『憲法類編』に見る蚕種生糸関連の法改定の動きは、1873-1874年頃に進展を見る[13][14]。 「自第10至第11 物品運送法則被定ノ事 蚕種生糸」 「自第22至第34 蚕種製造」 「自第35至第45 生糸製造取締等ノ事」[15]。 租税その他に関して1874年(明治7年)に布告した内容は「第67号 酒造絞油商舩並生糸牛馬売買鑑札規則追加」、「第68号 合衆国費拉特費府(フィラデルフィア)博覧会ヘ(後略)」がある[16]。 明治政府はアメリカ建国100周年記念のフィラデルフィア万国博覧会に、輸出振興・外貨獲得のため西郷従道を最高責任者として出展する[17]。 政府は1876年(明治9年)の年明け早々、同博覧会をにらんで特別使節をアメリカに送った。外国政府では最大予算を投じて大工を多数派遣し、日本家屋のパビリオンを建てさせた。日本茶、陶磁器の工芸品やその他伝統的産品に加えて最優秀の生糸