1924年3月、長野県上諏訪に父千野俊次・母のぶの次女として生まれる。1942年4月、富士見国民学校の 教師となる。1946年5月、過労と衰弱のため教壇で倒れる。1946年8月、腸閉塞を起し逝去。 / 『夭折の天才群像』(山下武著)より …千野敏子は小学校の教師をしていた。戦後の乏しい食糧事情の中にあって、闇買いをすることもなく、 教壇に倒れた。憔悴しきった体は回復せずに、1946年8月2日、腸捻転で他界した。… /『金子みすゞと清水澄子の詩』(志村有弘著)より 【真実の序】 ▼ 真実 真実 真実というただ一つのことをおいて どうしてこの世を生きてゆく道があろうか。 虚偽の世界に住み そしてその世界より一歩も出ずして 虚偽のうちに死んでゆく者の哀れさ 真実に生きよう。 つねに真実に生きよう。1941.8.31 【真実】 (真実ノートに題す) ▼ 今の自分に
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