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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/matsuoka_miki (21)

  • 正しい表記をするには、最低限の「編集の基礎知識」が必要だ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■「自分に非は一切ない」というスタンス ブログ『踊る肉とパイナップル』さん(以下、「踊る肉」と略す。敬称略)が、エントリ『当ブログにおけます記事の見出し問題について (その2)』を公開したようだ。 読むと、冒頭には「今回、自分が表記法をどう改めたか?」に関する説明書きがある。 そして自分の表記法がどんな誤解を引き起こしたかについては、「具体的にどう誤解する可能性があるのかということについては,以下で例示されていますので参照してください」と、他人のブログ記事をリンクしてある。 だが、ご自分が紛らわしい表記をしたことにより、記事を読んだ人たち(私を含め)を錯誤させたことについては、「ご迷惑をかけました」的なニュアンスの言葉がまったくない。 「自分は一切、まちがいを犯してない」というスタンスだ。 ■「はてブ」の表示は今も誤記のまま だが現にブログ「踊る肉」の常識のない紛らわしい表記

  • 【流用事件まとめ】「タイトルを剽窃したアクセス稼ぎだ」の声まで出た騒動 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■「人のフンドシでアクセス稼ぎ」との意見も エントリ『私はタイトルの「所有権」を主張しているのではない』では、先日起こった「タイトル流用事件」について問題提起した。 ちなみに私の仕事仲間の、あるプロの編集者は、今回の一件を見てこう語っていた。 向こうのブログが行っている行為は、他人が作った「おいしいタイトル」を自記事のタイトルとして剽窃し、その他人が作ったタイトルの「面白さ」によって自ブログへのアクセスを呼び込む狙いがあるんじゃないですか? 上記の意見は、「引用という行為には、セオリーとしてどんな編集作業が必要なのか?」を、プロの常識(表記法のセオリー)として知っている編集者の言葉だ。 私はそこまで勘ぐってはいないが、ただし現象面だけ見ればそう疑う人が出てきても仕方がないだろう。それだけ誤解を招く表記だということだ。 また、あちらのブログは記事「当ブログにおけます記事の見出し問

  • 「面と向かって言えないことはネットで言うな」のウソ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    アメリカ人なんて、日人がとうてい面と向かって言えない音を言い合っている。あと大阪人とか。 その点、「和をもって尊しとなす」日人は、直接相手に言いたいことを言ってない。 ああ。 てことはインターネットが日人を国際化した、ってことか。大阪人はもともと国際人だしな。

    「面と向かって言えないことはネットで言うな」のウソ - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • ネガコメを元に自戒するとき、スルーするとき - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■「無意味なネガコメはスルー」が黄金の法則だ 3回前のエントリでは、ブクマ・コメントを読む側の心理を分析した。、また2回前のエントリでは逆に、書く側の論理を客観的に考えてみた。 で、まとめとして私の主観的な結論を言えば、過去にも何度か書いた通りだ。 【ご参考】 ※いずれもアスキー連載 ●『小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ』 ●『スルーが効く理由(わけ)、効く場合』 自分にとってプラスになるネガコメは取り入れ、単なるノイズはスルーする。それが黄金のセオリーです、って話である。 ■ネガコメ耐性を上げよう この間、いろんな人がネガコメに言及するのを読んだ。で、だいたい冒頭に書いた通りの結論が出たんじゃないかと思う。 ネガコメは必ず自分のところに届くものなんです。 はてブを禁止にしたら、また別の手段でネガコメを届けるだけです。(中略) だから、ネガコメを受け取りたくないという考えは諦めてくだ

