1950年4月、フランス滞在中に出会ったシリキット・キッティヤーコーンと結婚する。彼女も王族であり、ラーマ9世の従兄弟の娘にあたる。同年5月5日に戴冠。その後1956年にはタイの仏教の伝統に基づき、仏門に入って一時的に俗世間を離れた。還俗までの期間はシリキット王妃が摂政を務めた。 タイは1932年6月24日の立憲革命以降立憲君主制ではあるものの、実質的には軍事政権の下に置かれた時期が長い。民政移管とその失敗に軍事クーデターが繰り返されており、今日まで政権の不安定な状況は続いている(タイにおける政変一覧)。ラーマ9世は国民からも絶大な支持と敬愛を集めていったが、若き国王は政治の象徴的頂点に過ぎなかった。 1960年代から1970年代にかけて、世界的な植民地・保護領独立の趨勢や共産主義の波及を受け、ベトナムやカンボジアなど東南アジア諸国が混乱に陥った時代[注 1]、ラーマ9世は表だった政治行動