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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (11)

  • 狂童日報 - 三つの格差社会

    格差社会には三つのタイプがある。かなり単純化しているので、あくまで「図式」として読んでもらいたい。 (1)ヨーロッパ型 格差社会というよりは「階級社会」である。高学歴高収入というポジションを享受するのは、一部の選ばれたエリートとあらかじめ決まっている。こうした階層化は10代後半までにすでに決定され、大学進学率もあまり高くない。その一方で、低収入低学歴の人々は、それほど一生懸命働くわけでもない。つまり社会的な地位も収入も高いが、仕事がハードで担う社会的責任も高い少数のエリート国民と、あまり地位も収入も高くないが忙しく働いわけでもない多数の一般国民に二分される。失業率は高い一方で「就業」のモチベーションも低く、失業自体は深刻な社会問題ではない。階層が世代間で継承される率も比較的高く、経済競争はエリートの「上層」が担うべきものと考えられていて、一般国民の上昇志向はあまり高くない。 (2)アメリカ

    狂童日報 - 三つの格差社会
  • 「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報

    最近、「フリーター」などの若者弱者が自民党に投票したり、女性が「男女共同参画」を訴える浅野史郎ではなく、女性蔑視発言をしばしば行なう石原慎太郎に投票したりという奇妙な現象が起こっている。 多くの人々は当惑しながら「右傾化」のレッテルを貼って終わりにするだけだが、私が考えるには従来の「左翼」と呼ばれる人々が「中流幻想」からなかなか抜け出せなかったことにあることが背景にあるように思う。1970年代以降にマルクス主義の凋落によって「左翼」の学者やジャーナリストが選択した戦略が何かといえば、(1)女性の社会的な地位向上を訴えるフェミニズム、(2)中国韓国戦争被害者に対する補償を求める戦争責任論、(3)「在日」や移民の社会的権利付与を支援するマイノリティ運動などであった。こうした戦略を通じて、戦後の日社会は経済的な豊かさを達成したものの、それが様々なマイノリティを排除することによって成り立って

    「左翼」が支持されない理由 - 狂童日報
  • 「成長」はあきらめよう - 狂童日報

    参議院選挙で自民党が大惨敗した。年金記録問題や農水相の事務所費問題という、実のところあまり議論するような中身がない問題が選挙の焦点になってしまい、自民党の「成長路線」に対する是非に関する議論がその影にかくれてしまったのが残念だった。 自民党の「成長路線」に対して、「貧富や都市・地方間の格差を拡大するからよろしくない」という野党の型どおりの批判が繰り返されたが、実のところあまり批判になっていない。自民党の執行部にしても、格差をあくまで「過渡期」だと考えている。最終的な目標は「国民全員を平等に豊かにする」ことであり、その点では野党と基的な違いはない。自民党は増税すら公約に掲げない野党の「格差是正」政策を「バラマキ型」で現実性がないと批判したが、その点に関する限りでは全くその通りで、「国民全員を平等に豊かにする」を目標に掲げる限り、やはり今の自民党の「成長路線」のほうが(もちろん無理に決まって

    「成長」はあきらめよう - 狂童日報
  • なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報

    昔ちょっと問題提起だけしてそのままになっていたのだけれど、若干だけ考えがまとまったので書いてみたい。 (1)大学生の大衆化 若者の政治運動は昔から、というか世界的に見ても学生が主体である。学生運動が最も盛んだったのは明らかに1960年代だが、今と明確に異なるのは、その頃の学生は明確にエリートだったことである。少なくとも、「末は博士か大臣か」という周囲の期待を背負いながら受験勉強をしてきた世代である。「俺たちが将来の日をリードするんだ」という意識が強く、また周囲もそのように期待していた時代には、政治や社会の問題に対して敏感に反応し、かつ行動することがある意味学生の証であるようなところがあり、また学生が熱く語る怒りや理想にも有り難味が感じられたのである。 しかし1970年代以降、大学の進学率は20パーセントを超えて大衆化し、一流大学の卒業生もほとんど平凡なサラリーマンになることが当たり前にな

    なぜ若者は政治運動をしなくなったか - 狂童日報
  • 都会と田舎のねじれ - 狂童日報

    田舎の風景がファーストフードやコンビニ、郊外大型店舗、ハコモノ公共事業などで「汚染」されているという議論は多い。「顔が見える」「人間のぬくもりがある」「情がある」など長所を強調する。しかし馬鹿を言うんじゃないという感じがする。 そんなことを主張するのは大抵都会に生活の根拠がある人である。田舎の若者の多くは、そうしたベタベタした人間関係に対して、慣れてはいるかもしれないが正直なところどこかウザイ、陶しいものだと思っている(もちろんある種の甘えだけれど)。個人的な印象だが、親や地元の悪口を語りたがるのは大抵田舎出身の人である。また都会の人だって、当の田舎に住みたいとは全く思っていない。田舎というのは商店や堂に入っても、周りの客は知り合いだらけで、外部の人は入りずらい雰囲気がある。また商店の品揃え堂の味も、はっきり言ってよくない場合がほとんどである。 ファーストフードやコンビニを批判する

