくなりたい」「気持ちよくしたい」以外の

    セックスレス解決に足りてなかった視点
  • もしかしたら僕は自己肯定感がそれほど高くないかもしれない

    自己肯定感低い人あるある」っていうのTwitterでたまにRTされたりするが、それをみて「人の目を気にしたりして大変だな」と思っていた。 つまり僕は自分のことをそれほど自己肯定感が低くない、むしろ高いと思っていた。 でも最近もしかしたら実は結構低いかもしれないと気づき始めてきた。 『ぼっちざろっく』流行ってますよね。主人公のぼっちちゃんはギターが上手いのに、実力に自信を持ちつつも、他人の評価を気にしていて、目の前の観客も怖がっていた。それでぼっちちゃんが「当の敵は目の前の観客じゃない。観客は自分を求めているんだ」ということに気づき、一歩踏み出せた演奏ができた。 そんな成長エピソードがあるわけだ。 僕もその自分に自信を持ちつつも、人が怖いというのはわかるという気持ちになったが、むしろそれは普通のことだと思った。自己肯定感が低い人は自信もないものかと思っていたので。 例えば僕がぼっちちゃん

    もしかしたら僕は自己肯定感がそれほど高くないかもしれない
  • 父が死んで良かった

    実家が燃えてなくなった。 母の話によると父はタバコの吸い殻をダンボールにためていたらしい。なぜ父はそんなことをしていたのかは分からないし、なぜ母もそれを危険視しなかったのかはわからないが、とにかくそのせいで燃えた。 僕の昔住んでいた田舎の実家はそうやってなくなった。次に見た時には簡単に整地されており、何を入れているかはわからないが小さな物置だけが建てられていてぽつんと建っていた。整地するためにお金が足りないということで僕も30万円を母に渡していた。 その後、父と母と、一緒に住んでいた次男は一時的に市営住宅のようなところに住んだ。向かいの家ではうさぎが放し飼いにされていた。しかしボロすぎて辛かったらしく、最終的に家を買った。今もそこに住んでいる。その家は2階建てで部屋もたくさんある広々とした家だが、前の住人が物置で首を吊って亡くなったため1千万円弱で購入できたらしい。 父父はぶっ壊れていた。

    父が死んで良かった
  • 子どもが知的障害者になった

    健常者だった2歳の息子が、病気の後遺症で知的障害者になった。 ことの始まりは熱性痙攣。子どもを持つ親だと聞いたことくらいはあるだろう。 熱が急激に上昇し、目が虚ろになって痙攣していた息子を見て「あ、これが熱性痙攣というやつだな」と冷静に判断することが出来た。 念の為に動画を撮っておくといいらしいということも聞いていたので慌てず動画を短時間撮影し、落ち着くのを待った。 だが全く収まる様子がなく、話に聞いていたのと少し違うように感じ始め、そして少し動揺しつつも救急車を呼んで病院に搬送された。 病院についてしばらくしてから痙攣は収まったものの意識が混濁している様子が続き、ほとんど意識がないまま夜を越した。 先生から話を聞くと急性脳症などという病気の疑いがあるらしく、何やらステロイドを使った治療を進めたいとのことでやってもらうことにした。 半月ほど、意識もほぼ無く事も摂れず一日中たくさんの点滴を

    子どもが知的障害者になった
  • 就職氷河期突き破って闘ってきたけど、もう疲れた。泣きたい。

    40代も半ばに入る。 若い頃は、就職できないのも低所得なのも自己責任だとなじられ、中年になれば親の介護によって、人生失いそうな危機が迫る。 間の悪い時期に生まれた運のなさと言えばそれまでだが、もうなんかいろいろ酷くて泣けてくる。 …実はものすごく辛い。ここ20年、ずーっとその気持ちを抱えてきた。 なのに、涙さえ出ない。 泣くこともできないので、自分の心の中で、いろいろな苦しみが渦巻いたままになっている。 自分が20歳の時、両親が離婚した。 大人になっていたから、どちらに付く・付かないみたいなこともなく、便宜上、持ち家の父と暮らしていた(5年後には家でたけど)。 この時失ったものは 小学生の時から続いていた友人。親が離婚したと言ったら、即疎遠になった。 母方の親族。 頼れる親。 頼れる周囲のもの 今でも忘れられない。 真冬の雪の降る夜。 突然、発熱が始まって、家には解熱剤がなかった。 車通勤

