Historyに関するwfwfのブックマーク (24)

  • 1990年代“R&B”ヒットチャート/アーティスト総括(シングル編)

    「TAP the CHART」第167回は、1990年代のR&Bシングルチャートを総括。 【1990s TOP 20 R&B SINGLES】 *ランキングはBillboardチャートのデータをもとに作成。( )内はリリース年。 ❶Nobody’s Supposed to Be Here / Deborah Cox(1998)

    1990年代“R&B”ヒットチャート/アーティスト総括(シングル編)
  • 1900年代ヒットチャート&アーティスト総括

    「TAP the CHART」第149回は、1900年代(明治33〜42年)のヒットチャートを総括。 【1900s TOP 20 HITS】 *ランキングはJoel Whitburn監修『Pop Memories 1900-1940』をもとに作成。( )内はチャートピーク年。 ❶School Days (When We Were a Couple of Kids) / Byron G. Harlan(1907)

    1900年代ヒットチャート&アーティスト総括
  • レッド、ホワイト&ブルース〜アメリカで葬られたBLUESが60年代にイギリスで蘇った

    Home TAP the SCENE レッド、ホワイト&ブルース〜アメリカで葬られたBLUESが60年代にイギリスで蘇った - TAP the POP 『レッド、ホワイト&ブルース』(Red, White & Blues/2003/マイク・フィギス監督) 2003年。アメリカでは「BLUES生誕100年」と称して、CD・書籍・番組・ラジオ・コンサートといったメディアミックスを通じて“魂の音楽”を伝えるプロジェクトが展開された。中でもマーティン・スコセッシ監督が総指揮した音楽ドキュメンタリー『THE BLUES』は、総勢7名の映画監督が様々な角度から“魂の音楽”をフィルムに収めて大きな話題を呼んだ。 今回紹介するのは『レッド、ホワイト&ブルース』(Red, White & Blues)。マイク・フィギス監督。BLUESに取り憑かれた英国ミュージシャンたちの熱い演奏とインタビュー、貴重な映像な

    レッド、ホワイト&ブルース〜アメリカで葬られたBLUESが60年代にイギリスで蘇った
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    wfwf 2016/11/30
    このシリーズ、凄い。
  • ヴァン・モリソン〜孤高の歩みを続ける偉大なるアイリッシュ・ソウルマン

    孤高のアイリッシュ・ソウルマン、ヴァン・モリソン(Van Morrison) さらに西へ向かっていくと、僻地性はより増していった。見渡す限り芝と岩だけで、風が強く、その風の音以外は、何も聞こえて来なかった。こんな荒涼とした風景の中に人が住んでいるとは、ちょっと想像がつきにくかった。横から吹いてくる風は、秋だというのに骨にしみるほど冷たく、どこか「あの世」のような感じなのだ。 2012年に亡くなった駒沢敏器氏の著書『ミシシッピは月まで狂っている』の第3章「酒と音楽しかない」は、どんなに分厚くて偉そうな文献よりも、アイルランドの時間的・音楽的風景を切ないほどに描き出していた。 このような、人知とは違う次元での何かが支配的な場所では、そこから生まれてくる音楽も違うものになるのは、当然のことかもしれない、と僕は実感した。人が人として音楽を作るのではなく、風景の中に宿っている何かに感応するように、人

    ヴァン・モリソン〜孤高の歩みを続ける偉大なるアイリッシュ・ソウルマン
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    wfwf 2016/06/08
    こういうのを「本物」と言うんでしょうね。深いです。
  • バック・トゥ・ザ・フューチャー〜1955年のあのパーティでロックの歴史が変わった

    『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BACK TO THE FUTURE/1985) 2015年10月21日は、マーティと彼のガールフレンドのジェニファー、そしてタイムマシンを開発したドクが1985年の10月からタイムトラベルしてきた日だ。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作(1985~1990年)の第2部では、2015年という“未来”が舞台となっていた。映画を観直して、我々が生きる現在の光景や生活と比較してみるのも楽しいかもしれない。 さて、今回は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BACK TO THE FUTURE/1985)の第1部を振り返りたい。やはり何と言ってもマーティがロックンロールの歴史を塗り替えた場面があるし、間違いなくシリーズ最高傑作なのだから。 すべては「もし、自分と同い年の父親や母親と会ったなら」という、脚家ボブ・ゲイルの空想から始まった。大人にも若者だっ