    都会と田舎のねじれ - 狂童日報
  • なぜ年金未納が多いのか - 狂童日報

    自民党のぼろ負けが確実視される参議院選挙に向けて、年金問題が焦点になっている。相変わらず与党は野党の攻撃に対して「財源は何処に?」と開き直って、「景気回復で対応」などと世迷いごとを繰り返してる。年金改革の中身云々以前に、この段階で与党の言うことは全て破綻している。 そもそも国会議員たちは、なんでこんなに「未納」(3割強)が多いのかという根的な問題を真面目に考えたことがあるのだろうか。 だいたい年金というのは「老後が不安」ということを前提にしている。「老後が不安」という感情は、裏返して言えば「いまはそれなりの安定した給料をもらって働いている」からこそ、言い換えれば「定年」というものをリアルに想像することが出来るからこそ起こるものである。「来月は仕事があるだろうか」という不安を日々抱えている派遣社員やフリーターにとって「定年」など頭の片隅にすら上らないだろうし、そういう現実味のない「定年後」

    なぜ年金未納が多いのか - 狂童日報
  • 集団主義的な自己責任 - 狂童日報

    長らく「日人は集団主義」だと言われてきた。会社も学校も「個人化」しているといわれる現在、これが変わったのだろうか?繰り返すように、日の労働・経済政策に大きな発言力を持っている某社長は「過労死は自己管理の問題」とまで言い放っている。この発言は大きく非難されているが、今でもこの社長の社会的地位に全く影響が及んでいないように、非難の力は圧倒的に弱い。そう考えると、もう日的集団主義は死んでしまったのだろうか。 しかし、私のみるところ全く変わっていない。某社長など財界人の発言を聞いていると、いろいろ言っているが要するに「甘えて楽するんじゃない。もっと競争社会の中で苦労しろ」という以上のことを言っていないような気がする。つまり、「苦労して働いていないやつがいるなんてけしからん」というわけである。これが個人主義の社会だったら、人がどう働くかは個人の問題で良いも悪いもない。ヨーロッパで失業率が高い理

    集団主義的な自己責任 - 狂童日報
  • 「右傾化」の理由 - 狂童日報

    昨日赤木さんの文章を読んでいろいろ触発されたが、わかってきたのは「右傾化」の意味である。アカデミズムやジャーナリズムという場に属する人間にとっては、「右傾化」に対する批判的なスタンスはほとんど必要条件である場合がほとんどである。そのせいか専門では緻密な実証研究に従事する人でも、「偏見だらけで頭の悪い権威主義者」みたいな粗雑なイメージ(実際に粗雑ではあるが)で「右傾」を語り、そこにある歴史観を「修正主義」というレッテルで終わらせていることが多い。そして年長世代だけではなく若者までがそうした「右傾」にはまってしまうのは、今の社会に対する不安や閉塞感を打破しようと「安易でわかりやすいもの」に飛びついたからであると解釈されることが一般的である。つまり、アカデミズムやジャーナリズムは、これをどこまでも「不健全」で「病的な現象」として処理したがっているのである。しかし繰り返しになるが、「右傾化」という

    「右傾化」の理由 - 狂童日報
  • 希望は戦争 - 狂童日報

    格差社会論も傷気味と思っていたところに、『論座』1月号に赤木智弘「「丸山眞男」をひっぱたきたい」という文章を読んだ。大げさじゃなく、この1年の格差社会論で最も刺激的で面白い論文だった。 今までの格差社会論の多くは、「真面目に働く庶民」を前提とした「新自由主義」「勝ち組」批判が多かったし、フリーターやニートの問題も、「新自由主義」「勝ち組」と呼ばれる層が批判の矛先になっていた。しかしこの現役フリーターを自称する赤木という人は、「真面目に働く庶民(=労働者)」を敵視する。自分を「弱者」であるとためらわず自己定義し、怠惰なのではなく「不幸な世代」であるだけだと訴える。そうして彼は主張する。いま「平和な社会」の維持を語ることは、定職と家庭をもつ上の世代の豊かな生活を維持し、若者を家庭ももてないような弱者にとどめておく、現在の状態を維持することでしかない。それに比べれば、国民全員が平等に苦しむ戦争

    希望は戦争 - 狂童日報
  • コンビニ問題 - 狂童日報

    コンビニ 不都合な真実 (ベストセレクト 767) 作者: 月刊「ベルダ」編集部出版社/メーカー: ベストブック発売日: 2007/11/01メディア: 単行購入: 23人 クリック: 844回この商品を含むブログ (14件) を見る 2ヶ月くらい前にも取り上げたこの、ネット上で散見される評判は決して悪くないのだが、いつのまにかどの書店でも見かけなくなり、amazon書評欄もひと月以上前の1件と、完全に忘れ去られている感じになっている。まさかとは思いたくないが・・・・。 コンビニの問題点をあらためてまとめると、以下のように列挙することができるだろう。 (1)従業員を「ワーキングプア」にしている 上記のでも指摘されている通り、コンビニ企業の莫大な利益は事実上、売れ残った商品や万引きされた商品を店長の給料から天引きする「ロスチャージ」で成り立っている。しかも24時間営業のため、肩書きは

    コンビニ問題 - 狂童日報
  • 狂童日報 - 自民党の増税案について(コメント欄)

    ニートは扶養控除外 自民が検討 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060522-00000007-kyodo-pol これ自体は小さな問題かもしれないが、こういうことを考える現政権の思考様式には大きな問題がある。 そもそも増税は「余裕のあるところから」というのが大原則である。奢侈品や嗜好品の税金が高いのはそういう原則に基づいている。しかし「ニート」や「ひきこもり」と言われる人の家庭に「余裕がある」のかと言われると、実は「下層」のケースも少なくないことはよく指摘されている。「ニート」や「ひきこもり」は親も当の人も社会に出て働きたいと考えているのが普通であり、社会に出れないことへの引け目や劣等感が強い。これだけは断言できるが、「ニート」や「ひきこもり」を抱えている家族と当の人が自らを「幸福」だと考えている人はまずほとんどいないし、特に周囲は「大変ねえ」

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