    ネガコメを元に自戒するとき、スルーするとき - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • はてブにマイナス・イメージを持つ人がいるのはなぜか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■読み手じゃなく書き方が悪い場合もある 前回エントリ『「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか?』では、「はてブにはネガコメが多い」と感じる人の心理を客観的に分析した。 書いたのはあくまで読み手に関する分析だ。そこで今回は少し視点を変え、情報の受け手の側の心理に加えて書き手の問題も掘り下げてみる。 ■「批判されるのがガマンならない」人は異論を嫌う 「ネガコメが多い」てな印象論に代表されるように、はてブにマイナスイメージをもつ人は存在する。じゃあいったいそれはなぜなのか? 理由は大きく3つに分類できるだろう。まず受け手の側の問題からだ。 いちばんありそうなのは、ブックマーク・コメントで自分の記事に異論を唱えられ、それを不愉快に感じるケースである。で、はてブをネガティブに捉えてしまう。自分とは異なる意見を受け入れられないために起こる悲劇だ。 無用に挑発的で礼節を欠く表現でもない限り、コメ

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  • 「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■賛同のブクマはしても、コメントを書かないケースは多い 人間のネガティブな思考は、強いエネルギーをもっている。だからネット上で人物や意見に否定的な感情をもつと、ことあるごとに「彼」に対して嫌味や揶揄を連発するようになる。いわゆる「粘着系」の行動だ。 これは特に意見を表明するための敷居が低いネット上では、よく起こる現象である。 それに対して「好感をもちました」とか「おもしろかった」、「気に入りました」程度のポジティブな感想は、コメントとして発露しにくい。「思い」が負のエネルギーほど強くないから、単にブックマークしただけでコメントを書かずに素通りすることも多い。 よっぽど「感動した」「強く賛同します」的な気持ちが湧いた場合を除き、わざわざポジティブな意見をコメントに書くことは案外少ない。 ■9つの「無言ブクマ」より、1つのネガコメが印象に残る このネガ・ポジ比較論は、『はてブネガコメを嫌がるア

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  • ネット上で公共性はありえるか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■パブリックな精神は自律的に生まれる ITジャーナリストの佐々木俊尚さんは著書「フラット革命」の中で、『「公共性の見えない世界へ』という節を立て(P209)、「フラットな社会の中で、公共性は保証されるのか? インターネットは公共性を保証できるのか?」と問題提起している。 私は「公共性がそこにある状態」って別に誰かが与えてくれたり、システムが保証してくれるものじゃなく、「自分で勝ち取るもの」だと考えている。もっといえば、ネット上でそれは自律的に形成されて行くというのが私の結論だ。 ■公共性って「アーキテクチャー」が作るのか? 佐々木さんは同じ節の中で、2006年12月に筑波大学で開かれたパネルディスカッションの1シーンを紹介している。会場で質疑の際、ある大学院生がこう質問した。以下、同書から引用する。 たとえばアフリカの飢饉や内戦といった情報や理論を伝える媒体は、これまではマスメディアが担っ

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  • 池田信夫さんはOpenIDでOKなんですね? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■OpenIDやgooIDなどを列挙し推奨する池田さん ヤフーが1月30日、OpenIDに対応して「おっ」と思わせたが、実名派の巨頭と目されていた池田信夫さんはOpenIDを支持しているらしい。 松岡氏もDan氏も勘違いしているが、完全匿名の補集合は完全実名ではない。OpenIDでもいいし、当ブログのようにgooIDでもいい。diggやSlashdotのようにメンバーどうしで格づけして悪質なコメントを隠すしくみもあるし、Boing BoingのようなIDと事前承認の2段構えもある。何もしないと、日のウェブは芸能情報とオタク情報で埋め尽くされるだろう。 ●池田信夫 blog『ウェブを「匿名の卑怯者」の楽園から脱却させるには』(2008年2月5日付) 匿名主流だとウェブが芸能&オタク情報ばかりになるというのはよくわからないが、池田さんは完全実名派ではなくOpenIDでOKなんですね? ちなみ

    池田信夫さんはOpenIDでOKなんですね? - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • 【警察庁に電凸】新聞記事はこれだけ書き方が違う -ニュースの読み方とメディアリテラシー - すちゃらかな日常 松岡美樹

