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2007年3月6日のブックマーク (6件)

  • 政治家と株と暴力団―走って書いて30年 : オフイス・マツナガのブログ

    うちのボスとは、長年の友人というか、大先輩で、ある時は戦友、あるときライバルとして活躍された橋伸さん。正規の日共産党の党員で、赤旗編集局の顔として活躍された方です。 「は?日共産党党員と、おたくのボスは友人か?」 と突っ込みをいれる方もいるかもしれない。 確かにボスは、共産党員だったことも、共産党員になろうとしたこともないはずだ。もっともそこそこのジャーナリストで、共産党出身という人が多い。読売新聞のナベツネさんもそうだし、インサイダーの高野孟さんもそうだ。共通しているのは、みな著名で、優秀だということ。 うちのボスは、無名で、なまけもので、ろくでもない。 多分に、おもうに、共産党員になれる資格もなかったのだろう。小林多喜二のは好きだけど。 「そうだな、橋さんが、オレをオルグしてくれたらオレは共産党員になったかもしれんが、肝心の橋さんは一度も、オレをオルグしてくれなかった。おし

    政治家と株と暴力団―走って書いて30年 : オフイス・マツナガのブログ
  • 医療崩壊マップ

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  • バブルが予期せぬ形でやってくるなら、その崩壊もまた… | 本石町日記

    株価が下げ止まらない。先週で下げ相場は一服かと思いきや、この棒下げは意外であった。調整パターンもいろいろであって、いつも同じような調整になるわけではなく、今回はドカン、ドカンと下げる調整なのかもしれない。もっとも、「調整」ではない可能性もなくはない。個人的には調整(いずれ下げ止まって再び堅調地合いに戻る)の一環だと思うのだが、これは将来振り返ってしか分からない。「調整」でないとはすなわち「崩壊」である。 「次のバブルは形を変えて忍び寄ってくる可能性がある」(福井俊彦総裁)なら、そのバブルは崩壊しないと分からない。なぜなら、バブルかどうかの検証はできず、崩壊してみて「ああバブルだったのね」となるからだ。バブルが「形を変えて忍び寄ってくる」→「予期せぬ形・タイミングでやっくる」というものなら、当然ながら「崩壊」も予期せぬ形・タイミングでやってくる、そしてバブルであったことが分かるわけだ。 仮に

  • benli: 「森進一にだけ唄わせるな」というのは無理

    歌手、森進一(59)が代表作「おふくろさん」のイントロ前に無断でせりふを足していた問題で、作詞家の川内康範氏(87)が4日までに、楽曲の著作権を管理するJASRAC(日音楽著作権協会)に、森が川内氏の作品を歌唱できなくするよう訴えていたことが分かった。とのニュースが報じられています。 しかし、今日JASRACは、演奏権に関していえば、奏者との間で個別の演奏ごとに許諾契約を締結するという方式ではなく、放送局や会場経営者との間で包括的利用許諾契約を締結するという方式を多用している以上、既に包括的利用許諾を締結済みのコンサートホール等に対して「森進一に『おふくろさん』を歌唱させるな」という要求は法的にはできそうにありません。 今後のことにしても、JASRACが「場」に対する「包括的利用許諾」という枠組みを放棄しない限り、「森進一」という個人に限定して「おふくろさん」という特定の管理著作物の歌唱

  • 音極道茶室: 日本人は「ゆがんだ著作権意識」で洗脳されている

    森進一の「おふくろさん」を巡って、作詞をした川内康範が「歌詞を勝手に改変した」と激怒しているいわゆる「おふくろさん騒動」。 この騒動はいまだに収束していない様だが、この件に対する世論の反応が興味深かった。 一言で言えば「意外」だった。 まず、たまたま目にした幾つかのテレビ番組では、明らかに「川内氏擁護」の論調だった。それ以外の多数の番組でも、判断には踏み込まず単なる「揉め事」として面白がっている様なニュアンス。明確な「森進一擁護」の論調は見当たらなかった。 テレビ以上に意外だったのがネットの反応。ネットでも森進一擁護の論調はかなり少数派。 あのたけくま先生でさえ、明確に「川内氏支持」を表明 。 川内氏に批判的なスタンスなのは、自分が目にした限りでは小倉弁護士 くらいか。 日頃からラジカルな改変パロディを好み、JASRACなどの権利団体を露骨に嫌悪する2ちゃんねるの様な場でさえ森進一を明確に

  • 暴落なのに悲観が湧き上がってこない不思議。 : Espresso Diary@信州松本

    2007年03月05日23:23 カテゴリ投資と経済 暴落なのに悲観が湧き上がってこない不思議。 日経平均が17,000円を大きく割り、香港株、インド株も落ちています。ロンドンの株価指数は、いったん6,000ポイントを割り込みました。しかし、なぜか私の心には強い悲観が湧き上がってきません。9.11のN.Yテロのときには、「世界は、どうなってしまうのだろう?」という驚きと悲観がありました。ITバブルが崩壊していったときにも似たような感覚があった。いまは新興国の隆盛が脅威に感じられるほどだし、しかも彼ら彼女らの「豊かになりたい」という意欲や需要が、松の街にいても伝わってくる状態です。為替は1USD=115円で、いつ114円台に入ってもおかしくありませんが、いまは強い円高と強い株安とが一体になって進んでいますから、「やはり円安が日経済にとって良いことなんだ」という意識も同時に広がっている…と