異なる「2つの潮流」がぶつかり、勢いのあるものが力を失っていくものを書き換えていく。けれども上塗りされた下には、失われたものがなおも力を失わずに眠っている。ふとした瞬間に塗料が剥がれ、裂けた傷口のような隙間から、失われたはずのそれが姿を見せることがある――。 7月15日に発生したクーデター騒動の報道を見ながら、記者は、トルコという国の文化が抱える独特の「構造」を思っていた。 記者は2013年、反政府デモで揺れるイスタンブールを訪れた。その様子を「ルポルタージュ・イスタンブール騒乱 「強権の首相よ恥を知れ、建国の父は泣いている!」」として執筆した。当時まだタイイップ・エルドアン大統領は首相だった。 その取材の折、イスタンブールの旧市街地に位置する「アヤソフィア」を訪れた。史上、この大堂ほど数奇な運命をたどった建物はないだろう。上記の記事に詳解したが、537年、東ローマ(ビザンツ)帝国の皇帝に
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