    自転車をこぎながらiPodが聞けなくなる? 私はiPodを聞きながら、郊外の緑の中を自転車で走るのが大好きだ。 ところが2007年12月27日、「走行中のヘッドホンステレオが禁止される」というニュースが流れた。大ショックである。最初に読んだのは、以下の産経新聞の記事だ。 自転車運転のルールづくりを進めていた警察庁の有識者懇談会(座長・吉田章筑波大教授)は27日、走行中の携帯電話、ヘッドホンステレオの使用禁止、保護者が幼児を乗せる際はヘルメット着用を義務付けることなどを盛り込んだ報告書をまとめた。 報告を受け、警察庁は年度内にも自転車運転のマナーなどを定めた「交通の方法に関する教則」(国家公安委員会告示)を改正する方針。(強調表現は松岡による) ●MSN産経ニュース『携帯、ヘッドホンは禁止 自転車の運転で新ルール』 あえてこの記事だけで判断してみよう。まずニュアンス的には新しく規則ができ、

    【警察庁に電凸】新聞記事はこれだけ書き方が違う -ニュースの読み方とメディアリテラシー - すちゃらかな日常 松岡美樹
    westerndog
    westerndog 2008/01/03
    「ヘッドホンステレオを聞きながら自転車で走ると、今日現在においても「道路交通法違反だ」と言う人がネット上にはたくさんいる。だがそれはデマだ」
  • ジャズ喫茶で嫌煙権は認められるべきか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ジャズ喫茶で嫌煙権は認められない (NATROM) 2007-12-29 10:36:59 ジャズ喫茶で嫌煙権は認められないでしょう。ジャズ喫茶で「お前らタバコを吸うな」などと言う馬鹿がいたら鼻で笑って「嫌なら来るな」と言えばよろしい。集合住宅のロビーのような公共の空間との区別がついていないから馬鹿なのです。 返信する 違うのは (通りすがり) 2007-12-29 10:45:10 喫煙者と非喫煙者でいちばん違うのは、喫煙者は加害者になる可能性が高いということです。 ジャズ喫茶は嫌なら入らなければそれで済みますが、公共施設は違います。立場は同じではありません。加害者になる可能性を持つ方が、引くのは人として当然ではないでしょうか? 返信する 双方ともに「相手への気遣い」が必要ですね (松岡美樹@管理人) 2007-12-29 11:55:32 みなさん、こんにちは。 書き込み、ありがとうご

    ジャズ喫茶で嫌煙権は認められるべきか? - すちゃらかな日常 松岡美樹
    westerndog
    westerndog 2007/12/29
    ピコーン!禁煙ジャズ喫茶と喫煙ジャズ喫茶を作ればいいんだ!
  • ululunさんへのお答え - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ululunさんからご質問をいただいた。私もあいにく締め切り前で時間がないので、簡潔にお答えしたい。 まずululunさんが質問状の一番目に引用されている、私の文章をよく読んでいただきたい。私はこの文中で、「ブクマ・コメントで異論を唱えるときは」と書いている。つまりこのケースは「ブクマ・コメントに限定した話」だ。 一方、ululunさんが質問状の二番目に引用されている私の文章は、ブクマ・コメントではなく私のブログ記事の一部である。よってululunさんはこの文章を指し、「上記の回答と矛盾してるのでは?」という意味のことをお書きになっているが、矛盾はしていない。 第一の理由は、私が書いたのはあくまで「ブクマ・コメントにおける話」であり、「ブログ記事も含めた一般論」ではない点だ。 ブクマ・コメントとブログ記事では、機能(文字制限の有無その他)や特性が大きくちがう。同列には論じられない。

  • 「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないよ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    「SBMではいっさい異論・反論しない」なんて私は言ってないよ。 ブクマ・コメントで異論を唱えるときは、私は相手を無用に挑発するような表現はしない──。たとえば過去の数エントリで書いた論旨のひとつはこうだ。 なんか「松岡さんがネガコメしない宣言をしたぞ」とか言ってる人もいて(※1)、一部誤解があるようだから論点を整理しておきたい。 ※1:参考「私の記事(12/12付)に対する、はてブ・ページ」 で、確認エントリを書くことにした。それが今回の記事である。 ■「ネガティブ・コメント」の定義とは? まず何度も例にあげるが、ここでいう「ネガティブ・コメント」とは便宜上、ekkenさんのカテゴライズに準じる。定義は以下の通りだ。 ------------------------------------------------- 【ネガティブ・コメントの4分類】 1. 事実確認 2. 異論・反論・批判

