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日本といい話に関するwata300のブックマーク (3)

  • 台湾製パソコン基板、小さな字で「日本に神のご加護を」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    私たちの知らないところで、私たちの知らない人が、私たちが遭遇した困難のために祈ってくれている。東日大震災に際して、世界中の人々から多くの救いの手が差し伸べられたことは記憶に新しい。が、私たちが知らないこんな話もあった。(フジサンケイビジネスアイ) 先日、フェイスブックの会員の間で反響を呼んだ1枚の写真があった。写真は何の変哲もないただのパソコン基板。だがよく見ると小さな字で「God Bless Japan(日に神のご加護を)」と祈りの言葉が印刷してあったのだ。 基板とはパソコン内部に装填(そうてん)されている主要部品で、普段はまったくユーザーの目に触れることはない。そこに日への思いやりのメッセージがあった。 会員からは次々と「ありがとう。感激です」「感動した」など感謝のコメントが書き込まれた。同時に、いったい誰が、何のために、パソコンの内部基板にこのようなメッセージを印字したのだろう

  • 被災地の両陛下 「自分達が履く訳には・・・」とスリッパ脱がれる

    2012.2.11 被災地の両陛下 「自分達が履く訳には・・・」とスリッパ脱がれる Tweet 57コメント 1:影の大門軍団φ ★:2012/02/11(土) 16:24:01.98 ID:???0 東日大震災以来、天皇、皇后両陛下は幾度も被災地にお見舞いに向かわれた。 今あらためて被災した東北3県を取材し、お見舞いの際に両陛下と被災者の間に生まれた心温まる秘話を再現する。 東北3県のうち最初のお見舞い先は4月27日の宮城県。両陛下が同県で最初に視察された被災地、南三陸町の町長・佐藤仁氏(60歳)が振り返る。 「両陛下は町立伊里前小学校の校庭に自衛隊ヘリで降りられ、被災した市街地を校庭の隅から視察されました。 学校は高台にあり、校庭の先は崖になっているため、安全を考えて校庭の隅にある花壇の手前に立っていただく予定にしていたのですが、両陛下は崖のすぐ近くまで歩み寄られ、じっと眼下の市街地

    被災地の両陛下 「自分達が履く訳には・・・」とスリッパ脱がれる
  • 姓名が織りなす人生悲喜劇・・・・自己紹介に代えて  | 【吉備野庵】

    ★ 私の名は「銭三千年」(ぜにもと みちとし) 実名です。 実を申せば、生まれ落ちて八十余年、私が悩み続けてきたのは、この姓名でした。 漢字の組み合わせが如何にも意味ありげ。何故、このような名を・・・と、父に訊ねたことがあります。熱心な仏教徒だった祖父が仏典を開いて目に留まった字をそのままいただいたそうです。 ★ 昭和29年に同志社大学法学部政治学科を卒業して新聞記者の道を歩みました。 31年勤めた毎日新聞社を定年後、住み慣れた大阪・千里ニュータウンでの生活をたたんで、岡山・吉備高原都市へ転居しました。昭和天皇が崩御されたその日でした。 JR岡山駅に着いた時、新聞号外で、新らしい年号が「平成」と決まったことを知りました。 その平成の年数がそのまま、私ども夫の岡山生活になりました。 ★ そして、新らたに高梁市の短大に奉職。第二の人生は、教職一の道を歩み始めました。 折から国が制度化した

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