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経済部の記者が「制度的に介護事業が儲からないからマトモな事業家が参入しなくて、変な奴がやっちまったんだよ」と驚くほど正論な記事を書き面白かったのでピックアップ。いやその通り。 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070615k0000m070150000c.html 最後は役所批判になっているのがアレだが、総じて高齢者の介護は世間的なニーズはあるけどそもそも社会に付加価値を与える仕事では本質的にない、だから国が制度として高齢者福祉のあり方を考えて決めましょう、しかし国庫負担を考えて年寄りに金撒くのは競争力の観点から見てもマイナスだから、ショボくてもそこそこのサービスができるようにしておくから国民の皆様方におかれましてはよろしくお願い申し上げます、という話だろうと思うわけで。 「介護難民」という書き方になっているが、老人は息子娘から切り離され
2007年09月06日15:45 カテゴリTaxpayer ベーシック・インカムに賛成するのに十分なたった一つの理由 実は、私もベーシック・インカムには賛成だ。 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」 「ベーシック・インカム」を支持します ベーシック・インカムとは、社会の構成員、全員に、個人単位で、暮らすに足る一定の収入(=ベーシック・インカム)を、定期的に現金で配るシステムを指す。その理由は、ただ一つ。 それはベーシック・インカムが、受給者、すなわちこの場合は全ての人々に、選択権を与えることと同様だからだ。 もう少しひねくれた言い方をすれば、ベーシック・インカムとは、「何が生活に必要なのか」を、支給者ではなく受給者に考えさせる仕組みとも言える。例えば同じ5万円を、そのまま渡すのと、それで食料を買って渡すのとでは、資本主義社会では意味合いが異なるのだ。 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの
先日、卒業生たちに誘われ、一緒に飲む機会がありました。 前々任校の卒業生たちで、22〜25歳の5人。皆、それぞれの“企業”に就職し、給料をもらっています。 さて、話が弾む中で給料の話題になりました。中学校を卒業後、養護学校(当時)高等部を経て、日本中の誰もが知っている外食チェーンの特例子会社に勤めているA君。勤続5年目の青年です。 霞「給料日はいつなの?」 Aくん「28日です。」 霞「で、いくらくらいもらっているの?」 Aくん「8万円です。」 …ちょっと、いや、かなりびっくりしました。特例子会社ではありますが、初任給は10万円程度あったはずです。さらに話を聞くと、最近は3時あがり*1の日が多く、家に帰るとお母さんから渋い顔をされているとか。 ここで、ピンときました。療育手帳*2を持っている人を採用した企業には、厚生労働省から助成金が交付されます。『大阪府/ ご指定のページは移転しました。』
大阪長居公園でのホームレス排除の件。 権利を主張する前に、義務をはたせ!! 人権団体が権利、権利と叫ぶが、義務を果たしてこその権利である。 基本的に権利を主張する前にまず義務を果たせと言いたい。 権利とは義務の遂行の結果に与えられる物でしょ? ホームレスと言うものは、一切の義務と責任、権利と自由を放棄しているのだから、公園に勝手に住む権利はない。 権利は、義務を満たしてこその権利であって、義務を果たさないものに権利は与えられない、表裏一体のものと考えられる。 権利と義務は反対語であるように、権利を主張するのであれば、義務は果たさないと駄目よ。 …類似の記述は他にいくらでも見つかります。どうも僕は、この種の言い回しが権力の行使を正当化する文脈で使われるのを見るたびにハラワタが煮えくりかえるようです。ホント頭きたので、権利と義務の構成についてはこれからちょっと勉強することにしようと思います。が
服役中に発見した大変な社会問題 2002年、衆議院議員が、秘書給与の流用を行い、有罪の判決を受けて服役した。それ自体は「またかよ」と言わねばならない事件だった。「いつ塀の中に落ちるか」と言われつつも決して逮捕されることなく、今や長老と呼ばれるようになった大物政治家がいることを考えれば、この議員は愚直であり「間抜けだったんだ」と片づけている人もいるかも知れない。 だが、今や元議員となった著者は、刑に服した獄中において、今現在の日本社会で進行しつつある大変な問題を発見し、俗世間へと帰還してきた。 障害者、なかんずく知的障害者によって引き起こされる犯罪である。 障害者は障害を持つが故に犯罪に走るというような単純なものではない。障害者は障害者であるが故に社会から疎外され、健全な心身の成長も、就業による社会参加をも阻まれ、その結果として犯罪の岸辺へと吹き寄せられていくのだ。 この問
今回の秋葉原の事件に「格差社会下層」に自分を「格付け」するという「物語」が深く関与していることにはどなたも異論がないだろう。 私は以前そのような「物語」が瀰漫することに、とりわけそれが「政治的に正しい」説明原理として称揚されることについてその危険を指摘したことがある。 『神奈川大学評論』という大学紀要に寄稿したものであるので、大学関係者以外には読まれた方はほとんどおられないであろうから、ここに再録する。 2007年の9月に書かれたものである。 この論考のせいで私は「保守系リベラル」「中道右派」とカテゴライズされることになった(ウィキペディアにはそう書いてある)。 ここに書かれたことのどこが「中道」なのか、どこが「保守」なのか、私にはよくわからないが。 善意の格差論のもたらす害について 内田樹 「格差」という語はそれ自体では価値中立的なものであるが、現在のメディアではこの語は中立的なものとし