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  • 「仲のよさ」じゃなく「記事の内容」で繋がるSBMのコミュニケーション - すちゃらかな日常 松岡美樹

    以前、mixiに代表されるSNSは「好き」、「同じ」で繋がるファンクラブ志向だと書いた。 ●『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』(2005年-9/21) また同じ上記のエントリで、 (1)自分とAさんの意見がちがうこと(事実の提示) (2)そのちがいはどこからくるのか?(理由の分析) (3)Aさんとのちがいは自分にどんな意味があるか?(自己分析) これらを記事にし、意見が異なるAさんにトラックバックするブログというメディアは、議論志向であると書いた。 で、この両者のちがいを「人か?」「記事か?」の切り口で、うまく説明しているエントリを見つけた。ブログ「パソコンはおもちゃ箱」の『はてなブックマークコメントについて』という記事である。 ■「記事で繋がる」に初めて気づく人たち そのエントリで筆者のMarumamekoさんは、はてなユーザ以外のネ

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  • SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    前回のエントリが「モラル」とか「平等」の話と混同されそうなんで、補足記事を書くことにした。まず前回エントリを要約しておく。 ソーシャルブックマーク(以下、SBM)には、字数制限やレスをしにくい特性がある。自由で制約のない双方向の議論がしにくい。だったら私はその仕様に合う使い方をする。ゆえにSBM上では、私はネガティブ・コメントを書かない。 ●『私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由』 ここで言う「ネガティブ・コメント」の定義は、前回に引き続きekkenさんのカテゴライズに準じる。誹謗中傷だけじゃなく、相手に対する異論・反論も含んでいる。つまり相手から見て「自分に否定的なコメント」って意味だ。 で、これらのうち、異論・反論は正当で有意義なコメントだと私は考えている。ああ、「正当」って言葉を使うと、またモラルの話とカン違いする人がいそうだ。表現を変えよう。 相手に異論を言うこ

    SBMのネガコメは「言わせてもらうが反論するな」メソッドだ - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    私は議論が大好きな人間だ。だけど個人的信条として、相手の反論権が担保されない場では相手に対して否定的なことはあまり書かない。いや別にモラルがどうたらの話じゃない。反論がこない状況では、議論にならないから気が乗らないのである。 ソーシャルブックマークのコメント欄は文字数制限があることと、レスを返せないという2点がブログ体のコメント欄より劣っており、それがブロガー自身に悪印象を与えるようなコメントに結びつくことも多いのではないだろうか。 ●北の大地から送る物欲日記『ブックマークコメントを見る視点での違い』 文中で筆者のhejihoguさんは、ネガティブ・コメントを4つに分類した上でこう分析している。おおむね同意できるご意見だ。ソーシャルブックマーク(以下、SBM)は機能上、自由に相手と往復書簡を送り合い議論する仕様になってない。 だからブクマ・コメントで異論・反論を述べられると、批判された側

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  • ソーシャルブックマークで忘れがちな3つのこと - すちゃらかな日常 松岡美樹

    インターネット上では時と場合によって、個室にいる感覚と広場にいる感覚の区別がつきにくい。特にソーシャルブックマークを使っている時にそれが顕著だ。その意味でブクマ・コメントを書くときに、うっかりしがちな3つのケースをあげてみよう。 ケース1. そのコメントは、「ブクマした記事の筆者人も読む」ってことを忘れてる 「あっ、これ人が読むんだな。やべっ」と思って書き直したりするのがこのパターンだ。不特定多数の第3者にコメントが公開されることは意識してるのに、なぜかブックマークした記事の筆者人が目にするんだってことが頭から抜けている。 ブクマ・コメントで記事に批判的なことを書いた人が筆者に直接からまれた時、「ええっ? ブクマくらいでなに怒ってんの? 怒らないでくださいよっ」などと意味不明なことを言ってごまかそうとするのがこのケースだ。 筆者人が読んでることをすっかり忘れているために、いざその筆

