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discriminationとbooksに関するworrisのブックマーク (8)

  • 男はクズと言ったら性差別になるのか|柏書房株式会社

    大学入試での特別枠は差別なのだろうか。性的弱者への偏見や差別はどうだろう。最近はやりのセクハラ、カスハラなどの~ハラは何がいけないのだろうか。女性にはどう声をかければいいのか。女性に「ほら笑って」はいけないのか。外国人に対する「故郷へ帰れ」はどうだろうか。政治家の発言に聞く「あなたは美人」うんぬんはかまわないのか。 社会やその地域の文化にはびこる差別や偏見。人種差別だけではなく、男女差別、年代での差別、弱者への差別などなど、一部の人たちへの酷い扱いがはびこっている。 こうした問題は社会正義という観点から考えると、どのように対処すればいいのだろうか。声高に説教をする老人が話題になったり、ヘイトスピーチ、貧困家庭、児童ポルノの問題、男性の給与や昇進が有利な問題、出演俳優の違法行為による上映中止など、毎日のように耳にするこうした話題。これらはなぜなくならないのだろうか。それは正しい判断なのだろう

    男はクズと言ったら性差別になるのか|柏書房株式会社
  • 【支援者募集】滝本太郎によるデマ・名誉毀損・セクハラを告発します|李琴峰

    一、滝太郎によるデマ拡散・名誉毀損などの不法行為 作家の李琴峰です。 先日、滝太郎が私について、Twitter(X)でこんなでたらめな投稿をしました。 私はSNSの毒を遠ざけ、創作のための時間と精神的余裕を得るために、ふだんはTwitterをほとんど見ないようにしています。 したがって、友人から連絡が来るまで、私は自分がこんなことを書かれたのを知りませんでした。 当たり前だが、滝太郎のこの投稿は完全なるデマであり、何ひとつ確かな根拠がなく、事実に基づかない悪質な誹謗中傷でしかありません。 滝太郎は「朝日新聞は大誤報をしている」とまで書いていますが、私は法的にも身体的にも、あらゆる意味において女性だし、レズビアンであることも自分で公表した事実です。朝日新聞は何も誤報していません。 さすがに滝太郎自身もマズイと思ったのか、約3日間でこの投稿を削除しました。しかし、当該投稿はすでに15

    【支援者募集】滝本太郎によるデマ・名誉毀損・セクハラを告発します|李琴峰
  • 裁判の中の在日コリアン〔増補改訂版〕 - 現代人文社

  • 個人は国家に抗うことができるのか ~「『モナ・リザ』スプレー事件」を追う(荒井裕樹)

    の障害者運動史を研究しはじめて約20年になる。振り返ってみれば、この間、ずっと「国家や社会に抗うマイノリティ」を追いかけてきた。 ただし、私が追い続けてきたのは「巨大権力に立ち向かった果敢な英雄」というわけではない。正確に表現するのが難しいのだが、強いて言えば「自分自身の痛みと向き合い続けていたら、いつの間にか国家や社会に歯向かわざるを得なくなった人生を、結果として歩んでしまった人物」ということになるだろうか。 特にこの4~5年は、約半世紀前に起きた事件のことを考え続けていた。昨年は文字通り「寝ても覚めても」といった状態だった。その事件は、私に根源的な問いを突きつけてくる。個人は国家に抗うことができるのか。なぜ個人が国家と対峙せざるを得ない状況が生まれるのか。個人が国家に歯向かうことにどんな意味があるのか。こうした問いについて、取り憑かれたように考え続けていた。 『モナ・リザ展』初日に

    個人は国家に抗うことができるのか ~「『モナ・リザ』スプレー事件」を追う(荒井裕樹)
    worris
    worris 2022/04/20
    "過度な混雑が予想されたことから、主催者によって「入場制限」が設けられていた" "文化庁(つまり政府)が主催する絵画展で障害者が排除された。そのことに障害者本人が怒り、やむにやまれずに起こした抗議行動"
  • 柴田道子[被差別部落の生活と伝承](ちくま文庫)を読んだ。

