大阪府の橋下知事が公用車でジムに通ったとして批判されている問題で、発端となった報道の内容がまったくの誤りであったことが18日までにわかった。この問題についてはサヨク新聞やプロ市民ら反橋下陣営を勢いづかせるかっこうの材料となっていたが、ここにきて急転直下の展開を見せはじめた。 この一件で、橋下知事は 「仕事のあと公用車でジムに送らせていた」 とされていたが、どうやら情報の伝達過程で齟齬が生じていたらしい。弊紙が独自取材によって確認したところ、正しくは 「モビルスーツジム(型式番号:RGM-79)で仕事のあとも公用をおこなっていた」 であることがわかった。ささいな語順の間違いによって醜い政争が引き起こされていたというわけだ。 熱心な府政への取り組みで知られる橋下氏。ジムによる公務もかなりのハードワークで、ビームスプレーガンとビームサーベルを武器に ワッハ上方破壊工作 府立図書館焦土化作戦 府職
東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅で、地下鉄電車から発煙し一時運転を見合わせたトラブルを受け、関東運輸局(横浜市)は18日、安全対策を講じるよう東京メトロに文書で警告した。 関東運輸局は、6月14日に開業した東京メトロ副都心線でも「多くの輸送障害を発生させている」と指摘。対策を講じるよう指示していたのに、半蔵門線でも引き続きトラブルがあったことが遺憾だと指摘した。半蔵門線は16日夜、煙の発生で約700人の乗客が電車から避難、約5万1000人に影響した。
北海道大学の図書館報 「楡蔭」に書いた雑文が印刷されてきました。まだ、オンラインでは読めないようなので、こちらに転載しておきます。 -------------------- インターネット時代の学術情報と研究者そして図書館 はじめに 北海道大学図書館が運用しているHUSCAPという名の「機関リポジトリ」が全国の大学・研究機関の先頭を走っていることをご存じだろうか。ほとんどすべての学術情報がインターネットを通じて流通する時代になり、図書館のあり方も大きく変わろうとしている。学術雑誌へのアクセスも投稿も、すべてが机の上に置かれたコンピューターからできてしまう日常を過ごしていると、時として図書館の存在を忘れてしまいがちになる。しかし、一歩大学を出て学外のネットワークから同じ学術雑誌にアクセスしようとしても、北大図書館のライセンスなしには論文も読めないことがわかる。インターネット時代の今、大学図書
公文書管理の抜本改革を求める中間報告が政府の有識者会議でまとまった。国民共有の「財産」が役人の世界でずさんに扱われていいはずはない。直ちに実行し「霞が関」を変える契機としたい。
青森県新郷(しんごう)村の古老、小坂源治さん(89)の口から出た「シナコマチ」という集落−。反射的に「シナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)」を連想した。シナゴーグのあった街だから「シナコ街」。ところがそれはとんだフライングだった。 小坂さんは「シナコマチ」の「シナ」は「支那」のことではないかという。 「支那は中国というより外国を意味したらしい。つまりそこは外国のような集落だったようです」 では「シナコマチ」の痕跡は残っているのか。 「山の方から水を引いた水道の跡が残っていました」という小坂さんの言葉を聞いて、またもやフライングをおかしてしまった。 「え、ローマの水道橋のような遺跡があったんですか」 「いや、溝が掘られていたそうです」 その痕跡は、いまでは確認のしようがないらしい。 ◇ 前回「キリストの墓」の伝承をめぐり「おとぎ話を紡ぎたくなるような興味深い事実が新
まず写真を見てほしい。土饅頭(どまんじゅう)の上に十字架が立てられた写真を。なにあろう、これが「キリストの墓」と伝えられるものだ。場所は青森県新郷村(旧戸来(へらい)村)。八戸の西に位置する典型的な中山間地の村である。現在の人口は3000弱。キリストが磔刑(たっけい)に処せられたゴルゴタの丘からはるかかなたのこの地に、どうして「キリストの墓」伝承が生じたのか。その背景を探りながら、人間が「聖地」を求める心性についても考えてみようと思う。 ◆◇◆ 新郷村の「キリストの墓」伝承は、源義経がジンギスカンになったというのに匹敵する荒唐無稽(むけい)なおとぎ話である、と常識のある者なら考えるだろう。確かにその通り。新郷村の人々もそうだ、と思う。ただ、おとぎ話を紡ぎたくなるような興味深い事実が新郷村にはいくつかあったのである。 この伝承の起源はきわめて明確だ。昭和10
秋葉原連続殺傷事件から一月余。八日付朝日新聞に社会学者、宮台真司が事件を振り返ってアッパレなコメントを寄せていた。宮台は言う。《メディアは単純な思考や情報を発信する。勝ち組と負け組の二分法もそうだ。「そんな誤ったメッセージを真に受けてしまうのは、なぜか」「一人でメディアに接触するときは情報に『直撃』されやすい」。身近に、お前はそんな話を真に受けているのかと言ってくれる人がいれば誤解は減る》 全く同感だ。 東京の渋谷や原宿で「援助交際」が話題になり始めた時、それを面白おかしく煽(あお)るかのように取り上げるメディアに毎回登場する社会学者がいた。その社会学者はきっと援交ギャルの一人と結婚でもするのだろうと思っていたのだが、彼が結婚したのは名門女子大卒の若く美しいお嬢様。しかも今時珍しい“箱入り娘”だった−とは、三浦展(あつし)の書くところだ。その社会学者は、名門の私立中高一貫校から東大に進学し
