ブックマーク / dennou-kurage.hatenablog.com (18)

  • 読んだ本の内容は忘れてしまってもいい - 脱社畜ブログ

    読書にまつわる意外とポピュラーな悩みに、「読んだの内容をすぐに忘れてしまう」というものがある。 そういう経験は僕にもある。たとえば、友人と雑談をしていて、友人が既に自分が読んだことがある小説を最近読んだ、という話をしてくる。「あ、それ、僕も読んだ!面白かった!」と反応するまではいいのだが、いざ小説の内容の話になってくるとほとんど何も思い出せない。面白かった、ということだけは覚えているのだが、それ意外の具体的なことがほとんど出てこないのである。もしかして、その小説を読んだという記憶は嘘だったのかと思い読書メーターで検索してみると、5年前にしっかり「読了」していることが確認され、自分の記憶力に自信がなくなってくる。 この傾向は30歳を超えたあたりから特に顕著になってきていて、この前なんて「読んだ」という事実自体まで忘れていて(読み終わり、初めて読んだと思って読書メーターに登録しようと思ったら

    読んだ本の内容は忘れてしまってもいい - 脱社畜ブログ
  • 『情報の文明学』(梅棹忠夫)の予言は現在も着々と実現されている - 脱社畜ブログ

    アルビン・トフラーが1980年に『第三の波』によって情報化社会の到来を予言する17年前、日で既に情報化社会の到来を予言していた人がいた。民族学・比較文明学者の梅棹忠夫である。その世界的に見ても歴史的だといえる論文「情報産業論」が、書『情報の文明学』に掲載されている。 情報の文明学 (中公文庫) 作者: 梅棹忠夫 出版社/メーカー: 中央公論新社 発売日: 1999/04 メディア: 文庫 購入: 11人 クリック: 617回 この商品を含むブログ (91件) を見る 書は、色んなところで度々言及されるので、存在自体は知っていたのだが通読したのは実は今回がはじめてだった。 長い間手に取らなかったのは、恥ずかしながら「古いだし、いまさら情報化社会とか言われても」という先入観を持っていたからだと思う。この手の「的中した予言の」はたしかにスゴイことにはスゴイと感じるのだが、いわゆる「予言

    『情報の文明学』(梅棹忠夫)の予言は現在も着々と実現されている - 脱社畜ブログ
  • 情報収集手段をひとつに絞るのは愚策 - 脱社畜ブログ

    以下の記事を読んで。 テレビを見ない人がいるなんてびっくり - Chikirinの日記 僕はほとんどテレビを見ないのだけど、それはあくまで「ほとんど」であって「まったく」見ないわけではない。ちきりんさん同様、リアルタイムで見る番組はほとんどないのだけど、毎週録画すると決めている番組もあるし、番組表を眺めていて気になった番組はとりあえず録画している。情報の収集手段としてテレビを遮断したわけではない。 それと、テレビ以外の情報収集手段として、最近になってまた新聞を取り始めることにした。新聞については以前「新聞はとにかくインタフェースが悪すぎる」という記事を書いたことがあり割と否定的だったのだけど、今ではちょっと考えなおして結構いいものだと思っている。家でダイニングテーブルに広げて読む分にはあの大きさでもいいと思うし、そうやってスペースを最大限に使って読むことを考えると、あの新聞のレイアウトもだ

    情報収集手段をひとつに絞るのは愚策 - 脱社畜ブログ
  • ネットの揉め事のほとんどは片方がスルーすればそれで終わる - 脱社畜ブログ

    なんとなくネットを巡回していたら以下の記事を見つけた。 揉め事は外からウォッチャーとして見ると面白いが、当事者はたまったものではない - 感謝のプログラミング 10000時間 最近はそんなに熱心にはてブを見たりしていないので、はてなで揉め事があったと聞いてもあまりピンと来ないのだけど、別にこの件にかぎらずネットで揉め事っぽいやりとりをしている人はよく見かける。 僕も元記事の浅井さん同様、揉め事には基的に巻き込まれたくない。第一に、揉め事は疲れる。時間とエネルギーを失う。時には信用も失う。わざと揉め事を起こすことでPVを稼ぐいわゆる「炎上商法」という手口があるが、はっきり言って割に合う話ではないと思う。ネットは話題の消費スピードが異常に早いので、意図的に燃やしたところですぐ火は消える。あるいは、そのうち他所でもっと大きな火事が起こってそちらに人が移動してしまう。 ネットで揉め事に巻き込まれ

