2010年4月2日のブックマーク (4件)

  • 会いたいなぁ。

    一年前。自分の職場に異動してきたあのひとに恋をした。 柔らかく笑うところが好き。優しいところが好き。手が好き。のんびりしているところが好き。 価値観が似ていて驚いた。趣味もそっくりでもっと驚いた。 話していると安心できて、あのひとの前だと素直になれた。 いつもそばにいて欲しい、好きだなぁって自然に思えた。 それなのに。勇気がなくて何も言えないまま時間が経ってしまった。 嫌われてはいないとは思うけど、でも好かれているとも思えなかった。 彼女がいることも知っていた。 だから結局、何も言えなかった。 そして私は職場を異動することになった。 新しい職場には、当たり前だけどあのひとがいない。 会いたいなぁ。会いたい。会いたいよ。会いたいなぁ。

    会いたいなぁ。
    wonodas
    wonodas 2010/04/02
  • 新入社員の方へ、判断すると判断しないのバランスの取り方

    働き始めて結構悩むことに、「なんでそんなことも判断できない?」と「自分で勝手に判断するな」の2種類のお叱りを受ける場合があることがあります。どうすりゃいいんだと。 ※「自分で考えた上で決裁を求めればいい」というのは模範的だけどたぶん解決になってない。「そんなことまでいちいち聞くな」と言われるかもしれない。 これは、あまり悩まないでください。誰がどこまで判断していいかは職場ごと、上司ごとにまちまちなので、2種類のお叱りを交互に受けながら、境目を把握していけばいいだけのことです。プログラマが二分探索と呼ぶ作業です。その境目は、はっきり定義された境界ではなくて感覚的なものかもしれません。 ただ、意識しておくといいこととして、2種類のお叱りをするとき、叱る側の立場は若干違います。 「なんでそんなことも判断できない?」と言うとき、それは後輩の成長を願う先輩の立場からです。「自分で勝手に判断するな」と

    新入社員の方へ、判断すると判断しないのバランスの取り方
    wonodas
    wonodas 2010/04/02
    こうしようと思うんですけどどうですかねって聞けばいいだけだと思うんだよな。分かんない時はわかりませんって言うだけだし
  • 最初の会社で過労で体を壊した

    まぁ、壊したっていっても倒れるとか血を吐くような話じゃない。咳が止まらなかっただけ。呼吸が出来ないのが唯一の苦痛。仕事が忙しくて病院に行けず、行ったころには治まっていた。精神的にも体も若かったと思う。翌年、レントゲンに影が写って。治っているから気にするなと医者に言われた。会社の別の職場に移ることにした。 しばらくして、風邪を引きやすくなったことに気がついた。風邪なんか引かなかったのに。しかも熱が出る。熱が出て節々が痛むってこんな感じなのか!と新鮮な驚きがあった。毎年のことになった。 次の会社の仕事は面白かった。自分でいろいろ工夫できたし、向いていた。天職かもしれないとおもった。だが、数年経って会社が大きく成長した後、軽いノイローゼになった。たぶんあれはノイローゼ。客ががんがん電話で怒鳴る。何とかしなきゃ。でも、会社が動いてくれない。自分だけでは解決できない。仕事に行かなきゃ、とベッドから起

    最初の会社で過労で体を壊した
    wonodas
    wonodas 2010/04/02
    苦しくて戻らない気がするけど慎重に歩いていればそれなりの水準には持っていくことができるよほんとうに。でももうだめだって言えるようにならなきゃ
  • 精神病の母を持つって、ほんとうにつらい。

    精神病の母を持つって、ほんとうにつらい。 人間には、成長するために母や父によって満たされなきゃいけない部分ってのがあって、 でも大人になったわたしは、そこが空白のままで生きている。 理由は上記のとおり、母が脆い心を持っていたからだ。 母は些細なことですぐに動揺し、泣き始め、怒り、かと思えば病的にわたしを甘やかした。 わたしはつねにさびしかったけど、そんな姿を見たら、とても母に何かを望む気持ちは持てなかった。 だからわたしは思春期になっても母に反抗なんてしなかったし、 台所で何か音が聞こえれば、受験勉強中でも飛んで行って母を慰めた。 満たされない何かを抱えて、わたしは大学に進学して、とある人と恋に落ちた。 その人といっしょにいると、とんでもない全能感、多幸感、下品な言葉を使うと「ブッ飛」ぶくらいのやすらぎに包まれて、 心の空白が埋まっていくのを感じた。 それは、初めて「わたし」が無条件に受け

    精神病の母を持つって、ほんとうにつらい。
    wonodas
    wonodas 2010/04/02
    びっくりするくらい