    就職氷河期突き破って闘ってきたけど、もう疲れた。泣きたい。
  • 成年後見人になってはいけない…と弁護士は言った。

    https://anond.hatelabo.jp/20200111024952 これを書いた。 色々疲れているので、めちゃくちゃに書いてスッキリしたかった。はっきり結末を書いていない部分も多く、文章の構成も考えないで書いたから支離滅裂だと言われると頷くしかない。 アドバイスくれた人もいたので、それに対して少し答えようと思う。 あと、成年後見人については、今回のことで少々知見を得たので、それを記すことにする。 一つ言い訳をするなら、自分の下の世代に「自分が若い頃は…」って話はした事がないし、同じ道を歩んで欲しいとも思わない。 最近の若者は優秀で素直な者が多い。そのせいか、一部のクズが目立ち過ぎているという面はある。 クズはどの世代にも一定数いるので、突出して多いわけではないが、メンタル面の弱さはやや感じる。 彼らには面倒だなと思うことはあっても、怒りを感じることは少ない。 たまに、自分は正

    成年後見人になってはいけない…と弁護士は言った。
  • 29歳独身男性が正月に帰省して愛されたいという渇望を自覚した話

    はじめにこの記事は29歳独身男性が正月に帰省して、家族とのやりとりから自分の生き方の癖の原点と、自分の慢性的な渇望を自覚した話を淡々と描くものです。過度な期待はしないでください。あと、部屋は明るくして、ディスプレイから3メートルは離れて読みやがってください。 もちろんフィクションですので実際の人物団体とは関係ありませんし一部フェイクいれてます。 母の言動と自分の癖今回帰省で1日目は母方の祖母の、2日目は父方の祖父を訪ねる日程だった。実家と祖母、祖父が住んでいる家はすべて関東圏内で、車で1時間程度の距離である。 今回祖父母の家を訪ねるにあたり、大学生の妹が練習のために運転して父が助手席で監督するというかたちだったのだが、運転席の後ろに座っている母が運転中に車間距離や運転速度、歩行者について大声で責めるような口調で口出しをするのがとてもいたたまれなく、つらかった。5分に1回以上のペースで「あぶ

    29歳独身男性が正月に帰省して愛されたいという渇望を自覚した話
  • ピンクリボンなんか糞くらえだ

    二十代後半で乳がんが見つかった。 乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。 だからしこりがあるのも普通だった。 二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、 よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。 巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。 がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。 Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、 しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。 私は医療系の国家資格を持っている。 きちんとした専門の大学に行き、大学院にも通った。 大学院の同期と後輩で海外旅行へ行った。 自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言っ

    ピンクリボンなんか糞くらえだ
  • 兄に結婚がバレて、その後

    兄に結婚がバレた https://anond.hatelabo.jp/20180511170729 結婚を兄に知られて、逃げるように実家を後にした。帰宅後父から連絡があり、次の週末に話し合いの場を設けることになった。今回は両親が東京に来た。 家には上げたくなかったので、二人とは外で会うことにした。夫も同席してくれた。 両親は平謝りだった。先日は「あなたのお兄ちゃんなんだから」と繰り返していた母も、いたく反省した様子だった。小さくなってうつむく母の姿を見ると心が傷んだが、私はもう決めていた。「しばらく実家とは距離を置きたい」「兄だけじゃなく、両親とも」「結婚式はやめにする」「二人で写真だけ撮る」。 母は静かに泣きだした。ごめんごめんと謝り続ける(何を?結婚をバラしたこと?その後のこと?それとも育て方を間違って?あるいは産んで?兄を?私を?)母と向き合っていると、悲しいような辛いような、怒りの

