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Wikipediaと戦争遺跡に関するwhaleboneのブックマーク (3)

  • 防備衛所 - Wikipedia

    加計呂麻島の金子手崎防備衛所の遺構。同防備衛所は奄美大島との間の大島海峡を担当するために置かれた。現在は安脚場戦跡公園の一部。 防備衛所(ぼうびえいしょ)とは、大日帝国海軍が、重要港湾・海峡などへの敵潜水艦侵入を阻止するために設置した陸上拠点のことである。施設だけを指す場合には俗称として水中聴音所、水中聴測所とも呼ばれる。海底に水中聴音機(パッシブ・ソナー)などのセンサーを配置して敵潜水艦を探知し、味方の対潜部隊に通報したり、事前に敷設された管制機雷をタイミングを合わせて起爆して攻撃したりする。 沿革[編集] 太平洋戦争(大東亜戦争)前から、日土の防衛のために、各地の鎮守府・警備府の防備隊隷下へと防備衛所が設置された。日米開戦が迫った1940年(昭和15年)頃には、急ピッチで増設が進められた。 太平洋戦争が始まり、日土以外の各地に艦隊の泊地が作られると、その防御のためにも防備衛所

    防備衛所 - Wikipedia
  • 東京兵器補給廠 - Wikipedia

    北区中央公園文化センター(旧・TOD第4地区) 東京兵器補給廠(とうきょうへいきほきゅうしょう)、TOD(ティーオーディー、英語: Tokyo Ordnance Depot)は、東京都北区・板橋区に所在する日の旧軍用地[1]。 項では第二次世界大戦の敗戦以降について記述する。大日帝国陸軍時代の施設については東京第一陸軍造兵廠、東京第二陸軍造兵廠を参照のこと。 概要[編集] 東京都北部(北区・板橋区)の板橋・十条・王子・赤羽近辺に所在する。東京兵器補給廠地区と東京造兵廠地区の2地区に大別され、それぞれの地区はさらに複数の地区に分かれる[1]。大日帝国陸軍の施設であったが、第二次世界大戦後にアメリカ軍によって接収された[1]。 東京兵器補給廠地区は、1958年12月23日に陸上自衛隊十条駐屯地となった[2]。 東京造兵廠地区は、1971年10月15日に日へ返還された[1]。これらの地

    東京兵器補給廠 - Wikipedia
  • 軍郷 - Wikipedia

    軍郷(ぐんごう、ぐんきょう)とは、多くの軍事拠点を擁する地域を漠然とさして呼ぶ言葉。特に近現代において、国民国家が擁する軍隊とその関連施設の集中をこのように表現した。字面は、「軍隊の故郷」・「軍隊の町」を意味する。類似表現として、軍都(ぐんと)も使用され、こちらは「軍隊の都市」を意味する。 この語句が指す地域は、中世・近世の日においては軍事拠点である城を中心に発展した城下町という語句が指す地域と類似した特長を持ち、主に時代によってその呼び名を変化させる。 概要[編集] 日では、第二次世界大戦の終戦までは、師団・連隊の駐屯地、陸軍学校、陸軍病院、工廠・軍需工場など、多くの軍関連施設が点在する地域を「軍の故郷」として「軍郷」と呼んでいた。特に首都東京の関東近郊をはじめ、海軍の拠点が置かれた名古屋市、大阪市、広島市などの主要都市には、多くの軍関係施設が設けられ、軍郷○○○(軍郷習志野)、軍都

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