    ネットの揉め事のほとんどは片方がスルーすればそれで終わる - 脱社畜ブログ
  • 「ただの知識」だけ学校で教えてもあまり役には立たない - 脱社畜ブログ

    ちきりんさんが、何やらまた議論を呼びそうな記事を書いていた。 下から7割の人のための理科&算数教育 - Chikirinの日記 そして、有力な批判はこちら。 ちきりん氏のお粗末な科学教育論 - バッタもん日記 ちきりんさんのパーソナリティに言及した部分はともかく、ちきりんさんの意見に対する批判については、僕もこの方とほぼ同意見である。どんな職業についてる人でも、今の仕事に100%役立つことだけ学んできたなんてことはありえないし、少なくともそういう最適化を高校生ぐらいまでにしてしまうことは、最適化をしていると見せかけてただ単に自分の可能性を狭めているだけだ。 この議論を見ていてしみじみと感じるのは、「ただの知識」と「体系的な知識」では有用性がぜんぜん違う、ということだ。例えば、ちきりんさんは学校では「生活するために必要な科学知識」として以下のようなものを教えるべきだと主張している。 ・リボ払

    「ただの知識」だけ学校で教えてもあまり役には立たない - 脱社畜ブログ
  • 「努力する」のは最後の手段 - 脱社畜ブログ

    努力は大切だ。そんなことは、わざわざ言わなくても誰でも分かっている。仕事でも勉強でも、頭ひとつ抜き出た結果を出したいのだったら、多かれ少なかれどこかでは努力しないといけない。活躍している人は、やはりどこかで努力はしている。悲しいけど、世の中は概ねそういうことになっている。 ただ、このように努力の価値が重要だと思う一方で、僕は安易に努力してしまうというのもあまりよろしくないと思っている。努力しなくて済むなら、なるべく努力はしないほうがいい。努力するのはなるべく先延ばしにして、当に努力しないとどうしようもない段階になってはじめて努力する――そんなふうに、努力するのは「最後の手段」にしておいたほうが、実はよいと個人的には思う。 なぜこんなことを言うのかというと、努力そのものが目的になってしまっているような人を割と頻繁に見かけるからだ。僕がまだ会社で働いていた時の話だが、ものすごくやる気に満ち満

    「努力する」のは最後の手段 - 脱社畜ブログ
  • 定時帰宅を「プラス評価」する仕組みが必要 - 脱社畜ブログ

    東洋経済オンラインの連載でも書いたが、日の会社では「残業」は基的に努力の証明で、やればやるだけ「頑張っている人」ということになる。 「残業しない=頑張ってない」という迷惑な妄想 | あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。 | 東洋経済オンライン 連載記事では、このように残業が「プラス評価」されてしまうことの問題について書いた。これが不当だというのは何度でも繰り返し言い続けたいと思うのだけど、今日は少しだけ別な角度からこの問題を見てみたい。 唐突だがひとつ質問をさせてほしい。あなたの会社では「定時帰宅」をする社員はどのような評価を受けるだろうか?怠け者である、協調性がない、社会人としての常識に欠ける…といったネガティブな評価が下されるという会社はひどい会社だ。別に、いい評価も悪い評価も受けない、というのはまあ普通の会社だ。建前上はいい評価も悪い評価も受けないという会