    兄に結婚がバレて、その後
  • 児相に保護されて生き残った

    とある地方都市、母と兄との三人家族。物心がついた時には既に、母から厳しい「躾」という名の暴力を日常的に受けていた。 私には何かしらの、検査に引っかからない程度の発達の遅れがあったのだと思う。小学校へ入学する頃になっても、母が私に要求していることを理解できていなかった。自分がなぜ怒られているのか、私の何が悪いのかもわかっていなかった。 怒鳴られれば謝る。殴られれば謝る。ただそれだけ。反省なんてなかった。「母は正しく、私は間違っている。」それが私の、理解の全てだった。 年が離れた兄は、私に優しかったと記憶している。受験のストレスからか、一度だけ八つ当たりのように殴られたことはあるけど、それ以外に私を虐めたりすることはなかった。友達と遊ぶ時間を削って、私を家の外へ連れ出してくれることもあった。私は兄のことが好きだった。 同時に、私は心のどこかで「兄は私の味方ではない。」と思っていたかもしれない。

    児相に保護されて生き残った
  • うちの夫は45歳新卒

    中年新卒の出直しって色んな人に希望与えるんだなーと分かったので、夫の話もしたい。 うちの夫は、若い時から正社員の職歴無し。 某芸術活動をずっとしてきて、フリーター。 いよいよ中年でい詰めたので一か八かの大勝負に出た。 コメディカルの資格を取るために夜間の専門学校に通い始めた。 言っとくが看護師ではない。 看護学校も受けたのだが、コミュ力が無さすぎて、圏内の専門学校は全落ちした。 笑うしか無かったけど、なんとか別のコメディカルの学校に滑り込めた。 この時、夫40歳。子供は保育園児。 私はブラック企業の正社員と副業をゴリゴリやって、でも世帯年収は300万切ってた。 地方都市で家も車もない。 休日の外出は動物園図書館博物館。 とにかくランニングコストが低ーい一家だったので、なんとかやっていけた。 学費は夫の親に頼み込んで、最後のチャンスって事で出してもらった。 これがほんとに助かった。 奨学金

    うちの夫は45歳新卒
  • ちょっとはみ出た、つづき 入院が決まった直後に、入院時に必要なものを..

    ちょっとはみ出た、つづき 入院が決まった直後に、入院時に必要なものを買い込みレンタカーで母の元に向かった。 徘徊が多く、連絡手段も無い為、朝、荷物だらけの新居に迎えに行っても空振りになってしまう可能性があったからだ。 荷物だらけのアパートに一晩泊まって見張るつもり位でいた。 破たんした呪いの言葉を一晩聞き続ける程度だったら何とかなるだろうと踏んで寝袋を持って家を出た。 アパートにいた母を、最後の晩餐さならが母を事に連れ出し、禊を済ませるが如く、深夜営業の温泉に連れて行った。 これまで母の病気が進行してから、弟を含め3人で事をすることは何度かあったが、 私が成人してから母と二人で事をしたり、温泉に行ったりしたのは初めての事だったと思う。 しかし、あのアパートで母と二人きりで一晩を過ごすのはやはり心理的に無理だった。 そこで、仕事で徹夜を強いられる彼女がいる自宅に、彼女に無理を言って連れ

    ちょっとはみ出た、つづき 入院が決まった直後に、入院時に必要なものを..
  • 統合失調症の母をついに入院させた話

    先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。 発症から入院までおよそ四半世紀程かかった。 ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。 そこで「医療保護入院」という形で、人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。 「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、 自分の気持ちを整理する意味でもこれまでの経緯を書く。 母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。 興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。 日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、 一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶があ

