身体は、我々が扱ううちで最も精巧で興味深い装置である。 言葉で記述すれば、膨大な分量になるほど複雑な動作を、ほとんど意識することなく(あるいは、意識しないが故に)優雅にこなすことができる。 何もトップ・アスリートだけがそうなのではない。 このことは、我々がもはやほとんど意識することなしにやってのける様々な動作、たとえば歩くことを細かく見ていけば分かる。 身体がやってのけることは、当人の言葉の表現力をやすやすと超える。 「やればできる」ことも「言い表すことができる」とは限らないし、たとえ「言葉で説明できる」としても実際に「できる」とは限らない。 このことは、新しい動作を学ぶときには、しばしば障害となる。 説明下手なスポーツ指導者は、まだまだ少なくない。 当人がそれなりの競技者に育ってから(自ら選んで)出会う指導者には選別の圧力が働き、それほど下手な人物は淘汰されるかもしれないが、幼少のときに