映画に関するwfwfのブックマーク (94)

  • ダーティ・ダンシング/ミーン・ストリート〜史上最高のラブソング「Be My Baby」

    『ミーン・ストリート』(Mean Streets/1973) 『ダーティ・ダンシング』(Dirty Dancing/1987) これから観る映画のオープニングに、期待に胸躍らせる人は多いと思う。 ──長い予告編が終わってスクリーンが広がり、映画会社のロゴマークが現れていよいよ編が始まる。これから映し出される物語の入口。観る者の心の鼓動を左右する大切な数分間。 そんな中、誰だって釘付けになるような、ひときわ印象的なオープニングを放つ映画がある。その余韻が次のシーンになっても呼吸していて、全編に渡って一貫したスピリットを与えている。 今回紹介したいのは、ジャンルはまったく違うのに奇しくも幕開けに“同じ曲”を使用した映画2。その曲があったからこそ、長く語り継がれるような作品になっているかもしれないほど、そのオープニングのインパクトが余りにも大きい。曲と場面が完璧に溶け合っていて、何年経っても

    ダーティ・ダンシング/ミーン・ストリート〜史上最高のラブソング「Be My Baby」
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    wfwf 2015/08/31
    何て甘美な「Be My Baby」♪
  • ジョン・ベルーシとダン・エイクロイド〜旅と悲しみから生まれたブルース・ブラザースの絆

    マンハッタンの秘密基地とブルース・ブラザース 俺たちはそろそろ作られた道化はやめるべきだ。俺たち自身が楽しめてその役になりきれる。そんなことをやろうぜ、ダニー。俺はお前と一緒に何かやりたいんだ。何かこう最高にハッピーなれることを! 1978年4月、NYマンハッタンのロックフェラー・プラザ30番地にあるRCAビルの17階。その日の夜もダン・エイクロイドとジョン・ベルーシは、フロアの片隅に設けらたロッカーを並べて作った自分たちの場所で、75年10月の放映以来、全米で最もヒップな番組となっていた『サタデー・ナイト・ライブ』(以下SNL)の新しいアイデアや台書きに余念がなかった。人気者になった二人は、家にもろくに帰らずにここで過ごすことが多かった。 脱ぎ捨てられた洋服や膨大な殴り書きのメモ、煙草の吸い殻やオモチャの模型で埋められたその薄汚れた空間は、二人にとっては夢のようなツリーハウス(木の上に

    ジョン・ベルーシとダン・エイクロイド〜旅と悲しみから生まれたブルース・ブラザースの絆
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    wfwf 2015/08/29
    ブルース・ブラザース誕生秘話。
  • さらば青春の光〜“完璧な10代のライフスタイル”を追求したモッズ族

    『さらば青春の光』(Quadrophenia/1979) それは1973年の初め、暗く冷たい冬の夜。27歳だったピート・タウンゼンドが自宅のコテージに一人座りながら、記憶の旅に出たのが始まりだった。 新しい音楽と物語の構想に明け暮れていたピートの心に、突如として1964年のブライトン・ビーチでの想い出が蘇ってきたのだ。自分はロックスターとしてではなく「ファンの担い手となるべき」と考えていたピートは、ノートに一人のモッズ少年を主役にした風景を綴っていく。 その新しい音楽と物語である『Quadrophenia』(四重人格)は1973年10月にリリースされ、大ヒットを記録。ブックレットには写真家イーサン・ラッセルによる40ページものモッズ族のフォト・ストーリー(下の写真)が収録され、ピートが心に描いた風景をヴィジュアルとして見事に再現していた。 それから6年後、パンクを機に音楽シーンが若返ってい

    さらば青春の光〜“完璧な10代のライフスタイル”を追求したモッズ族
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    wfwf 2015/08/26
    モッズのバイブル。
  • ハーダー・ゼイ・カム〜持つべき権利のために搾取体制と闘う姿を描いたレゲエ映画の名作

