クイーン・オブ・被害者、フランチェス子の抱えていた揉め事が長期化し、彼女がソラノートの酷い対応をblogやTwitterで訴える続けるのを見るにつけ、ネットに慣れた者ならその後に何が起きるかを容易に予想できただろう。そう。被害者叩きだw 被害者が加害者の悪辣さを声高に叫べば叫ぶほど我々の中にあった被害者への同情心は薄れていく。次第にどっちが被害者でどっちが加害者だったのか分からなくなり、やがてそのもやもやした気分は具体的行動となって牙を剥く。 ここにある錯覚の原因を述べるのは簡単だ。被害の訴えは加害者への攻撃に他ならないから、被害者がそれを為せば為すほど、両者の立場がひっくり返って見えてくるのである。仮にソラノート側がチェス子に応酬していたとしたら事態はもう少し違ったものとなったであろう。しかし連中は(チェス子によれば不誠実な)謝罪文を掲載するのみであったため、彼女の声ばかりが目立つことと