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戦争犯罪に関するwiderstandのブックマーク (7)

  • 片山さつき議員が出していた「従軍慰安婦問題に係る国連特別報告書に関する質問主意書」の回答が返ってきたらしい - 法華狼の日記

    片山さつき議員が提示した「従軍慰安婦問題に係る国連特別報告書に関する質問主意書」の意味がわからない - 法華狼の日記の続報。ただし内容は色々な意味で期待はずれ。 片山さつき Official Blog : 先日、内閣に提出しました「従軍慰安婦問題に係る国連特別報告書に関する質問主意書」に対し、答弁書が戻ってきましたので全文を掲載致します。*1 参議院議員片山さつき君提出従軍慰安婦問題に係る国連特別報告書に関する質問に対する答弁書 一及び二について 国際連合人権委員会が任命したクマラスワミ特別報告者による報告書(以下「クマラスワミ報告書」という。)が、平成八年二月に、国際連合に提出されたことを受け、我が国は、同年三月に、クマラスワミ報告書に対する日政府の見解等を取りまとめ、同委員会の構成国を中心とした各国(以下単に「各国」という。)に対して働きかけを行うとともに、国際連合に提出した。 また

    片山さつき議員が出していた「従軍慰安婦問題に係る国連特別報告書に関する質問主意書」の回答が返ってきたらしい - 法華狼の日記
  • 田中利幸、『知られざる戦争犯罪 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』、大月書店 - Apeman’s diary

    連合国のうち欧米諸国の捕虜に対する虐待・残虐行為としては泰緬鉄道建設のための強制労働、バターン死の行進、九大医学部生体解剖事件など広く知られているものもある一方、関係者以外にはほとんど知られずに終わっているものもある。書が扱っているのは後者に属する、ボルネオ島サンダカン捕虜収容所に収容されたオーストラリア軍、イギリス軍将兵の体験である。このようなブログを運営していると大抵のことには驚かないようになるのだが、書で扱われている事例は想像を絶する。1943年9月の時点で約2500名いた捕虜のうち、戦後まで生き延びたのがわずか6名だったというのである。あまりにも生存者が少なく、かつあまりにも過酷な体験であったため、かえって知られることがなかったと言うわけである。上のエントリでとりあげた『現代歴史学と戦争責任』で吉田裕が紹介している(98-9頁)ことであるが、ドイツ軍の捕虜となった英米軍将兵の死

    田中利幸、『知られざる戦争犯罪 日本軍はオーストラリア人に何をしたか』、大月書店 - Apeman’s diary
    widerstand
    widerstand 2012/08/29
    日帝の特殊と普遍。
  • 「ダブルスタンダード」の破綻 - Apeman’s diary

    いま現在河野談話をめぐって日で起こっているのは、保守政権下で出され・その後の(一時期を除いて)保守政権下でも「踏襲」することが明言されてきた官房長官談話が保守系野党によって一斉攻撃され、保守派の内閣からも公然と同調する閣僚が現れている……という、はっきり言って異様な事態である。これが例えば1993年の細川談話への攻撃であれば、賛否はともかくとして筋道はすっきりしている。当時自民党は野党だったし、文言の面でもそれ以前・以後の首相談話よりは踏み込んだものになっているのだから。しかし保守派が河野談話を攻撃するというのであれば、当然「ではいままでずっと踏襲してきたのはなんだったのだ?」と問われることになる。 このような事態は、戦争責任問題に関する保守派の「ダブルスタンダード」(吉田裕)の矛盾がいよいよ取り繕いようのない地点に到達していることを意味している、と考えるべきであろう。 吉田裕(『日

    「ダブルスタンダード」の破綻 - Apeman’s diary
  • 台湾における「慰安婦」の強制連行 - Apeman’s diary

    野田正彰、『虜囚の記憶』、みすず書房 野田氏は台湾の元「慰安婦」16人を診察してこので紹介しているが、漢族の女性の場合「看護助手の仕事がある」などと騙されて「慰安婦」にされたケースが目立つのに対し、先住少数民族の女性の場合には拉致されたケースが少なくない。 12 タイヤル族。十七歳のとき、日兵に捕まり、「飯炊きをすればよい」と言って新竹の軍駐留地へ連れていかれた。八ヶ月間拘束。二一歳で結婚、子ども六人。 13 タロコ族。一一歳のとき、花蓮・瑞穂へ強制移住させられ、過酷な日々を送る。一八歳のとき(一九四四年冬)、近くの日軍駐留地へ連れていかれた。妊娠して出産、子どもは知人にあずけ、台北で働いて生き抜いてきた。 (……) 16 タロコ族。一七歳のとき、警察の車で花蓮の日軍駐屯地へ、四人の村の娘と共に連れていかれた。彼女は抵抗し、強姦されていない、その日のうちに帰ったという。 (279-