    『ハーダー・ゼイ・カム』(The Harder They Come/1972) カリブ海に浮かぶ小さな国ジャマイカで、1972年に初めての自国製作映画が劇場公開されようとしていた。 カリブシアターの前は上映数時間前から数千人もの人々で溢れ返り、座席を求めてパニック状態。ドアやフェンスは破壊され、劇場内では一つの席に3人が座っていたという。それから多くの観衆はスクリーンに熱い声援と限りのない共感を送りながら、“自分自身”を見つめることなった。 ジャマイカ3部作を構想していたんだ。第1作は都会を舞台に、第2作は田舎を。そして第3作は国を動かそうとする都会と田舎の人間の精神のぶつかり合いを描こうと思っていた。 『ハーダー・ゼイ・カム』(The Harder They Come/1972*日公開は78年)を製作・監督したペリー・ヘンゼルは、ビジネス目的の白人としてではなく、自国の文化を愛する一人

    ハーダー・ゼイ・カム〜持つべき権利のために搾取体制と闘う姿を描いたレゲエ映画の名作
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    wfwf 2015/08/19
    これはレゲエとともに立ち上がった、権力や体制との闘いの物語だ。
  • ピート・タウンゼンド〜真冬のコテージで綴り始めた『四重人格』

    ピート・タウンゼンドが真冬に綴ったモッズ少年の物語『四重人格』 1973年初め。暗く冷たい、冬の週末の夜。 27歳のピート・タウンゼンドは自宅のコテージに一人座り、逆巻く川や隙間風の音を聞きながら記憶の旅に耽っていた。ここ数ヶ月もの間、家族や友人、バンドとステージにいる時でさえ、新しく生まれつつある“音楽と物語”のことが頭と心から離れない。しかし、今夜は違った。 1964年。私はアートスクールの友人と一緒に、ブライトンの桟橋の下で数時間眠ったところだった。友人の名前はリズ・リード。ストロベリー・ブロンドの可愛い子だった。 突如として、19歳だったあの日が蘇ってきた。二階にはや子供たちが眠っている。ピートはノートをつかむと、何かに取り憑かれるように走り書きを始めた。この悲しくロマンチックな気持ちのまま綴りたかった。ジミーという名のモッズ少年の物語。ロックオペラ『Quadrophenia』(

    ピート・タウンゼンド〜真冬のコテージで綴り始めた『四重人格』
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    wfwf 2015/08/15
    「怒れるゴロツキ」から「ファンの担い手」へ。
  • 愛と呼ばれるもの〜23歳で逝ったリバー・フェニックスの遺作

    『愛と呼ばれるもの』(The Thing Called Love/1993) 若くして亡くなった映画スターたちと言えば、真っ先に思い浮かぶのがジェームズ・ディーン(享年24)。彼がもっと生きていれば、一体どんな作品を届けてくれていたのだろうか? ヒース・レジャー(享年28)やブルース・リー(享年32)、ジョン・ベルーシ(享年33)などにも同じことを想う。1980年に50歳で逝ったスティーブ・マックイーンなんて、きっと今頃は世界最高の名優として君臨しているはずだ。 そんな中、1993年10月にわずか23歳という若さでドラッグが原因で命を落としたリバー・フェニックスのことが忘れられない。この若者がもし生きていれば50歳過ぎ。キャリア最高の作品に出演して、我々を楽しませたり感動させてくれていると思うと、当に残念でたまらない。 リバーの遺作として知られる『愛と呼ばれるもの』(The Thing

    愛と呼ばれるもの〜23歳で逝ったリバー・フェニックスの遺作
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    wfwf 2015/08/12
    音楽の聖地ナッシュヴィルでの物語。
  • ラブ&マーシー 終わらないメロディー〜ビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンの物語

    『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』(LOVE&MERCY/2015) 1982年11月、ビーチ・ボーイズのメンバーから「解雇」を言い渡されたブライアン・ウィルソンは、その言葉がしばらく理解できなかった。「ビーチ・ボーイズを創ったのは僕なんだぞ!」と叫んでも、ドラッグやアルコールに溺れた退廃的な生活のせいで、遂に体重150キロ以上にまで達した彼の姿は、まるでグッドイヤーの飛行船のような身体だった。 当時の僕は、ドラッグ・トリップを繰り返す不幸な60年代を引きずったままの麻薬常用者だった。僕は深い霧のかかったような状態の中で生きていた。 頭の中に入ってくる知覚や心象は、理解できる記号にだけ置き換えられ、現実はキュビストの作品のように歪み、砕け散っていた。 僕はいつでも死ぬことができた。何度も自分にそう言い聞かせ、ただひたすら来るべき瞬間を期待して待っていた。いつも死に向かうジェットコース