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  • ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ソーシャルブックマーク(SBM)はプライベートな空間か? それともオフィシャルな場なのか? あなたはどう思いますか? 人によってはソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考えて、人の目に映ることを考慮したコメントをする人もいるけど(私はこっち)、素直に自分の思いをぶちまける人も多い。 ●北の大地から送る物欲日記『ブログとSBMに見るコメント欄の違い』 (以下、次の引用も同エントリから) 筆者のhejihoguさんは、ソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考える人のようだ。私もそうである。ただ、そうなんだけど、「そうじゃないような感じ」に囚われる瞬間がよくあるのも事実だ。 ブクマ・コメントを書いてる最中にふと、あたかもそれが自分のプライベートなスペースであるかのような錯覚に陥るのである。 すると、どうなるか? よくソーシャルブックマークのコメント欄は酷いという指摘があっ

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  • 実名制度は集合知の多様性を奪うか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ブログ「福田::漂泊言論」さんからトラックバックをいただいた。ポイントは集合知の定義や解釈に対する疑問だ。論点が微妙に実名制度から逸れてるんだけど、まあこれはこれでおもしろいからいいや。 さてブログ「福田::漂泊言論」の筆者の福田さんは、私がエントリ『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』で書いたのとは逆に、「多様性がなければないほど『集合知』の価値が上昇すると言えると思います」と言う。 じゃあまず、私が書いた集合知のくだりを引用しよう。 インターネット上に存在するデータ(文章その他)は、集合知である。集合知は、束ねられた意見の数が多ければ多いほど価値が増す。また、そこに集積された意見が多様であればあるほど意義深いはずだ。それが実名でなされたものか? それとも匿名か?なんて関係ない。 ■『インターネットの「リアル世界化」は正解か?』 福田さんはこの論述に対し、次のように疑問を投げかけ

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  • 誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ブログ「福田::漂泊言論」さんから、エントリ『小倉さんへの異論が批判力を持たない理由』をトラックバックしていただいた。 文中ではいろんな論点が提示されており、あれこれ考えるきっかけになった。やはり他人の異論を聞けるのは有益だ。 では結論を先に言おう。こうした小倉さんへの擁護論には説得力がない。その理由は「誰のための実名制か?」という根的な疑問を、無視できない数の人が抱いているからである。 では読ませていただいたエントリ『小倉さんへの異論が批判力を持たない理由』の文脈を追いながら、考えてみよう。 まず第一の疑問は、ブログ「福田::漂泊言論」さんの現状認識である。同エントリでは随所に気になる表現が散りばめられている。そこで文頭から順に【ポイント】として上げていく。各引用文の下段の文章は、私の感想とツッコミである。 【ポイント1】 小倉さんの、匿名問題を扱った幾つかのエントリをめぐって、一部の

    誰のための実名制か? ~小倉さんへの擁護が説得力を持たない理由 - すちゃらかな日常 松岡美樹
  • 小倉さん、印象操作はほどほどに - すちゃらかな日常 松岡美樹

    弁護士の小倉秀夫さんが、ブログの最新エントリ(7/22現在)でこうお書きになっている。 これからブログを開設しようという人に対しては、私はむしろ最初から実名で始めることを勧めます。(後略) ■『初心者にこそ実名でブログを開設することをお勧めする』(la_causette) いやあ実名でブログをやるなんて、私は真っ向から反対しますよ。だって小倉さんみたいな人が印象操作(または甚だしい誤読)をして、他人の記事や筆者の人格を貶めるんだもん。 別に私は気にせずスルーするけど、初心者がコレやられたらそれこそ心神耗弱状態になっちゃいますよ。まじめな話。 というか、小倉さんの以下のエントリを読んだ出版社の方たちが「松岡ってこんな人間だったのか?」と誤認され、私にいっさい執筆依頼がこなくなったら、小倉さんはどう責任をお取りになるのでしょうか? 私は実名でブログ(を含めた原稿書き)をやってるんで、そういう事

    小倉さん、印象操作はほどほどに - すちゃらかな日常 松岡美樹