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  • 妹の結婚式で圧倒された

    披露宴の最後の方で「母への手紙」ってあるじゃん。 号泣イベントだと思うけど、自分の披露宴含め泣いたことなかったけど、妹の「母への手紙」で号泣した。 素直でストレートで「それ言っていいの!?」っていう内容に。 「私はお姉ちゃんと比べて出来の悪い子でした、大学も行かず彼氏も作らず」 これは母の言葉だろう。そういう事をいう人だ。でも若干母親disになっちゃってない? 「フリーターになった時に『就職しろ!』と叱咤激励してくれたおかげで…」 結構黒歴史だと思ってたし、プロフィール紹介でも避けてくれていた部分だけど、言ってOKなのね。 こんなスタートで、全部が音っぽくて、色々と思い当たる節もあって、胸に迫る内容だった。 父が亡くなって、最近母に彼氏が出来て第二の人生をスタートしているけど、 その辺にも言及してた。 自分にはとても作れない内容だった。 自分の披露宴では、まず普段呼んでる「パパ・ママ」は

    妹の結婚式で圧倒された
  • 大学を中退して起業()予定の18歳が笑われてるけどさ

    金曜日に、ホッテントリに↓の記事が上がってて、読んだ人は多いと思う。 4ヶ月で大学を中退し起業します。レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ。 http://www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000 んで、ブコメをみたら、嘲笑の嵐ですねww http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ishidanohanashi.com/entry/2016/09/15/193000 40年前ならヒッピー、30年前なら新興宗教、20年前ならマルチ商法、10年前ならバックパッカーやってたような層が2016年にやるのがブログで起業なんだろな 「おかしなセミナーにハマった息子が起業するとか言って大学を辞めてしまいました」 そろそろ被害者の会が結成されそうな予感(ワクワク) おいおい。楽な方に楽な方に流されてるだけじゃん。挑戦でも何でもな

    大学を中退して起業()予定の18歳が笑われてるけどさ
  • 養護学校で働いてるけどダウン症の子供を中絶した

    ここでしかかけないから吐き出す。 あまり細かいことは特定につながるからかけないし、フェイクも入れる。 30超えての妊娠だったので、心配だったこともあり検査を受けた。 その時点ですでに「障害児は産みたくない」と思っていたんだ。 毎日仕事では障害児の教育なんかをしてる自分が、自分だけは障害児はいらないと思っていた。 それでも「まさか私が当たるだろう」なんて思ってなかった。 毎日仕事で障害児の親から障害児を預かり、障害児にモノを教えて、ご飯をべさせて、職業訓練もして…職場生活の殆どを障害児と過ごしている私が、 結局障害児の母親になることを拒否した。 診断結果を聞いた時、何も迷うことなく 「おろします、すぐにおろします」 と返事をしていた。隣にいた、旦那に何も相談することもなく反射的に答えていた。 頭の中で毎日接している障害児のことを考える余裕はなかった。 ただ考えたのは、その障害児の母親たちだ

    養護学校で働いてるけどダウン症の子供を中絶した
    vespid
    vespid 2015/06/25
    “中絶を選ばなかった母親たちへの軽蔑も止まらない。”←これだけ納得いかないんだけど。
  • 無宗教な自分が辛い

    昨日、くだらないが 「自分は死んだらどうなるんだろうか、何も意識が無いところから突然生まれて、今生きている。そして自分は何十年も経ったら間違いなく死ぬ。もしかしたらそれより早く突然死ぬかもしれない。でも死んだ後俺はどうなる?意識が無くなって、そして、どうなる?その後に何が起こる?何も起こらないまま、何百年も何億年も過ぎていくのか?その後それが終わったらどうなる?そもそも終わりはあるのか?自分が生まれる前、自分はどこにいた?意識はどこにあった?」と、高校1年生のようなことを考え始めた。 その時、自分にはそれを解決して、1つの仮説を持ち、安心を得るための手段が無い事に気がついた。宗教である。 自分(というか、ほとんどの日人)は無宗教である。 それを当たり前のように受け入れていたが、 1年前に祖父が死んだ時にお寺で葬儀を行った時や、 この間結婚式の挙式会場の下見で歴史あるとあるカトリックの教会

    無宗教な自分が辛い