    ラブ&マーシー 終わらないメロディー〜ビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンの物語
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    wfwf 2015/08/05
    ブライアンの苦悩と復活に感動。
  • カリフォルニア・ドリーミング〜“夢の終わり”を象徴していた隠れた名作

    『カリフォルニア・ドリーミング』(California Dreaming/1979) かつて“約束の地”としてのカリフォルニアを背負っていた二つの都市、サンフランシスコとロサンゼルス。 ──サンフランシスコは1950年代にビート詩人たちがノース・ビーチ地区に集まり始めたのを機に意識革命が起こり、60年代後半にはヒッピーたちが髪に花を飾りながら、ヘイト・アシュベリー地区でサイケデリックロックやドラッグとともに愛の夏を過ごした場所。1967年に大ヒットしたスコット・マッケンジーの「San Francisco(Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)」(花のサンフランシスコ)がそんな世界へ誘っていた。 また、航空や映画産業が背景にあったロサンゼルスは、太陽の陽射しや青空、解放的なビーチやサーフィンといった風景が、1962年に登場したビーチ・ボーイズというポップグ

    カリフォルニア・ドリーミング〜“夢の終わり”を象徴していた隠れた名作
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    wfwf 2015/07/29
    約束の地としての「カリフォルニア幻想」の始まりと終わりを象徴した名作!!
  • トレインスポッティング/ドラッグストア・カウボーイ〜英米ジャンキーたちの末路

    『ドラッグストア・カウボーイ』(DRUGSTORE COWBOY/1989) 『トレインスポッティング』(TRAINSPOTTING/1996) ジャンキー(いわゆる薬物中毒者)を主役にした英米産の映画はこれまで数々と製作されてきたが、良質な作品に共通するのは、例外なく登場人物が悲惨な風景の中を彷徨うことになるという点だ。今回はそれを象徴した2の作品を比較紹介したい。 物のバロウズも出演した『ドラッグストア・カウボーイ』 まずはアメリカ。『ドラッグストア・カウボーイ』(DRUGSTORE COWBOY/1989)は、ガス・ヴァン・サント監督の35㎜デビュー作として知られる伝説的な作品。公開当初はマット・ディロンやケリー・リンチのイケてるヴィジュアルもあって、日ではストリート/ファッショナブルな扱いをされたが、今観直してみると、けっこうヘヴィーな内容だ。 ボブ(マット・ディロン)とその

    トレインスポッティング/ドラッグストア・カウボーイ〜英米ジャンキーたちの末路
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    wfwf 2015/07/22
    ケリー・リンチがめちゃいい女でやられてしまった。
  • フラッシュダンス〜ジョルジオ・モロダーと80年代MTV/サントラブームの幕開け

    『フラッシュダンス』(FLASHDANCE/1983) ポップカルチャーの足跡を振り返る時、1983年はとても興味深いことに気づく。日/東京では、その年にディズニーランドの開園があった。女子大生ブーム、ファミコンの発売、レンタルレコード店やウォークマンの普及、『戦場のメリークリスマス』の公開、尾崎豊のデビューといった出来事もすべてこの年だ。 音楽シーンでは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が世界規模で大ヒットし、マドンナやシンディ・ローパーがデビューした。1981年に開局したMTVの力が一気に高まった時代でもあり、その影響でヴィジュアル性に富んだイギリスのNew Waveグループや長髪メイクのヘヴィメタル勢もヒットを連発し始めた。 そして映画では、多くのYAスターを生んだ『アウトサイダー』が思春期の少年少女たちを魅了する中、女性たちに支持されたのが『フラッシュダンス』(FLASHDAN

    フラッシュダンス〜ジョルジオ・モロダーと80年代MTV/サントラブームの幕開け
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    wfwf 2015/07/16
    この映画からサントラブームが始まった。
  • ラスト・ショー〜スモールタウンの風景で描かれる「語るに足る、ささやかな人生」

