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ブックマーク / www.nippon.com (6)

  • 本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)

    人口2万5千人の留萌市から屋が消えたのは2010年12月。それから7カ月後、人口30万人以上でないと出店しないルールを持つ三省堂書店が出店した。それはどうしてだったのか。 4月だというのに、その日は雪がちらついた。地元の人は5月の連休が明けるまではスタッドレスタイヤを外さないという。ゆったりとした坂道を登りつめると、眼前に日海が広がる。北海道の西端にある留萌の海岸からは水平線の下へと沈むまん丸で真っ赤な夕陽を見ることができる。 留萌の坂道 美しい地名はルルモッペ(=潮の静かに入るところ)というアイヌの言葉に由来する。明治期ににしん漁により港町として留萌の地が拓けた。炭鉱業も栄え、1910年には留萌線が開通、続いて1932年には留萌港が竣工した。 昭和の頃、正月ともなると、新年を祝う人たちがこの坂道をぎっしりと埋め尽くしたものですよ。 タクシーの運転手が問わず語りに聞かせてくれた。通り

    本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)
  • 忘れたの?それとも、思い出すのが怖い?――台湾映画『返校』をみて考える、歴史への向き合い方

    忘れたの?それとも、思い出すのが怖い?――台湾映画『返校』をみて考える、歴史への向き合い方 社会 歴史 Cinema 2019.11.03 台湾映画の興行成績を次々と塗り替えている『返校』。白色テロを題材にした作品では、実に20年以上現れていなかったという。制作側の思いと、それを受け入れる台湾社会について分析する。 きちんと歴史を見つめて反省できる勇敢な国には未来がある。こんな作品ができるならば、これからの台湾もきっと大丈夫。 これが、2019年の中華圏を代表する台湾映画賞「金馬奨」で12項目ノミネートされ、公開から2週間程度にも関わらず次々と台湾映画の興行成績を塗り替えている驚異の作品『返校』を見終わったときの、素直な感想である。台湾発のインディーズゲームが原作となった異色の作は、台湾の1960年代、白色テロ(市民に対する政府の暴力的な弾圧)真っ最中の時代に、ある高校で起こった、政府

    忘れたの?それとも、思い出すのが怖い?――台湾映画『返校』をみて考える、歴史への向き合い方
    white_rose
    white_rose 2020/12/29
    みたいけどホラーかあ
  • 「半グレ」と呼ばれる新たな暴力集団

    取り締まり強化や法整備によって暴力団の組織力が低下するなか、街のアウトローの世界で新たな勢力として台頭したのが「半グレ」と呼ばれる集団だ。2000年前後のITバブルの波に乗って資金力を得た彼らは、既存の暴力団組織のルールにとらわれず、新たな暴力装置として街に進出していった。ヤクザの隙間を埋めるようにして力をつけていった彼らは、いったい何者なのか。 暴力団でも暴走族でもない存在、それが「半グレ」と呼ばれる集団だ。暴走族OBなどで構成される愚連隊(街の不良集団)の通称で、その代表格とされるのが、東京の六木や西麻布などの繁華街をテリトリーとする「関東連合」である。 もともと世田谷区や杉並区などを拠点とする複数の暴走族の集合体で、暴走族としては2003年に警視庁に解散届を出したが、その後も元メンバーたちが振り込め詐欺や、暴力団まがいの行為を繰り返し、様々な事件に関与してきた。 時に暴力団と対立し

    「半グレ」と呼ばれる新たな暴力集団
  • 日本の難民受け入れに関する誤解 | nippon.com

    は「難民に冷たい」か? 日が難民の定住受け入れを決めたのは、1978年。インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)で相次いで成立した社会主義政権を拒否する約150万人(UNHCRによる)が難民化し、諸外国から受け入れを求める強い圧力を受けてのことだった。78年に3人、79年には2人だったが、その後は受け入れ態勢が急速に整備され、これまでに家族の呼び寄せを含めて1万1319人を受け入れ、この制度は終焉した。 難民とは「人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由として迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために国籍国の外にいるものであって、その国籍国の保護を受けることができないかまたはそれを望まない者」(1951年難民の地位に関する条約第1条)を指す。庇護を求められた場合は、人道的見地に立って、これを受け入れることが国際的な義務である

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  • 広島被爆米兵の名前を刻んだ日本の歴史家

    1945年8月6日に広島に落とされた原子爆弾によって亡くなった犠牲者の中には、12人の米兵捕虜も含まれていた。アマチュア歴史家の森重昭さんは、40年以上を費やし、被爆米兵の遺族を探し当てた。アメリカのバリー・フレシェット監督が、その記録を『灯篭流し(Paper Lanterns)』にまとめた。 森 重昭 MORI Shigeaki 1937年生まれ。アマチュア歴史家。広島原子爆弾を経験。2008年「原爆で死んだ米兵秘史」(光人社)を出版。広島で・佳代子と暮らし、2人の子供がいる。 バリー・フレシェット Barry FRECHETTE 1970年生まれ。1992年米ストーンヒル大学卒業。25年間、ボストンで広報の短編ビデオを初めとする制作の仕事に携わる。現在Connelly Partnersでククリエイティブ・サービスのディレクターを務める。「灯篭流し(Paper Lanterns)は、映

    広島被爆米兵の名前を刻んだ日本の歴史家
  • ロシア文学翻訳の現在—古典新訳からソローキンまで

    では明治大正期からロシア文学の翻訳は根強い人気を誇ってきた。1892年に内田魯庵が『罪と罰』の翻訳(英語からの重訳)を発表して以来、『罪と罰』だけで無数の邦訳が生み出され、日文学にも大きな影響を与えてきた。近年は明治大正期の翻訳についても研究が盛んになりつつあるが(加藤百合『明治期露西亜文学翻訳論攷』、蓜島亘『ロシア文学翻訳者列伝』など)、稿では21世紀、とくにここ10年間におけるロシア文学の日での読まれ方について見てゆくことにしたい。 亀山訳『カラマーゾフの兄弟』のヒット  (左)亀山郁夫訳による光文社古典新訳文庫版『カラマーゾフの兄弟』、(右)藤沼貴訳による岩波文庫版『戦争と平和』 21世紀におけるロシア文学の読まれ方=受容を考えるうえではずせないのが、亀山郁夫訳による光文社古典新訳文庫版『カラマーゾフの兄弟』ブームだろう。 亀山郁夫による『カラマーゾフの兄弟』の第一巻が、光

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