牟田口中将が、純粋に軍事指揮能力で、軍事専門家から批判されているのは、インパール作戦だけだと思います。 中国大陸での諸戦闘、開戦時のマレー戦、初期ビルマ戦では、十分に高い戦術指揮能力を示しています。 中将として、ナンバー付きの軍(師団の一段上、欧米の軍団相当)の司令官に任じられるだけの実績は残していますし、それだけの能力もあったと思います。 さらに言えば、日本国内では非難の嵐のインパール作戦ですが、対戦相手であったイギリス軍からは高く評価されています。 とくに牟田口中将の作戦構想と戦術眼への評価は高く、「牟田口の指揮通りに日本軍が動いていれば、ディマプール(インパールよりもはるかに重要なイギリス軍の後方拠点)は占領され、インパールも落ちだろう」というのがイギリス側の定説になっています。 戦後のイギリス軍による日本軍への尋問でも、「何が/誰が、牟田口司令官の戦術指揮を妨害したのか」が調査の主