    Home TAP the SCENE ラスト・ショー〜スモールタウンの風景で描かれる「語るに足る、ささやかな人生」 - TAP the POP 『ラスト・ショー』(The Last Picture Show/1971) そこに住んでいる人以外は誰も知らないような、ごく小さな町が、アメリカには星の数ほどある。「スモールタウン」と呼ばれている。人口は、多くても1万人には満たない。せいぜいが3000人どまり。町のサイズはメイン・ストリートを中心に、縦横にわずか数ブロックほどだ。 こんな文章で始まる一冊のがある。2012年に惜しくも亡くなったトラベル作家・駒沢敏器氏の『語るに足る、ささやかな人生』だ。作家はアメリカを横断しながら、スモールタウンだけに立ち寄ってこの短編集のような魅力を放つささやかな物語を描いた。 住人どうしが皆顔を知っているから、一定の距離を保ちながら互いを支え合って生きている。

    ラスト・ショー〜スモールタウンの風景で描かれる「語るに足る、ささやかな人生」
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    wfwf 2015/07/08
    これは間違いなく、スモールタウンを舞台にした映画の最高峰です。
  • ブロウ〜自由を得るために人生を抵当に入れた伝説のドラッグ密輸人

    『ブロウ』(BLOW/2001) 命がけのゲームをやってきた。 だが、俺の前に開かれた道は、月光に照らされた孤独の道だった。 自由を得るために、人生を抵当に入れてしまった。 そう語るのは、ジョージ・ユング。この名を聞いたことのない人がほとんどだろう。それもそのはず、彼はミュージシャンでも映画俳優でもない。あえて肩書きをつけるなら、「伝説のドラッグ・ディーラー」「1億ドル以上は稼いだ密輸人」「アメリカにコカインを広めた男」といったところか。 1942年にマサチューセッツ州の住宅街で生まれ育ったジョージは、父親の事業破産によって一転、貧しい生活を余儀なくされる。「金で苦労したくない」と強く思うようになり、20代の時に幼馴染みと一緒にカリフォルニアへ移り住む。 ヒッピー文化が浸透する60年代のそこは、ジョージにとって「約束の地」だった。顔の広いスチュワーデスと仲良くなったことがきっかけで、元締め

    ブロウ〜自由を得るために人生を抵当に入れた伝説のドラッグ密輸人
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    wfwf 2015/07/01
    「俺の前に開かれた道は、月光に照らされた孤独の道だった」
  • ジャージー・ボーイズ〜音楽への愛に満ち溢れた「君の瞳に恋してる」

    『ジャージー・ボーイズ』(JERSEY BOYS/2014) 「絆」とか「友情」という言葉をよく耳にする。しかし口にするのは簡単で、実際に深刻なトラブルに見舞われた時、そんな台詞を交わした当人たちには亀裂が生じることがほとんどだ。大人の人生はそんなものだと割り切りながらも、心のどこかではあの美学を忘れられない。幼い頃からそんな世界を叩き込まれた人ほど特に遭遇する出来事だと思う。 『ジャージー・ボーイズ』(JERSEY BOYS/2014)は、そんな忘れかけたスピリットをそっと観る者の胸に音楽と共に届けてくれる素晴らしい作品だ。ロック/ポップ史にその名を永遠に残すフォー・シーズンズの実話を基に描いたブロードウェイのロングラン・ミュージカルの映画化であり、クリント・イーストウッドが監督している。 地元を出る方法は3つ。 “軍隊に入る”。でも殺される。 “マフィアに入る”。それも殺される。 ある

    ジャージー・ボーイズ〜音楽への愛に満ち溢れた「君の瞳に恋してる」
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    wfwf 2015/06/26
    ブロードウェイミュージカルが6月25日から日本でも上演開始しましたね!!
  • ブレードランナー〜あらゆるカルチャーを圧倒した80年代SFの金字塔