    バック・トゥ・ザ・フューチャー〜1955年のあのパーティでロックの歴史が変わった
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    wfwf 2015/10/21
    本日2015年10月21日は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の登場人物たちが1985年からタイムトラベルしてきた日。
  • 黒人の“ブルース”に呼応したアイルランド系移民の“ハイロンサム”

    “約束の地”アメリカに辿り着いたアイルランド系移民の夢と現実 広大なアメリカ大陸の音楽を見渡す時、アイルランド系移民の存在を避けて通ることはできない。その果たした役割はあまりにも大きい。しかし、その文化的栄光の影には、想像を絶する苦難の歩みがあった。 1775年にアメリカで独立戦争が始まった頃、宗教的迫害によってアイルランドからの出国を余儀なくされた最初の移民が東部の僻地山岳帯アパラチア(※1)に入植した。 「スコッツ・アイリッシュ」(※2)と呼ばれた彼らは異国の地でも独自の文化を守り、ウイスキーの密造や祖国の音楽やダンスを通じて(※3)、過酷な現実から生じる疲れた心と身体を癒すことになった。また、強い反英感情を持った彼らは独立戦争でも果敢に戦って、新しい国で自分たちの存在意義を見出していった。 もう一つ特筆すべきは、19世紀半ば頃から大量に流れてきた移民たち。1845年、アイルランドでは

    黒人の“ブルース”に呼応したアイルランド系移民の“ハイロンサム”
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    wfwf 2015/09/09
    ハイロンサムという感覚について。
  • さらば青春の光〜“完璧な10代のライフスタイル”を追求したモッズ族

    『さらば青春の光』(Quadrophenia/1979) それは1973年の初め、暗く冷たい冬の夜。27歳だったピート・タウンゼンドが自宅のコテージに一人座りながら、記憶の旅に出たのが始まりだった。 新しい音楽と物語の構想に明け暮れていたピートの心に、突如として1964年のブライトン・ビーチでの想い出が蘇ってきたのだ。自分はロックスターとしてではなく「ファンの担い手となるべき」と考えていたピートは、ノートに一人のモッズ少年を主役にした風景を綴っていく。 その新しい音楽と物語である『Quadrophenia』(四重人格)は1973年10月にリリースされ、大ヒットを記録。ブックレットには写真家イーサン・ラッセルによる40ページものモッズ族のフォト・ストーリー(下の写真)が収録され、ピートが心に描いた風景をヴィジュアルとして見事に再現していた。 それから6年後、パンクを機に音楽シーンが若返ってい

    さらば青春の光〜“完璧な10代のライフスタイル”を追求したモッズ族
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    wfwf 2015/08/26
    モッズのバイブル。
  • ジョン・ベルーシ〜永遠のヒップスターと伝説の『サタデー・ナイト・ライブ』

    新番組『SNL』の最後のキャスト枠に滑り込んだジョン・ベルーシ TVなんてクソ喰らえだよ! どのチャンネル回しても下らない番組ばかりじゃねえか。自慢じゃねえけど、俺はこれまでオンボロの白黒TV一台しか持ったことないぜ。それも俺の吐いた唾でベトベトになったやつ!! 1975年の夏。NYマンハッタンのRCAビル17階のオフィス。窓からはロックフェラー・プラザの名物スケートリンクが見下ろせる。三ヶ月後に控えたNBCの新番組のプロデューサーに抜擢された29歳のローン・マイケルズは、髭面で小太りの26歳の男からそんな言葉を浴びせられていた。その名はジョン・ベルーシ。 イリノイ州シカゴで生まれたベルーシは、高校卒業後は大学に適当に通ったり、デモに参加したり、好きな音楽を聴きながら、コメディ即興劇団『セカンド・シティ』の一員として活躍。その後、人気コミック誌『ナショナル・ランプーン』が企画したオフ・ブロ

    ジョン・ベルーシ〜永遠のヒップスターと伝説の『サタデー・ナイト・ライブ』
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    wfwf 2015/08/20
    すべてがクールな男。その名はジョン・ベルーシ。
  • ハーダー・ゼイ・カム〜持つべき権利のために搾取体制と闘う姿を描いたレゲエ映画の名作

