小津安二郎監督の「お茶漬の味」で、笠智衆演じるパチンコ店店主が、佐分利信演じる貿易会社部長と酒を飲み交わすシーンがある。佐分利は笠のかつての上官という設定である。 「あの頃はよかったですな。シンガポールは」と笠が軍隊時代の話をすると、佐分利は「ああ、そうだな。だけど戦争はごめんだね」と返す。 すると笠は「そうですな。ですが、シンガポールはよかったですな。南十字星が」と言い、ひとくさり歌を歌う。敗戦からわずか7年後の描写だ。 小津の作品には、戦友会の宴席で、元軍人たちが小皿を叩き、放歌しているようなシーンがいくつか登場する。小津も中国戦線に従軍したが、フィルムに表れたノスタルジーは、兵役を経験した一定数の男たちの共有するリアルな気分だったのかもしれない。本書の著者もこういう。 〈戦後にいたってなお、人びとの心のなかに軍隊あるいは徴兵の存在を是認する、ある種のプラスのイメージが残っていたことも