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文化論に関するwackiesのブックマーク (3)

  • 【文化政策】政府、アニメなどの国際展開を後押しする

    wackies
    wackies 2009/05/05
    ハーレーダビッドソンがあんなに燃費悪くて性能も悪いのに売れている理由は、ハリウッド映画の効果の賜物だった。栄光のアメリカを象徴するアイテムとして。日本の文化輸出も戦略的に行うべきで、いい取り組み。
  • 厳しい時代だからこその「文化の力」 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    ちょうど半年前に、こんな文章を書いた(「新しい挑戦と変わらぬ日常」) 。 仕事と休暇を兼ねてやってきたパリでこの原稿を書いている。 1994年10月22日、私は東京での生活を引き払い、シリコンバレーにやってきたので、先週水曜日で丸14年が過ぎたことになる。振り返れば「前半の7年間」と「後半の7年間」は、まったく異なる経験だった。インターネット勃興(ぼっこう)期の興隆の中に身を置いて高揚感の中で激しく仕事をした「前半の7年間」の最後に、2001年9月11日の同時多発テロが起きた。「後半の7年間」は、エンロンの破綻(はたん)、アフガニスタン、イラクで始まった戦争、そしてこのたびの世界金融危機と、渡米時に思い描いていた明るい未来のイメージとは違う思いがけないことが、次から次へと起こり続けた。・・・・・・ ビジネスの最前線で思いがけないことばかりに直面し、何とか知恵を絞ってサバイバルを試み続けた「

    厳しい時代だからこその「文化の力」 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    wackies
    wackies 2009/04/30
    文化論のタグはちょっと変だけど(笑  厳しい時代=何かを抑制せざるを得ない時代には必ず文化的(芸能・エンタテイメント)な逆流が起こっているわけだから、人間は精神的バランスが大切ってことね。ヒントになる
  • 友人同士の動画共有サービスがインターネット文化を変えるまで―2006年当時のYouTube - はてなニュース

    「ホームパーティで撮ったビデオを簡単に交換できるサービスがない」――そんなことを、ディナーパーティの席上で話し合ったことが始まりだった。それから一月後、2005年2月15日にPayPalの同僚、Chad HurleyとSteven Chen、そしてJawed Karimの三人は無料動画共有サービスを立ち上げた。サービス名は、「あなたが作るテレビ」という意味を込めた“YouTube”。その名前は、1年後には世界中に知れ渡り、瞬く間にインターネットの風景を一変させてしまった。 「アングラ」だった、あの頃 現在のYouTubeが公式に始まったのは、2005年12月。それからすぐにアメリカでは、NBCのサタデーナイトライブの動画がアップロードされていることが、ブログを介して多くの若者の間で話題を呼びはじめた。ここ日においても、やはり2006年の春頃に、2ちゃんねるなどでYouTubeの動画紹介ス

    友人同士の動画共有サービスがインターネット文化を変えるまで―2006年当時のYouTube - はてなニュース
    wackies
    wackies 2009/04/16
    ネット文化の象徴、Youtubeの歴史。ドッグイヤーのWeb世界ではこんな最近の出来事の一連の流れをまとめるだけで、歴史のように感じてしまうから不思議。
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