    『ハーダー・ゼイ・カム』(The Harder They Come/1972) カリブ海に浮かぶ小さな国ジャマイカで、1972年に初めての自国製作映画が劇場公開されようとしていた。 カリブシアターの前は上映数時間前から数千人もの人々で溢れ返り、座席を求めてパニック状態。ドアやフェンスは破壊され、劇場内では一つの席に3人が座っていたという。それから多くの観衆はスクリーンに熱い声援と限りのない共感を送りながら、“自分自身”を見つめることなった。 ジャマイカ3部作を構想していたんだ。第1作は都会を舞台に、第2作は田舎を。そして第3作は国を動かそうとする都会と田舎の人間の精神のぶつかり合いを描こうと思っていた。 『ハーダー・ゼイ・カム』(The Harder They Come/1972*日公開は78年)を製作・監督したペリー・ヘンゼルは、ビジネス目的の白人としてではなく、自国の文化を愛する一人

    ハーダー・ゼイ・カム〜持つべき権利のために搾取体制と闘う姿を描いたレゲエ映画の名作
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    wfwf 2015/08/19
    これはレゲエとともに立ち上がった、権力や体制との闘いの物語だ。
  • ピート・タウンゼンド〜真冬のコテージで綴り始めた『四重人格』

    ピート・タウンゼンドが真冬に綴ったモッズ少年の物語『四重人格』 1973年初め。暗く冷たい、冬の週末の夜。 27歳のピート・タウンゼンドは自宅のコテージに一人座り、逆巻く川や隙間風の音を聞きながら記憶の旅に耽っていた。ここ数ヶ月もの間、家族や友人、バンドとステージにいる時でさえ、新しく生まれつつある“音楽と物語”のことが頭と心から離れない。しかし、今夜は違った。 1964年。私はアートスクールの友人と一緒に、ブライトンの桟橋の下で数時間眠ったところだった。友人の名前はリズ・リード。ストロベリー・ブロンドの可愛い子だった。 突如として、19歳だったあの日が蘇ってきた。二階にはや子供たちが眠っている。ピートはノートをつかむと、何かに取り憑かれるように走り書きを始めた。この悲しくロマンチックな気持ちのまま綴りたかった。ジミーという名のモッズ少年の物語。ロックオペラ『Quadrophenia』(

    ピート・タウンゼンド〜真冬のコテージで綴り始めた『四重人格』
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    wfwf 2015/08/15
    「怒れるゴロツキ」から「ファンの担い手」へ。
  • 愛と呼ばれるもの〜23歳で逝ったリバー・フェニックスの遺作

    『愛と呼ばれるもの』(The Thing Called Love/1993) 若くして亡くなった映画スターたちと言えば、真っ先に思い浮かぶのがジェームズ・ディーン(享年24)。彼がもっと生きていれば、一体どんな作品を届けてくれていたのだろうか? ヒース・レジャー(享年28)やブルース・リー(享年32)、ジョン・ベルーシ(享年33)などにも同じことを想う。1980年に50歳で逝ったスティーブ・マックイーンなんて、きっと今頃は世界最高の名優として君臨しているはずだ。 そんな中、1993年10月にわずか23歳という若さでドラッグが原因で命を落としたリバー・フェニックスのことが忘れられない。この若者がもし生きていれば50歳過ぎ。キャリア最高の作品に出演して、我々を楽しませたり感動させてくれていると思うと、当に残念でたまらない。 リバーの遺作として知られる『愛と呼ばれるもの』(The Thing

    愛と呼ばれるもの〜23歳で逝ったリバー・フェニックスの遺作
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    wfwf 2015/08/12
    音楽の聖地ナッシュヴィルでの物語。
  • アンディ・ウォーホル〜現代アートの伝説

    ダウンロード/ストリーミング時代の色彩別アルバムガイド 「TAP the COLOR」連載第25回(番外編) アンディ・ウォーホル(Andy Warhol) アルバムアートの中には、有名な画家や写真家が手掛けたものも珍しくはない。当時30センチ四方のレコードジャケットというサイズ感が、彼らの作品発表欲を満たすキャンバスであった点も見逃せない。 現代アートの偉大なる伝説として、今もあらゆるカルチャーに影響を及ぼすアンディ・ウォーホル(1928-1987/享年58)も例外ではなかった。商業絵画のウォーホルと大量生産されるレコード。むしろこんなにも相性の良い関係はなかった。 そんなアンディ・ウォーホルの活動は、大きく3つの時代に分けられるのが定説。 まずはファッション雑誌や新聞や広告類を舞台とした50年代の「商業デザイン時代」──。 ブロッテド・ライン(しみつきの線)と呼ばれるイラストやドローイ

    アンディ・ウォーホル〜現代アートの伝説
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    wfwf 2015/08/06
    今日はアート界の伝説のバースデー。
  • ラブ&マーシー 終わらないメロディー〜ビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンの物語

