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museumと祖父サーチに関するwhaleboneのブックマーク (2)

  • まちがやって来た──大正・昭和 大田区のまちづくり:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape

    会期:2015/10/25~2015/12/13 大田区立郷土博物館[東京都] 東京23区で3番目に人口が多い大田区★1の人口は現在約71万人。東京の南側、神奈川県に接するこの地域の人口は、明治から大正初年ごろには6万人程度であったというから、100年の間に12倍に増えたことになる。ではこのような人口の膨張はいつごろ生じたのか。筆者には戦後高度成長期とともに人口が増加したという印象があったが、まったく違った。この地域の人口が急増したのは昭和のはじめ。昭和7(1932)年には27万人、昭和17(1942)年には61万人と、30年ほどの間に人口は10倍に増大している。つまり戦後の人口増加は10万人強に過ぎず、市街地化は戦前期にほぼ完了していたことになる。現在東京23区でもっとも住民が多い世田谷区で人口が60万人を超えたのは1950年代後半、2番目の練馬区は1980年代後半なので、大田区の市街地

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    whalebone
    whalebone 2016/12/02
    2015年/図録は区役所か郷土博物館で入手可
  • 朝日新聞デジタル−「明治のこころ−モースが見た庶民のくらし−」

    1877年(明治10年)、シャミセン貝の研究を目的にアメリカから初来日したエドワード・モースは、わが国では大森貝塚を発見したことで有名です。 しかし、彼が滞日中、当時の庶民の暮らしに関わる品々を収集したことはあまり知られていません。それらはモースによってアメリカへと持ち帰られ、今日、全米最古といわれるピーボディー・エセックス博物館が誇る日コレクションの中核を占めています。 モース自身が収集した民具、陶器をはじめ、日記、スケッチ、写真など、かけがえのない「モースコレクション」と、彼の眼差しをとおして、明治という時代を生き抜いた名もなき日人たち、すなわち私たちの曽祖父、曽祖母の日常――失われた「小宇宙」を描きます。 ニュースの詳細は朝日新聞へどうぞ。購読の申し込みはインターネットでもできます。 | サイトポリシー | 個人情報 | 著作権 | リンク | 会社案内 | 新聞広告ガイド |

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