    定時帰宅を「プラス評価」する仕組みが必要 - 脱社畜ブログ
  • 日本人は契約内容以上のサービスを相手に求めすぎ - 脱社畜ブログ

    会社で働いて給料をもらうのも、あるいは牛丼屋で280円の牛丼を注文してべるのも、その根底には「契約」が存在している。 「契約」というのは、大雑把に言ってしまえば約束のことだ。会社員は雇い主に対して一定の労務を提供し、雇い主はその対価として賃金を払うことを約束する。牛丼屋は客に注文されたサイズの牛丼を提供することを約束し、一方で客はその対価を支払うことを約束する。 お互いがお互いの義務について約束をすることで、契約は成立する(双務契約の場合)。そして、この約束した義務にない行為は、しなくても契約という点からは咎められることはない。労働者は最初に約束した時間の範囲で労務を提供すればいい。牛丼屋も、牛丼を提供して客がべられるような状態にすればいい。定時後や休日に無償で働いたり、笑顔で一緒にあたたかいお茶を出したりしなくても、「契約」上の義務は十分に果たしている。 しかし、現実にはこういう「契

    日本人は契約内容以上のサービスを相手に求めすぎ - 脱社畜ブログ
  • いい仕事をすればするほど、仕事はつらくなっていく - 脱社畜ブログ

    あなたが日の会社に就職して、ものすごく仕事を頑張ったとする。 単に精神論として頑張ったというだけではなく、実際に成果もたくさん上げて、会社にも多くの利益をもたらした。その結果、あなたは見事同期の中で一番仕事ができる人と評価されたとしよう。 当然、会社はそんなあなたの働きに対して、見返りを与えることになる。素朴に考えると、これは給与に還元されるのが正当なように思える。自分が同期の10倍ぐらい会社に貢献しているというのであれば、給料も10倍ぐらいになる……とかだったら、あなたの懸命な仕事も報われると言えそうだ。 しかし、現実にはそんなことはありえない。日の会社の多くは、仕事ですばらしい成果を上げた人間には、役職を上げてさらに難易度の高い仕事を与えるという報い方をする。給料も少しは上がるかもしれないけど、それ以上に仕事の量、責任の重さがグッと上がって、仕事はどんどんしんどくなっていく。 別な

    いい仕事をすればするほど、仕事はつらくなっていく - 脱社畜ブログ
  • 「論理」だけで人は説得できない - 脱社畜ブログ

    他人を説得しようとする時に、その人を「論破」してしまう人がいる。 そうしたくなる気持ちもわからないではない。「説得する」というのはすなわち相手に意見を変えさせるということなので、素朴に考えると相手に意見を放棄させればいいということになる。もっとも、このやり方がうまくいくことはそんなにない。どんなに正論でも、意見を否定されると人はいい気持ちにはならない。実際にはそれはあくまで「意見」の否定でその人の「人格」を否定したわけではないのだけど、多くの受け手はそんなふうに好意的に解釈をしてはくれない。 AさんとBさんがお互いの意見を聴衆に向かってスピーチして、聴衆がどちらか正しいか決める、というのであれば「論破」もいいだろう。AさんがBさんを論破した結果、Bさんはとても嫌な気分になるかもしれないけど、この場合の意思決定権者はBさんではないのでまあ問題はない。しかし、「説得」の場合は意思決定をBさん自

    「論理」だけで人は説得できない - 脱社畜ブログ
  • 講義がネット配信されても、たぶんそんなに教育のあり方は変わらない - 脱社畜ブログ

    はてブのホットエントリーを眺めていて、明治大学が経済学の講義をネット配信しているのを知った。 経済学入門テキストをあれこれ買い込む前に・・ http://sura-taro.hatenadiary.jp/entry/2013/11/10/190849 大学の講義がiTunes Uで配信されているという話はどこかで聞いて知っていたのだけど、海外の大学の講義ばっかりだろうと勝手に思い込んでいた。やはりボリュームとしては海外の大学の講義が圧倒的なのだけど、さっき見てみたら日の大学の講義も色々とある。多いのは公開講座とか特定のテーマについての講義で、まだ体系的な学習をネットだけで完結させるのは難しそうだが、これからもどんどん配信される数は増えていくことが予想されるので、いずれはある分野の基礎が一通りネットの講義だけで学べるような時代が来るのかもしれない。 ネットで大学の講義が配信されるのは、非常