    『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』(LOVE&MERCY/2015) 1982年11月、ビーチ・ボーイズのメンバーから「解雇」を言い渡されたブライアン・ウィルソンは、その言葉がしばらく理解できなかった。「ビーチ・ボーイズを創ったのは僕なんだぞ!」と叫んでも、ドラッグやアルコールに溺れた退廃的な生活のせいで、遂に体重150キロ以上にまで達した彼の姿は、まるでグッドイヤーの飛行船のような身体だった。 当時の僕は、ドラッグ・トリップを繰り返す不幸な60年代を引きずったままの麻薬常用者だった。僕は深い霧のかかったような状態の中で生きていた。 頭の中に入ってくる知覚や心象は、理解できる記号にだけ置き換えられ、現実はキュビストの作品のように歪み、砕け散っていた。 僕はいつでも死ぬことができた。何度も自分にそう言い聞かせ、ただひたすら来るべき瞬間を期待して待っていた。いつも死に向かうジェットコース

    ラブ&マーシー 終わらないメロディー〜ビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンの物語
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    wfwf 2015/08/05
    ブライアンの苦悩と復活に感動。
  • 1981年8月1日にMTVが開局して僕たちは音楽を“見た”。

    1981年8月1日、MTVが開局。 1981年8月1日の午前零時過ぎ。“見えるラジオ”をコンセプトにした『Music Television』(以下MTV)の放送がスタートした。音楽ビデオを24時間流し続けるプログラムとして、アメリカの若い世代や時代の空気を変えてしまうことは必至の画期的な出来事だった。記念すべき最初のビデオクリップ(※)がバグルスの「Video Killed the Radio Star」だったことは、今や洒落た伝説だ。 これによって、[MTVが観たいからCATVに加入する」という現象が起き始める。当初は田舎町から始まった動きが、1983年にはNYやLAといった大都市でも開局に至った。 音楽を取り巻く環境でも当然マーケティングは変わる。レコード会社にとってMTVは、新たなプロモーションメディアに位置づけられた。売り出したいアーティストがいたら地道に各地をツアーで回るようなリ

    1981年8月1日にMTVが開局して僕たちは音楽を“見た”。
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    wfwf 2015/08/01
    8月1日はMTVが開局した記念すべき日!! 1981年のことでした。
  • ダイアナ妃が亡くなった1997年、レディオヘッドの『OKコンピューター』は登場した

    「TAP the CHART」第15回は、1997年を取り上げます。まずはシングルとアルバムの年間チャートTOP 10から。 【1997年のBillboard年間チャート】 ★TOP 10 SINGLES ❶Something About the Way You Look Tonight/Candle in the Wind 1997 / Elton John ❷Foolish Games/You Were Meant for Me / Jewel ❸I’ll Be Missing You / Puff Daddy featuring Faith Evans and 112 ❹Un-Break My Heart / Toni Braxton ❺Can’t Nobody Hold Me Down / Puff Daddy featuring Mase ❻I Believe I Can Fly

    ダイアナ妃が亡くなった1997年、レディオヘッドの『OKコンピューター』は登場した
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    wfwf 2015/07/16
    1997年は重要な年。
  • フラッシュダンス〜ジョルジオ・モロダーと80年代MTV/サントラブームの幕開け

    『フラッシュダンス』(FLASHDANCE/1983) ポップカルチャーの足跡を振り返る時、1983年はとても興味深いことに気づく。日/東京では、その年にディズニーランドの開園があった。女子大生ブーム、ファミコンの発売、レンタルレコード店やウォークマンの普及、『戦場のメリークリスマス』の公開、尾崎豊のデビューといった出来事もすべてこの年だ。 音楽シーンでは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が世界規模で大ヒットし、マドンナやシンディ・ローパーがデビューした。1981年に開局したMTVの力が一気に高まった時代でもあり、その影響でヴィジュアル性に富んだイギリスのNew Waveグループや長髪メイクのヘヴィメタル勢もヒットを連発し始めた。 そして映画では、多くのYAスターを生んだ『アウトサイダー』が思春期の少年少女たちを魅了する中、女性たちに支持されたのが『フラッシュダンス』(FLASHDAN

    フラッシュダンス〜ジョルジオ・モロダーと80年代MTV/サントラブームの幕開け
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    wfwf 2015/07/16
    この映画からサントラブームが始まった。
  • 年収165億円を稼ぐ歌姫は誰?〜最新版・世界のミュージシャン収入ランキング