ってことでエルゼビア・ジャパン主催のライブラリ・コネクト・セミナー2008に参加してきました! ライブラリ・コネクト・セミナー2008 Return on Investment 〜 図書館への投資効果 〜 お土産のエルゼビアうさぎ。 足の裏に輝く「ELSEVIER」の社名がとってもキュート。 このうさぎのぬいぐるみに限らず、さすが世界最大の学術出版社エルゼビア、なんかもう何もかもが豪華と言うか太っ腹で驚きました。 参加費無料・コーヒー/お茶菓子はご自由に・昼食のお弁当も先方持ちで、英語の講演には同時通訳がつくしその上うさぎさんはじめお土産までついてくると来たもんだ。 思わず自分の大学・研究機関が年間いくらエルゼビアに払っているかと利用者数から逆算して「これで何円元とったかな・・・」とか計算してしまった人は自分だけではあるまい(?)。 セミナーの内容もどれも大変刺激的で、お土産等とは無関係に
7月17日に東京品川で開催された、標記のセミナーに参加してきました(セミナー公式サイト)。 今回のテーマは「Return on Investment ~ 図書館への投資効果 ~」。各講演の概要は「かたつむりは電子図書館の夢をみるか」の記事でも取り上げられているのではしょるとして(^_^)、今回の目玉は、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校図書館長のPaula Kaufman(ポーラ・コーフマン)さんによる、午前中最後と午後の最初におよそ2時間という長丁場、2部に分けられた講演であったと思います。 午前中は「大学の図書館に対する投資:その見返りは?」というテーマでした。 米国の最高教育に対する公的支援は過去25年にわたり減少しており、それはランド・グランド(土地助成)大学として設立されたイリノイ大学においても例外ではなく、大学に説明責任を求める声が高まっている現状の下、他校との競争上の優位性
筑波の蔵書使用不能問題&スターバックス参入に関する批判が、卒業生の方からあったそうですね。 http://d.hatena.ne.jp/hana53/20080715/1216045708 id:myrmecoleonさんにidコールで呼ばれたので、スルーする気でいたのですが、一応一言、二言。 今年3月に資料調査に行ったときは、耐震改修工事の予定について公示が出ていた様子は全くなかったんですが。ここは学外者にも開放している公共図書館であるわけだし、利用者への説明責任は十全に果たされていたのか、そもそも経年劣化した明治・大正期の書籍や雑誌の移管についてどれだけの配慮が払われているのか、図書館の公式ページを見てもさっぱりわからないので、とりあえずリンクだけ張っときます。 公式ページ見てもよくわからないのはその通りですね。 一応、2月末日で学内教員に対しては改修工事について通達が行っており、3月
インターネット上で公開した裁判傍聴記を無断で別のブログに転載されて著作権を侵害されたとして、筆者の男性が、インターネットサービス大手のヤフーにブログ記事の削除などを求めた訴訟の控訴審判決が17日、知財高裁であった。飯村敏明裁判長は、傍聴記の著作権を認めなかった1審東京地裁判決を支持し、男性の控訴を棄却した。裁判傍聴記の著作権が争われた訴訟では初の高裁判断。 飯村裁判長は、男性の傍聴記について「ありふれた表記で格別な工夫が凝らされてはおらず、筆者の個性が発揮された部分はなく、創作性は認められない」と指摘し、「著作物にはあたらない」と結論付けた。 判決によると、男性は平成18年9月、ライブドア(LD)事件で、LD元社長、堀江貴文被告(35)=控訴中=の1審公判を傍聴し、内容を傍聴記としてインターネット上で公開。直後に第3者が開設するブログに転載された。
面白いエントリーが。ちょっと別の視点で。 上にいる人は、降りてこない http://d.hatena.ne.jp/yellowbell/20080716 メディアに出てくる財界人の発言を聞くと、金儲けに邁進するあくどい人間というよりは、「馬鹿」ではないかと思うほど無邪気で鈍感であることに気づかされることが多い。曰く、「仕事なんかいくらでもある」「やる気さえあればなんとでもなる」「工夫次第で残業なんか減らせる」と。もちろん、そんな現実があるわけがないことは、書店に積まれている「格差」「貧困」と名のつく本を少し手にすればわかるはずのことだが、彼らの耳にはなぜか全く入らない。もちろん耳にすることはあるはずだが、それが知識として蓄積されないように頭の構造がなってしまっているのである。 こうした無邪気さ、鈍感さは別に財界人に限ったことではなく、物を考えるのが仕事のはずの(特に左派系の)学者や評論家に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く