    講義がネット配信されても、たぶんそんなに教育のあり方は変わらない - 脱社畜ブログ
  • 有給休暇の買い取り解禁で本当に年収は上がるのか - 脱社畜ブログ

    数日前に話題になっていた以下の「有給買い取り解禁論」について。 有給休暇買い取り解禁すれば取得日ゼロの人は年収37万円増も http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131021-00000009-pseven-soci この記事でも言及されているし、拙著『脱社畜の働き方』にも少し書かせてもらったのだけど、日人の有給休暇消化率は諸外国と比べて実際かなり低い。多くの人が、付与された有給を使い切ること無く消滅させてしまっている。有給が使えないまま消えていくのを、ただ見ているだけというのは非常に切ない。「どうせ使えないのであれば、せめて買い取ってくれよ」と思いたくなってしまう気持ちは現場レベルではよくわかる。 現状では、有給休暇の買い取りは退職時の一括消化の場合などを除いて禁止されている。元記事は、これを高度経済成長期にできたルールであり今は妥当しな

    有給休暇の買い取り解禁で本当に年収は上がるのか - 脱社畜ブログ
  • 仕事の分担が下手な組織、多すぎませんか - 脱社畜ブログ

    前回(「生産性の概念の欠如」はなぜ起こるのか)に引き続き、今日も組織の生産性について少し考えてみたい。 前回は、日型の組織ではそもそも個人レベルで生産性を上げるインセンティブがないという点について言及したが、組織の生産性が上がらない理由は他にもある。一言で言ってしまうと、生産性が低い組織は、多くの場合仕事の分担が下手だ。特に、組織が大きくなればなるほど、ヘンテコな仕事の分担が目立つようになる。組織全体で適切な仕事の分担がされないと、どんなに個人が生産性を意識するようになっても、組織の生産性が低いという状況はなかなか改善されない。 ある程度のサイズの組織を眺めていると、「タスクの偏在」を実感することがよくある。組織の構成員全体に均等に仕事が割り振られている、という状態は基的にはあんまりない。これは公務員になった知り合いに聞いた話なのだけど、その人は毎日自分のする仕事がなくて途方にくれてい

    仕事の分担が下手な組織、多すぎませんか - 脱社畜ブログ
  • 「生産性の概念の欠如」はなぜ起こるのか - 脱社畜ブログ

    以下のちきりんさんの記事について。 「生産性の概念の欠如」がたぶんもっとも深刻 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131015 ちきりんさんのおっしゃるとおり、「生産性の概念の欠如」に陥っている職場は日には多い。お役所なんてのはその最たる例だが、民間企業でも「生産性」という概念が根付いている職場はあんまりない。僕の前職は比較的生産性にはうるさい職場だったのだけど、いわゆる大企業に就職したり公務員になった友人に会ったりすると、結構な割合で組織の非生産性について愚痴を聞かされる。 では、こういった「生産性の概念の欠如」は、なぜ起こるのだろうか。ちきりんさんの記事だと (…)会社側に加え働いてる側にも「労働時間が減ったら困る」みたいな感覚がある。「残業代でローンと教育費を払ってます。なので、労働時間、短くなるの困ります」って・・・。 そこには、「働く時間を2割減

