当時、亀戸のほうに第三工場にするつもりで五軒の長屋を買ってあり、四軒は空屋にしてあった。そこが無事なのがわかって、私たちは移った。日が経つにつれて離散していた従業員たちが続々やってきて、いちじは七十人ほどの大家族になってしまった。朝鮮人の従業員の一人の李さんも訪ねてきた。そこへ例の朝鮮人に関する流言飛語である。町内の連中がきて、 「朝鮮人はいますか。いたら殺してしまう」 という。私は「いません」といってウソをついた。何も悪いことをしていない人をつき出すわけにはいかない。しかし、かくまっているとただではおかないという風評が伝わってきて家族の者たちが動揺し出した。私は固く口止めをして、李さんを押し入れの中にかくまい、三度の食事を自分で運んだ。 (中略) 町で実際に朝鮮人が殺されるところを目撃したこともあった。歩きながら殺されていった。いきなり後ろから頭を割られ、それでも歩いていて、ついに倒れる