    原著の刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長の中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別が苛烈で激しかった時代や大正デモクラシーの波にのった解放運動の記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、当に大変貴重な証言ばかりだった。 (まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西にしか無い、関東は関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀や処刑人、農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレの仕事)全般を請け負っているので、基的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端は奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか) このはまず信仰の

    柴田道子[被差別部落の生活と伝承](ちくま文庫)を読んだ。
    worris
    worris 2021/08/11
    "教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する"と同じように、はてなーですら[フェミをフェミと呼んで何が悪い]と差別に加担してしまう、はてなの限界が見えるブコメ群だ。
  • 「ポリコレ」を重視する風潮は「感情的な被害者意識」が生んだものなのか?(ベンジャミン・クリッツァー) @gendai_biz

    ポリコレ」を重視する風潮は「感情的な被害者意識」が生んだものなのか? 『アメリカン・マインドの甘やかし』(2) なぜアメリカの大学ではポリティカル・コレクトネスを重視する風潮が強まったのか。その要因を「世代」にスポットを当てながら社会学的・心理学的に分析した書籍『アメリカン・マインドの甘やかし』(未邦訳)の議論を紹介する連載。第一回はこちらから。 「被害者意識」の拡大 前回の記事に引き続き、憲法学者のグレッグ・ルキアノフと社会心理学者のジョナサン・ハイトの共著『アメリカン・マインドの甘やかし:善い意図と悪い理念は、いかにしてひとつの世代を台無しにしているか(The Coddling of the American Mind: How Good Intentions and Bad Ideas Are Setting Up a Generation for Failure)』(未邦訳)を

    「ポリコレ」を重視する風潮は「感情的な被害者意識」が生んだものなのか?(ベンジャミン・クリッツァー) @gendai_biz
  • アメリカの大学でなぜ「ポリコレ」が重視されるようになったか、その「世代」的な理由(ベンジャミン・クリッツァー) @gendai_biz

    アメリカの大学で起きていること 言語学者であるスティーブン・ピンカーが、発言が差別的であると批判され、アメリカ言語学会から「除名」されかけた騒動をはじめとして、アメリカでは学生による大学教授への攻撃や特定の言論に対する抑圧が問題化している 。 その背景には、気に入らない人物の過去の発言を取り上げて集団で糾弾することでその人の社会的地位や活躍の場を奪おうとする「キャンセル・カルチャー」の風潮がある (詳細は以下の二つの記事を参照:〈「世界的知性」スティーブン・ピンカーが、米国「リベラル」から嫌われる理由〉〈一つの「失言」で発言の場を奪われる…「キャンセルカルチャー」の危うい実態〉)。 発言や行動が差別的な意味が含まないように配慮する、場合によってはそうした観点から影響力のある人物の差別的な発言を批判する――こうした「ポリティカル・コレクトネス」を重視する風潮は、アメリカでも日でも加熱してい

    アメリカの大学でなぜ「ポリコレ」が重視されるようになったか、その「世代」的な理由(ベンジャミン・クリッツァー) @gendai_biz
  • 書店における「道徳」と「倫理」~「本屋とヘイト本」問題をめぐって~|タサヤマ

    非常に気が重いが、このをご覧の展開をして販売している身として沈黙している訳にはいかず、私見を述べておきたい。 そもそも諸悪の根源は何か?ということを忘れてはいけないのではないか。 諸悪の根源とは差別であり、差別思想を撒き散らす者の存在である。 pic.twitter.com/6QrOIVQ0da — 日野剛広 (@Nanoruhino) December 10, 2019 おそらく、日野店長のコメントを全面的に否定されるような書店関係者はいないのではないかと思います。 もちろん完全に同書の意義を認めない人もいましたが、ほとんどの人は永江さんという著者のこれまでのお仕事に敬意をもっていて、そしてなにより「書店とヘイト」の問題をシリアスに考えている。 (だからこそ、その期待に及ばなかったところに苦いコメントが出てくるのでしょう) 以下では、まず①同書についての批判的な指摘(全否定的な感想は

    書店における「道徳」と「倫理」~「本屋とヘイト本」問題をめぐって~|タサヤマ
    worris
    worris 2020/01/11
    ヒトラーでもゲッベルスでもなくアイヒマンになぞらえられたことの意味が分かっていないようだ。否定したつもりが肯定になってしまっている。
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