前回、前々回の22話についての感想で、「命を捨てて社会と戦う人の美しさ」と「生き残ろうとする社会の何者にもなれない醜さ」について書いた。 だが、真砂子が「全てを捨てた父は美しい棺だった」と、その美しさを全面肯定していない。冠葉が命を捨てて社会と戦って殺すのも、眞悧に陽毬を餌にされて操られているようでもある。陽毬が神様(眞悧?)に「私が見て見ぬふりをして冠ちゃんから奪ってきたすべてを、命をお返しします」と言って命を捨てる自己犠牲も、冠葉を止める事は出来ず、むしろ冠葉の憎しみをさらにたぎらせることになりそう。そもそも、番組開始前から「お返しします」という陽毬に眞悧は「君たちは決して幸せになれないよ」と告げている。 戦いの美しさ、命を捨てる人の潔さを描いているが、それを無条件に肯定してはおらず、その影の部分も描いている。 自己犠牲は美しい。だが、それが本当に良い結果をもたらすのか? むしろ、自己
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