    『ブレードランナー』(BLADE RUNNER/1982) 21世紀初め。 アメリカのタイレル社は、人間そっくりのネクサス型ロボットを開発。 それらは「レプリカント」と呼ばれた。 特にネクサス6型レプリカントは、体力も敏しょうさも人間に勝り、 知力もそれを作った技術者に匹敵した。 レプリカントは地球外基地での奴隷労働や 他の惑星の探検などに使われていたが、 ある時、反乱を起こして人間の敵に回った。 地球に来たレプリカントを処分するために、 “ブレードランナー特捜班”が組織された。 2019年11月、ロサンゼルス。その暗黒都市の姿がスクリーンいっぱいに映し出される。数百階建ての不気味なビル群。吹き出す炎。飛び交う車。瞳に映る光景。もうその瞬間、魅了される──映画『ブレードランナー』(BLADE RUNNER/1982)はこうして始まっていく。 近未来SF映画の金字塔としてその名を永遠に刻むで

    ブレードランナー〜あらゆるカルチャーを圧倒した80年代SFの金字塔
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    wfwf 2015/06/24
    やはり、いろんな伝説やエピソード満載です。
  • 気狂いピエロ~「ヌーヴェルヴァーグの到達点」と称されたゴダールの最高傑作

    『気狂いピエロ』(PIERROT LE FOU/1965) Jean-Luc Godard(ジャン=リュック・ゴダール)1930.12.3-2022.9.13 Jean-Paul Belmondo(ジャン=ポール・ベルモンド)1933.4.9-2021.9.6 Anna Karina(アンナ・カリーナ)1940.9.22-2019.12.14 ──1987年。東京・早稲田にあった小さな映画館でゴダールの二立てを上映していたので観に行った記憶がある。1目はデビュー作の『勝手にしやがれ』で、冒頭からいきなりその魅力にやられてしまった。ハリウッド産の商業映画に慣れ親しんだ18歳の少年にとって、それは余りにも衝撃的な映像と感性だったのだ。 そして2目は『気狂いピエロ』。こちらは何というか、正直よく解らなかった。ジョン・ヒューズの学園映画や『トップガン』などでアメリカナイズされたティーンエイジ

    気狂いピエロ~「ヌーヴェルヴァーグの到達点」と称されたゴダールの最高傑作
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    wfwf 2015/06/17
    ゴダール、そしてヌーヴェルヴァーグの永遠の名作!!!
  • ダウン・バイ・ロー~トム・ウェイツの歌がもとで撮られた“悲しくて美しい世界”

    『ダウン・バイ・ロー』(DOWN BY LAW/1986) 前作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』で世界中のヒップな人々から熱い支持とクールな評価を得た映画作家ジム・ジャームッシュは、次の作品に取り組むにあたってトム・ウェイツ、ジョン・ルーリー、ロベルト・ベニーニという友人でもある3人の俳優の存在を思い浮かべたという。 トム・ウェイツは、僕にとって歌を書く人間という以上の存在だ。彼は詩人だ。詩人は僕の真の英雄だ。ルイジアナにロケハンに行った時も彼の歌が耳に残っていて、撮影するショットのリズムのインスピレーションを受けた。僕のアイデアは彼の歌に影響されていた。 トム・ウェイツの音楽を心に響かせながら、行ったこともないニューオーリンズの場末やルイジアナの湿地帯を想い、たった2週間で脚を書き上げた。そして1985年11月~1986年1月にかけての6週間を使って、オールロケで撮影したのが『ダウ

    ダウン・バイ・ロー~トム・ウェイツの歌がもとで撮られた“悲しくて美しい世界”
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    wfwf 2015/06/10
    トム・ウェイツの歌を心に響かせながら、ニューオーリンズの場末やルイジアナの湿地帯を想う。
  • ストレンジャー・ザン・パラダイス〜ヒップな連中は必ず観るジム・ジャームッシュの世界

    『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(Stranger Than Paradise/1984) 僕はキャリア・アスピレーション(出世)を目指している人の映画を撮ることにまったく興味がない。僕のどの映画にもテーマとしてあるのが、そうしたキャリア・ハッスル(出世主義)の外側にいる人たちなんだ。 出世しなきゃ、稼がなきゃ、いい暮らしをしなきゃ、モテなきゃ、といった思考に呪縛された「スクエア」な人たち(システム社会の奴隷とも言われる)とは対照的な連中が好む映画がある。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(STRANGER THAN PARADISE/1984)は、紛れもなくそんな1だった。 1980年代後半、まだ10代の時に映画館へ行ったことがある。この映画の存在を教えてくれ一緒に誘ってくれたのは、「ヒップ」に生きる決意をしたばかりの友達だった。彼はその精神を忘れることなく、今ではスクエアな人た