(前注)いや、前からなんであの程度のものをみんなで持ち上げるのか疑問だったもので・・・。以下は反論もあるでしょうね。間違いがあれば謝罪しますが。※一部は伏字にしました。一読者 2008/05/03 11:58 正直に言えば、(売ってれば)×××××××を買ってあげられるぐらいですかね。だからこそ、たとえ焼け石に水だとしても、支援運動をやっている人をネット上で上から目線でけなすようなことはしたくないとも思います。自分は所詮、口だけの人間ですから。ちなみに、ネットでリフレのバナーを張って、誰が一人でも救うことができましたか?それこそ、自己満足もいいところでは?2008-05-01■[雑感][はげしく同意]「市民」「共生」幻想の危うさ すなふきんの雑感日記 コメント欄http://d.hatena.ne.jp/sunafukin99/20080501/1209595779#c1209783538
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「ご飯が食べたい」 空腹のホームレス、市役所で非常用の乾燥米を渡され死亡 1 名前: 名人(愛知県) 投稿日:2008/01/16(水) 03:00:35.58 ID:cQ1UkEIb0 ?PLT 浜松市で昨年11月、空腹のホームレスの女性が市役所に運ばれ、福祉担当職員らが取り囲むなか心肺停止状態となり、翌日死亡した。敷地内の路上で寝かされ、市が与えた非常食も開封できないまま息絶えた。「すべきことはやった」と市は説明する。だが、なぜあと一歩踏み込めなかったのか。 女性の死は重い問いを投げかけている。【井上英介】 市によると、11月22日昼ごろ、以前から浜松駅周辺で野宿していた70歳の女性が 駅地下街で弱っているのを警察官が見つけ、119番通報。救急隊は女性から「4日間 食事していない。ご飯が食べたい」と聞き、病気の症状や外傷も見られないことから、 中区社会福祉課のある市役所へ運んだ。 女性
「魚を取ってやるのではなく魚の取り方を教えるのだ」は最近みんなが大好きなたとえですが、実際に先進国が途上国に対してしたことは異なっていて、つまり「魚を直接取るよりも釣りざおをつくって魚と交換してもらえばよいじゃない」と吹き込んだのです。かくして魚が取れなくなって釣り人が魚を売らなくなったとき、可哀想な釣りざお職人は飢え死にしたのでした。 さて、問題はベーシック・インカムです。 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50907051.html ぼくはこんな醜悪な記事を書く人に尻尾を振る人々が全く理解できないのですが、ともあれこれはある種の主張ではあるし、ベーシック・インカムという言葉に踊らされてうっかり賛同したくなる気持ちもわからないではありません。 ポイントは、またしても「選択の自由」です。 ベーシック・インカムが始まれば、当然それで飲んで打っ
ネットカフェで暮らす「ネットカフェ難民」やファーストフード店で夜を過ごす「マック難民」といった若者たちが話題になっている。彼らはどうして「難民」になったのか。「自己責任」なのか、それとも、どうしようもないことなのか。前回に引き続き、NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長を務める湯浅誠さんに聞いた。 ――「ネットカフェ難民」といわれる人が現れたのはいつ頃からでしょうか。 ネットカフェが24時間営業を始めた最初のときから、7年ほど前からだと思います。実際に相談に来た34歳の男性は、6年~7年ネットカフェに住んでいました。実際に世間で注目されたのは2006年からですが、私たちのところに、ネットカフェから初めて相談に来たのは2003年です。かなり前から「ネットカフェ難民」はいたわけです。 私は以前、渋谷を中心に活動していた時がありました。街に野宿する若い人が増えてきて、2000年前
「VOL」(以文社)という雑誌というか出版物の第二号に、「ベーシック・インカム」の特集が載っている。雨宮処凜女史の本を読んだからかもしれないが、神保町の本屋で、何となく目について、買ってきた。冒頭に対談が出ているのだが、山森亮さんという方の話が分かりやすく、大いに興味を持った。どうやら、フィリップ・ヴァン・パレイスという人が有名らしいので、ネットで、論文をダウンロードして、斜め読みしてみた。なかなか良さそうな考え方なので、ご紹介したい。 なにせ、三日前にはじめて知った概念なので、紹介に間違いがあるかもしれないし、幾つかのバージョンがあるかも知れないのだが、気に入ったところを中心に、大雑把に、説明する。詳しくは、各種の原典、或いは、コメントとして入るかも知れない識者のご教示(宜しく、お願いします!)を参考にして欲しい。 ベーシック・インカムとは、社会の構成員、全員に、個人単位で、暮らすに足る
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