    「生産性の概念の欠如」はなぜ起こるのか - 脱社畜ブログ
  • メディアリテラシーを身につけるために大切にしたい考え方 - 脱社畜ブログ

    数日前に話題になった記事。 「まとめサイトに洗脳された大人」と「まとめサイト思想に染まる若者たち」 http://bayaread.hatenablog.com/entry/2013/07/04/004426 「マスコミの偏向報道」を声高に叫ぶ人に限って、ネットに書いてあることは何の確認もなしに受け入れていたりする。テレビや新聞の言うことを無批判に受け入れるのも、ネットに書いてあることを無批判に受け入れるのも、ある特定のメディアの内容を自分で吟味せずにそのまま取り入れてしまっているという点では何も変わらない。ネットの情報に精通しているからと言って、メディアリテラシーが高いということには当然ならない。 テレビにせよ新聞にせよネットにせよ、メディアの情報を適切に読み解く、つまり「メディアリテラシー」を身につけるためには「自分で考える」ことが必要不可欠だ。ただ、「自分で考える」といっても、漠然と

    メディアリテラシーを身につけるために大切にしたい考え方 - 脱社畜ブログ
  • やる気が出ない時に一番してはいけないこと - 脱社畜ブログ

    昨日ぐらいから無気力状態が続いて、何にもできずに困っていたのだけど、ようやく少しずつ気力が戻ってきたのでリハビリも兼ねてブログの更新などしてみようと思う。 やる気が出なくなることは年に数回ぐらいほぼ必ずあって、やる気がなくなってきたら「そういう時期が来たか」と思うようにしている。どうも僕は気分がかなり天気と連動する気質の持ち主のようで、例年梅雨の時期になると結構しんどい。『南の島のハメハメハ大王』の歌詞には「雨が降ったらお休みで」という部分があるけど、これはなかなか合理的だと思う。雨が降ったら、何もせずに家で大人しくしていたほうがいい。 やる気が出ない時に一番してはいけないことは、無理にやる気を出そうとすることだ。やる気を出そう出そうと焦ってしまうと、やる気が出ない自分が許せなくてますますやる気が出なくなったりする。これは、眠れない夜に無理に眠ろうとして、逆にどんどん眠れなくなってしまうの

    やる気が出ない時に一番してはいけないこと - 脱社畜ブログ
  • 「自分を捨てる」研修と「理不尽」について - 脱社畜ブログ

    以下の記事を読んだ。 駅前で自己紹介、人前でゴリラのモノマネ… 「自分を捨てる」研修に出たくない! http://www.j-cast.com/kaisha/2013/06/10176933.html おそろしい。研修内容もおそろしいが、それ以上におそろしいのは、こういった研修に出たくないという質問者を、「甘え」とか「辞めたほうがいい」といって罵倒している回答者が存在することだ。こんな頭のおかしい研修が、なんで肯定されているのか理解に苦しむ。 こういう研修を肯定する人たちは、「仕事に理不尽はつきものだ」「このぐらいの理不尽に耐えられないようでは、仕事の理不尽には耐えられない」というようなことをよく言う。僕はこのような考え方は、根的なところで大きな間違いを犯していると思っている。 間違いだと思うのは「理不尽は耐えなければならない」という認識のことだ。理不尽が横行している組織にいると、いつし

    「自分を捨てる」研修と「理不尽」について - 脱社畜ブログ
  • 「体育会の部活型組織」に未来はない - 脱社畜ブログ

    「会社って要するに、体育会の部活なんですね!」:日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130329/245846/?rt=nocnt 僕は根っからの文化系で体育会的な集まりには近づかないことを第一の行動原理としてこれまでの人生を送ってきたので、記事のタイトルを見た時は思わず震えたものだが、読んでみると結構面白かった。 確かに、今までの「ニッポンの会社」はこの「体育会の部活」と同じようなシステムで動いている会社が少なくなかった。新卒入社後の社員はひたすら下働きで、先輩のいうことにはそれがどんなに理不尽であっても逆らわずに従う。それが社会人のオキテだと教えられる。自分の意見を主張するような新人はとにかく疎まれ、出世するのはただただ素直で、礼儀正しい人である。仮に個人的に能力が高くても、協調性に欠ける人間が報われ

    「体育会の部活型組織」に未来はない - 脱社畜ブログ
  • 1