    台湾における「慰安婦」の強制連行 - Apeman’s diary
    widerstand
    widerstand 2012/08/27
    日帝クオリティのゲスさに改めて眩暈が。
  • 「戦争の狂気」だけでなく - Apeman’s diary

    去る8月15日、毎日新聞は九大生体解剖事件の関係者の証言を掲載しました。 毎日jp 2012年08月15日 「九大生体解剖事件:「戦争は人を狂わす」最後の目撃者語る」 記事中に次のような一節があります。 「軍人と医者が残虐非道なことをしたが、これは事件質ではない」。東野さんは独自に調査中、気が付いた。「当時の心理状態は平和な時代には考えられないほど、おかしな状態だった」。戦争末期の空気と混乱は医者をも狂わせた。 かなり短くまとめられているため、証言者の言わんとすることがかなりわかりにくくなっています。ただ、記事のタイトルとあわせ、「戦争末期の空気と混乱は医者をも狂わせた」が記者の伝えようとするメッセージであることは明らかです。 生体解剖を目撃した証言者が長年の思索の果てにたどり着いた結論であるのならば、それには相応の敬意が払われねばなりませんが、他方で戦後世代が簡単に「戦争の狂気」と総

    「戦争の狂気」だけでなく - Apeman’s diary
    widerstand
    widerstand 2012/08/24
    “元軍医はなんと1949年1月、医学博士を授与されている” “医学者たちの戦争犯罪は決して「戦争の狂気」だけで説明することはできない”
  • 九大生体解剖事件:「戦争は人を狂わす」最後の目撃者語る- 毎日jp(毎日新聞)

    1945年5月、大分、熊両県境に墜落したB29搭乗の米兵8人が次々と旧九州帝国大(現九州大)医学部に運ばれ、やがて死亡した。連合国軍総司令部(GHQ)が「類例ない野蛮さ」と表現した「九大生体解剖事件」。医学生として立ち会った福岡市の医師、東野利夫さん(86)は何を目撃し、何を思ったのか。「戦争は人を狂わせる。悲惨と愚劣しか残らない」。67年後の今、東野さんは改めて平和の尊さを訴える。 東野さんは1945年、同大医学部に入学。約1カ月後、配属された解剖学教室で、事件は起きた。「手術する場所を貸してほしい」。外科医から解剖学教室の教授に連絡があった。数日後、米兵の捕虜2人が運ばれてきた。麻酔がかけられ、肺の手術が始まった。透明の液体が体内に入れられたが、その液体が代用血液として試された海水だったことは後に知った。 実験手術だった。軍の立ち会いの下、4回にわたって8人に上り、うち2回を目撃。無

  • 樺太・瑞穂村の悲劇:ロシア人作家が執筆 山口・下関の在日2世が翻訳出版- 毎日jp(毎日新聞)

    戦争が生む人間の狂気 「同胞への虐殺、知ってほしい」 1945年8月の終戦直後、樺太(からふと)(サハリン)の瑞穂(みずほ)村で、日人が幼児を含む朝鮮人27人を虐殺したとされる事件が起きた。この事件についてロシア人作家が執筆した「樺太・瑞穂村の悲劇」が、初めて国内で翻訳・出版された。では、67年前に樺太の小さな農村であった惨劇を通し、戦争という極限に置かれた人間の「狂気」が、生々しく記されている。【西嶋正法】 著者はサハリン在住のノンフィクション作家、コンスタンチン・ガポネンコ氏で、93年にロシア語で刊行された。これを山口県下関市在住の在日2世、徐満洙(ソマンス)さん(65)と北海道大学の井上紘一名誉教授が翻訳。花乱社(社・福岡市)と、韓国の出版社「民俗苑」が7月に共同出版した。

    widerstand
    widerstand 2012/08/16
    45年8月20〜23日。ソ連軍の南樺太侵攻に際し「朝鮮人がソ連軍スパイとして軍を手引きしている」とのうわさを信じた瑞穂村の日本人青年らが幼児や女性を含む朝鮮人27人を惨殺。自称の終戦後も暴れた日本人。
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