日本曹洞宗は現在日本で最も大きな団体のようです。 二つの本山、永平寺、総持寺があり、曹洞宗宗務庁下に多くの寺院があります。 ご存じの通り、日本曹洞宗は道元禅師からはじまります。 有名な言葉に 『身心脱落・脱落身心』 『佛道をならふといふは、自己をならふ也。』 『只管打坐』 があります。 達磨大師から始まった禅宗は、徹底して悟りを開くための修行をします。 学生の頃、禅宗は自力本願と学んだことを憶えています。 自らが自らの力で、悟りを得る修行をする宗派であることに疑いはありませんでした。 ですから、曹洞宗には開祖道元禅師の『身心脱落・脱落身心』を実証するために、昔の修行僧のように悟りへの修行に邁進している僧侶が沢山いて、日々厳しい雲水修行を頑張っているものと理解していました。 しかし、驚くかもしれません。 曹洞宗には 「曹洞宗の僧侶だから解脱は求めない」 「道元禅
2012年10月11日23:45 カテゴリ書評/画評/品評Love プロの悩み方 - 書評 - オタクの息子に悩んでます 出版社より献本御礼。 オタクの息子に悩んでます 岡田斗司夫 脱帽。これぞ岡田節。 人から相談を持ちかけられる立場の人は、必読。「自分に相談する」まで含めて。人から相談を受けることを生業としている人であればなおのこと。本書後は、本書より冴えた答えが出せなきゃおまんまの食い上げなのだし。 ただし、一点だけ注意。本書を読了したことは、あまり喧伝しないこと。相談室の本棚にこれ見よがしに置いておくのはもってのほか。 なぜか。本entryはそれについて述べる。 本書「オタクの息子に悩んでます」は、著者による新聞連載の人生相談を一冊の本にまとめたもの、かと思いきや、その人生相談をどのように作ったのか、その手口一切を公に曝したもの。 こういうのも何だが、新聞連載の人生相談によせられる悩
2007年08月06日01:30 カテゴリ書評/画評/品評SciTech 書評 - 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? 献本御礼。 脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? 前野隆司 この夏、一番怖いノンフィクション。肝試しが好きな方は、是非。 ただし、どう怖いのかは解説が必要かも知れない。なにしろ著者自身もその怖さに気がついていないふしがあるからだ。 本書〈脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?〉は、ロボット研究者という工学者である著者が、著者の研究の過程でたどりついた結論、受動意識仮説に関して広い観点から考察、検証した一冊。 それでは、受動意識仮説とは、何か。 我々のほとんどは、何かをする時に、まず「何かをしよう」と意識し、それを行動に移すのだと考えている。これが、能動意識仮説。ところが、最近その逆と考えた方がつじつまがあうという研究成果が多く出されてきた。まず行動があり、意識はその
心は、目に見えないので、行動を通して、はたらきとしてしか観察できない。それでは心のはたらきを知・情・意の三つに区分し、観察してみたらどうなるだろうか? 脳科学が主張する脳にしか心は宿らないという考えは棄却され、機械にも心が生ずる可能性がでてくる。例えば、知の側面では、人工知能はすでに人間とチェスや将棋をすることができる。つまり、一定のルールのもとで人間とコミュニケーションができる。 ロボティクス研究者である前野隆司という科学者は、いずれ、情・意についても開発可能であり、心のあるロボットをつくることができると確信している。この科学者は、茂木健一郎のクオリア論とは一線を画している。前野氏は、心を受動性のもとで捉え、自由意思を否定する。自由意思と思えるのは、環境からの刺激に対する無意識の脳内情報処理過程の結果を後で認識したものにしかすぎないと考え、「受動意識仮説」を唱え、心のはたらきを完全に物質
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