タグ

ブックマーク / www.tapthepop.net (3)

  • 恋はみずいろ〜全盛期のビートルズの売り上げを超えた!?インストゥルメンタルの金字塔

    1968年2月10日、全米のミュージックチャート史において歴史的な出来事が起きた。 フランス人アーティストによるインストゥルメンタルの楽曲が1位に輝いたのだ。 その記念すべき曲の名は「Love Is Blue」。 フランス語の原題は「L’amour est bleu」、日タイトルは「恋はみずいろ」と付けられた。 クレジットには作詞ピエール・クール、作曲アンドレ・ポップと記されている。 この曲は1967年に行なわれたユーロビジョン・ソング・コンテストのためにルクセンブルグ大公国の代表曲として書かれたもので、当時ギリシャの船会社主の娘ヴィッキー・レアンドロス(当時18歳)が歌い4位に入賞している。 翌年、イージーリスニング界の第一人者ポール・モーリアがアレンジしたインストゥルメンタル版がアメリカでリリースされて大ヒットを記録する。 (1968年2月〜3月のBillboard Hot 100で

    恋はみずいろ〜全盛期のビートルズの売り上げを超えた!?インストゥルメンタルの金字塔
  • シングル盤のB面に入っていた野坂昭如の「黒の舟唄」を歌い継いだ長谷川きよし

    野坂昭如が歌ったシングル盤の「マリリン・モンロー・ノーリターン」は、1971年にコロムビアからレコード発売された。 しかし時代のトリックスターのような立場にいた黒メガネの直木賞作家が、歌手としてデビューするという話題がマスコミに派手に取り上げられたものの、それほどヒットしたというわけではなかった。 作家の久世光彦はエッセイの中で、不快感を覚えたという文章を残している。 はじめて聴いて、嫌な歌だと思った。 野坂昭如さんが歌っていたからかもしれない。 陰気な声だった。 始終よろけ気味の歌い方も苛立つ。 いやに素っ気ないかと思うと、急に思い入れたり、 かと思えば、もうどうでもいいといった風に投げやりになったりする。 聴いていて胸騒ぎがするような歌い方には、どこかに野坂昭如という表現者の怪しさがつきまとっていた。 最初の音から危うさをともなう音程が、聴き手の不安感をかきたてたともいえる。 「マリリ

    シングル盤のB面に入っていた野坂昭如の「黒の舟唄」を歌い継いだ長谷川きよし
  • トリックスターとなった小説家、野坂昭如のために作られた「マリリン・モンロー・ノーリターン」

    Home TAP the SONG トリックスターとなった小説家、野坂昭如のために作られた「マリリン・モンロー・ノーリターン」 - TAP the POP コマーシャルソングの祖とされる三木鶏郎門下でキャリアをスタートさせた桜井順は、今でも使われ続けている「お正月を写そう」(富士フィルム)を筆頭に、「ブタブタ子ブタ」(エースコック)、「石丸電気は秋葉原 デッカイワー」(石丸電気)、「ダニアース」(アース製薬)など、半世紀を軽く超える期間に約3000という、膨大な数の作品を送り出してきたソングライターだ。 30秒や15秒で人の心に届く音楽を作ることにかけてはまさに天才的で、CM音楽歴史を切り拓いた桜井順にはもう一つ、野坂昭如のソングライターとしての顔がある。 小説『エロ事師たち』で1963年に作家デビューした野坂昭如は、その前後から自らを「焼跡闇市派」を名乗ってマスコミにたびたび登場、歯

    トリックスターとなった小説家、野坂昭如のために作られた「マリリン・モンロー・ノーリターン」
  • 1