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右翼に関するwebmarksjpのブックマーク (6)

  • 焦ると辛くて苦しい!マイペースでOK|金欠

    「借金を1日でも早く返さないと」と考えると、気持ちが滅入ってきます。 だって、そんなこと思ったところで、お給料が急に2倍になるわけでもないし、宝くじが当たるわけでもないんですから。 私は普通のOLで、手取り22万円なのに毎月30万円くらい出て行く生活を続けていました。 「ボーナスで穴埋めすればいっか」と気持ちが大きくなって、その分使う額も膨れ上がって。 カードローンでお金を借りた時も、軽い気持ちでした。 利息のことなんてあまり考えていなかったんです。 あの頃の私はホントにバカだったなと反省するばかりです。 今でこそ、無事に完済して平和な生活を送っていますが、返済生活が軌道に載るまでは、「返しても返しても借金が減らない」とかなり焦っていました。 借金を返す期間が長引くとそれだけ利息もついてまわるので、1回あたりの返済額を増やそうともしました。 でも、そうすると生活費を圧迫して、ますます気持ち

  • 教委主催の講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件。

    前書きほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー。 (厳密には、八木氏はかつてはつくる会の会長だったが、今はつくる会とは無関係) 書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。 先に書いておきますと、私は公立校勤務です。 で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。 この教育講演会(教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。 講師は八木秀次氏(日教育再生機構理事長)。 恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。 忍び寄る何か開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピックが “「不当な支配」の主体の転換” という内容。 旧教育法の、 「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」 という規定

    教委主催の講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件。
  • 「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報

    最近、「フリーター」などの若者弱者が自民党に投票したり、女性が「男女共同参画」を訴える浅野史郎ではなく、女性蔑視発言をしばしば行なう石原慎太郎に投票したりという奇妙な現象が起こっている。 多くの人々は当惑しながら「右傾化」のレッテルを貼って終わりにするだけだが、私が考えるには従来の「左翼」と呼ばれる人々が「中流幻想」からなかなか抜け出せなかったことにあることが背景にあるように思う。1970年代以降にマルクス主義の凋落によって「左翼」の学者やジャーナリストが選択した戦略が何かといえば、(1)女性の社会的な地位向上を訴えるフェミニズム、(2)中国韓国戦争被害者に対する補償を求める戦争責任論、(3)「在日」や移民の社会的権利付与を支援するマイノリティ運動などであった。こうした戦略を通じて、戦後の日社会は経済的な豊かさを達成したものの、それが様々なマイノリティを排除することによって成り立って

    「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報
  • 祖国のために命をささげるエリートを育てて血を流して戦わせよう、と主張する稲田朋美議員 - good2nd

    8月29日に開かれたシンポジウム「新政権に何を期待するか?」では「徴農」という素晴らしくキャッチーな新語ではてなユーザの心を鷲掴みにした稲田議員。多くの人が注目している彼女の主張を概観してみました。 まず注目の記事となった「新政権に何を期待するか?」では、藤原正彦氏(著書『国家の品格』では「民主主義」や「市場原理」を罵倒して「武士道」を賞賛)を引きながら、このように述べてます。 真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。 ちょっと真意がわかりにくいので、さっそく 自分自身は命を捧げないことが分かるように、使役動詞を使って主張して欲しい という提案も出されていますね。僕もそのほうが稲田議員の真意が伝わりやすいと思います。また、この id:op

    祖国のために命をささげるエリートを育てて血を流して戦わせよう、と主張する稲田朋美議員 - good2nd
  • 「民主主義よ、お前はもう、死んでいる」――グアンタナモ化した政治と敵対性の外部化について - (元)登校拒否系

    キューバのグアンタナモ米軍基地には、アルカイダとの関わりを疑われた数百人の人々が収容されています。彼らの多くは、裁判にかけられる予定もなく「無期限に収容」されています。また拷問が行われているという報告もあります。このようなことは、通常の法の枠内では正当化することが困難です。というわけで、アメリカではこのような収容が行われていいのかということが論争になっています。 ジジェクによれば、ある討論番組で、次のような収容擁護論があったそうです*1。いわく、「彼ら(囚人)は爆弾が当たらなかった者たちである」。つまり、彼らは米軍の正当な軍事活動の対象であったにもかかわらず偶然に生きのびたのだから、彼らを収容することに問題はない。どんな状態であるにせよ、死ぬよりはマシなはずだ。彼らは死ぬはずの者たちであったのだから、彼らには何をしても許される、というわけです。 日の民主主義にも、グアンタナモの囚人たちの

    「民主主義よ、お前はもう、死んでいる」――グアンタナモ化した政治と敵対性の外部化について - (元)登校拒否系
  • http://www.asahi.com/national/update/1230/OSK200712300003.html

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