    Home Extra便 年収165億円を稼ぐ歌姫は誰?〜最新版・世界のミュージシャン収入ランキング - TAP the POP アメリカの経済誌Forbesが毎年恒例となる「Celebrity 100」の2015年版を発表した。今年は「The World ‘s Top-Paid Entertainers」と題して、世界のエンターテイナー/スーパースターが1年間にどれだけ稼いだかをランキングしたものになった。 実は1999年〜昨年2014年の「Celebrity 100」」は、収入面だけでなく、ネットやソーシャルで話題になった回数、雑誌の表紙やTVや新聞やラジオといったメディアで話題になった回数など、影響力も加味したパワーランキング方式だったが、今年は1998年以前の収入ランキングに戻ったようだ。 影響力はどうしてもアメリカ中心で測ることになってしまい、そこから脱却して世界中のセレブリティに

    年収165億円を稼ぐ歌姫は誰?〜最新版・世界のミュージシャン収入ランキング
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    wfwf 2015/07/07
    ケイティvsテイラー
  • あのIT起業家が約50億円を自腹で投じて開催した夢のロックフェス

    史上最大規模のロックフェス『US FESTIVAL』(アース・フェスティバル) もし自分の好きな音楽のアーティストだけを集めて、大規模なライブやコンサートを開けたなら。会話レベルでも十分楽しそうな妄想だが、そんなことを私財を投げうってまで当に実現してしまったら……それはとてつもなくクレイジーで、とんでもなく素敵なことだ。 そのクレイジーな男の名は、スティーヴ・ウォズニアック。 Mac/iPhone/iPod/iTunesなどで世界中の誰もが知っているアップル社設立メンバーの一人であり(社員番号は1番)、1977年のスタート当初から故スティーヴ・ジョブズの良き相棒として同社の知的良心を担ったエンジニア技術力の高さと温厚でユーモア溢れる性格から、有名なお伽噺にちなんで「ウォズの魔法使い」と呼ばれる。 ことの発端は1981年。前年のアップル社の株式公開で1億ドル以上(当時のレートで約200億

    あのIT起業家が約50億円を自腹で投じて開催した夢のロックフェス
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    wfwf 2015/05/28
    これは本当にクレイジーで素敵すぎ。あの男の話です。
  • ジェームス・ブラウン/最高の魂(ソウル)を持つ男〜伝説の裏に隠された真実と友情

    『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男』(Get on Up/2014) 「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ファンキー・プレジデント」「ショービジネス界一番の働き者」「ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」などの愛称で知られるあの「JB」こと、ジェームス・ブラウンの伝記映画『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男』(Get on Up/2014)。 ライブシーンが圧巻のエンターテインメント作品というだけでなく、これまでの数々の伝説の裏に隠された真実が描かれつつ、一人の苦悩する男の人間ドラマとして実に見応えあるストーリーとなった。 ジェームス・ブラウンは、俺にインスピレーションを与えてくれた。たくさんのことを彼から学んだよ。彼の動きを真似るということではなく、彼の態度、仕事ぶり、そうしたものを学んだ。彼が成し遂げたことを尊敬している。彼の伝記映画の作り手となれて光栄だ。

    ジェームス・ブラウン/最高の魂(ソウル)を持つ男〜伝説の裏に隠された真実と友情
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    wfwf 2015/05/27
    あの「JB」ことジェームス・ブラウンの伝記映画が今週末より公開。
  • B.B.キング〜ブルース・シンガーになるということは、二度黒人になるようなものだ

    Home Extra便 B.B.キング〜ブルース・シンガーになるということは、二度黒人になるようなものだ - TAP the POP B.B.キング(B.B.King)のブルース 少年時代のB.B.はある日、お金を貯めようと思いついて、舗道に座ってギターを抱えてゴスペルを歌うことにした。すると、通り掛かった男が立ち止まって聞き入りながらハミングをし始めた。いい兆しだ。気分が良くなったので次々と歌い続けた。 「神のご加護がありますように」 男は上機嫌でそう言った。B.B.も同じ台詞を返してチップを待った。 「なかなかうまいぞ、坊主」 「ありがとうございます」 「その調子で歌い続けるこった」 男は肩をポンと叩いて行ってしまった。他の人々のポケットからも1セントたりとも出てこない。そこでB.B.少年は方針を変更。別の日に世俗の歌を弾いて歌ってみた。歌詞など覚えていないので、自分で適当に作った。ゴ

    B.B.キング〜ブルース・シンガーになるということは、二度黒人になるようなものだ
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    wfwf 2015/05/23
    偉大なるB.B.キングの人生!!