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新潟と江戸に関するwhaleboneのブックマーク (1)

  • 北方文化博物館

    宝暦六年(1756年)江戸中期。天領越後沢海の地に、一町二反九畝二十九歩(約13,000平米)の畑を与えられて一人の百姓が分家しました。一人の百姓は、代を重ね、やがて豪商から千町歩(1,000ha)以上の土地を持つ新潟県下一の大地主へと歩んでゆきます。 江戸中期の宝暦6年(1756年)の正月。初代文吉は20歳で一町二反九畝二十九歩(約13,000平米)の畑を与えられ一人の百姓として分家しました。移り住んだ家は六畳二間と二坪の台所がついた土間のある家でした。初代文吉は分家して間もなく往来の向い側の紺屋の娘、きよを嫁とし、百姓のかたわらできよの実家の関係から藍の商売を営むようになりました。その後、息子安次郎が生まれ、若い夫婦はお金が貯まると畑を買い足し、商売も繁盛するようになり、やがて家を建て替えて蔵を造り、徐々に豊かになっていきました。 時は移って享和元年(1801年)。文吉・きよは他界

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