    ストレンジャー・ザン・パラダイス〜ヒップな連中は必ず観るジム・ジャームッシュの世界
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    wfwf 2015/06/03
    ヒップな連中が好む映画の最高峰、ジム・ジャームッシュの長編デビュー作。
  • ジェームス・ブラウン/最高の魂(ソウル)を持つ男〜伝説の裏に隠された真実と友情

    『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男』(Get on Up/2014) 「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ファンキー・プレジデント」「ショービジネス界一番の働き者」「ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」などの愛称で知られるあの「JB」こと、ジェームス・ブラウンの伝記映画『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男』(Get on Up/2014)。 ライブシーンが圧巻のエンターテインメント作品というだけでなく、これまでの数々の伝説の裏に隠された真実が描かれつつ、一人の苦悩する男の人間ドラマとして実に見応えあるストーリーとなった。 ジェームス・ブラウンは、俺にインスピレーションを与えてくれた。たくさんのことを彼から学んだよ。彼の動きを真似るということではなく、彼の態度、仕事ぶり、そうしたものを学んだ。彼が成し遂げたことを尊敬している。彼の伝記映画の作り手となれて光栄だ。

    ジェームス・ブラウン/最高の魂(ソウル)を持つ男〜伝説の裏に隠された真実と友情
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    wfwf 2015/05/27
    あの「JB」ことジェームス・ブラウンの伝記映画が今週末より公開。
  • スタンド・バイ・ミー〜少年時代のイノセンスと友情を描いた心からの名作

    『スタンド・バイ・ミー』(STAND BY ME/1986) 子供の頃の想い出を一つの物語にまとめられないかと、ずっと考えていた。そこには愉快な話もたくさんあるけど、悲しい出来事もある。一緒に過ごした仲間たちは目的もなく、手探りで生きていた。 モダンホラー小説家でありベストセラー作家でもあるスティーヴン・キングは、自らの短編集用の1にそんな構想を立てていた。そして目的を持たせることを思いつき、少年たちが線路づたいに死体を探すアイデアが生まれたという。 この少年らしい冒険を経験した人はいると思う。どこまでも延びている電車の線路は未知の遠い世界へ繋がっているように思えて、子供にとっては好奇心だった。ただそこを歩きたいのだ。 このスティーヴン・キングのホラーとは縁のない短編「The Body」を、『スタンド・バイ・ミー』(STAND BY ME/1986)として映画化したのが俳優/監督のロブ・

    スタンド・バイ・ミー〜少年時代のイノセンスと友情を描いた心からの名作
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    wfwf 2015/05/20
    色褪せない名作。リバーの非凡な才能を見抜いた涙のエピソードとは?
  • 眠れぬ夜のために〜B.B.キングのアーバン・ブルースを聴きながら

    『眠れぬ夜のために』(INTO THE NIGHT/1985) 夜、眠れない…… 誰もが一度は経験したことはあると思う。甘美な眠りをイメージするあまり、焦る気持ちは高ぶり、あるいは余計なことを考えて心配になり、軽く一杯のつもりがつい深酒になってしまう。そうして時計の針だけが進んでいき、気がつけばカーテンの隙間から訪れる朝の陽射しに目が眩む。新しい一日の始まりから疲労と損失のような気分を抱える羽目になる。 アメリカの伝説的な作家スコット・フィッツジェラルドが自身のエッセイ『崩壊』の中でも描いているように、昼間は何でもないことが、深夜になると忘れてきた荷物だって死刑宣告に劣らぬくらい悲劇的な意味を持つ。“魂の暗闇の中では来る日も来る日も時刻はいつも午前3時だ”という、あの有名な一文も綴られた。 映画『眠れぬ夜のために』(INTO THE NIGHT/1985)は、そうした慢性的な不眠症に陥った

    眠れぬ夜のために〜B.B.キングのアーバン・ブルースを聴きながら
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    wfwf 2015/05/17
    亡き偉大なるブルースマン、B.B.キングに捧げます。