小田裕一郎さん(おだ・ゆういちろう=作曲家)が17日死去、68歳。葬儀は22日、拠点がある米ニュージャージー州で営む。喪主は妻祐子(ゆうこ)さん。 松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」や「青い珊瑚礁」「風は秋色」など初期のヒット曲を手がけたほか、田原俊彦の「恋=Do!」、石川秀美の「ゆ・れ・て湘南」など80年代のアイドルに数多くの曲を提供した。そのほか代表作にサーカスの「アメリカン・フィーリング」、杏里の「CAT’S EYE」など。自らのアルバムも発表している。
レコード会社の世界的チェーン「タワーレコード」の創業者ラッセル・ソロモン氏が4日、カリフォルニア州サクラメントの自宅で亡くなった。92歳だった。自宅でアカデミー賞授賞式を見ていて心臓発作を起こしたとみられるという。 家族が地元紙サクラメントビーに語ったところによると、アカデミー賞を自宅で見ていたソロモン氏は「登壇者の衣装がひどすぎる」と言って、妻にウイスキーのおかわりを頼んだ。妻がウイスキーを持って行くと倒れていたという。 地元メディアなどによると、40年代に父親が営む薬屋の一角で古レコードを売り始めた。その後、店舗数を拡大して一時は世界30カ国に200店舗以上を展開した。日本には79年に進出し、東京・渋谷店は世界最大規模で知られた。しかしネット配信の台頭で業績が低迷し、06年に破産申請した。ただ日本は02年にMBO(経営陣による買い取り)が行われ、独立した経営体制になっている。(サンフラ
ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーで、解散後は「風」「花嫁」などのヒット曲で知られるフォーク歌手のはしだのりひこ(本名・端田宣彦〈はしだ・のりひこ〉)さんが2日午前1時16分、パーキンソン病のため京都市内の病院で死去した。72歳だった。通夜は5日午後7時、葬儀は6日正午から同市伏見区深草下横縄町25のセレマ稲荷シティホールで。喪主は長男篤人さん。 同市出身で、同志社大在学中からフォークグループで活動。67年に故・加藤和彦さん、きたやまおさむさん(71)のザ・フォーク・クルセダーズに参加した。「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などで人気を博した。 68年の解散後、杉田二郎さん(71)らと「はしだのりひことシューベルツ」を結成し、「風」をヒットさせたほか、71年には「はしだのりひことクライマックス」で発表した「花嫁」が大ヒット。同年のNHK紅白歌合戦にも出場した。
「霧の摩周湖」や「瀬戸の花嫁」などのヒット曲で知られる作曲家で歌手の平尾昌晃さんが、21日夜肺炎のため亡くなりました。79歳でした。 その後、作曲家としての活動も始め布施明さんが歌って日本レコード大賞作曲賞を受賞した「霧の摩周湖」や、小柳ルミ子さんが歌い日本歌謡大賞を受賞した「瀬戸の花嫁」など数多くのヒット曲を生み出しました。 また、みずから音楽スクールを設立し、昭和54年にはNHKの若者向け音楽番組「レッツゴー・ヤング」の司会を担当するなど、新人歌手の発掘と育成にも尽力しました。また、紅白歌合戦のフィナーレの「蛍の光」を指揮していました。 平尾さんは、平成15年に紫綬褒章を受章、また平成26年にはNHKの放送文化賞を受賞しています。平尾さんは、21日夜11時40分ごろ、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。79歳でした。
ヒット曲「ドレミの歌」などで知られ、女性として初めて日本歌手協会の会長も務めた歌手のペギー葉山さんが12日、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。83歳でした。
「ジョニー・B・グッド」など世界的なヒット曲で知られるアメリカの歌手で、ロックンロールを作り上げ、その後の音楽界に大きな影響を与えたチャック・ベリーさんが中西部ミズーリ州の自宅で亡くなりました。90歳でした。 R&Bなどの影響を受けたベリーさんは、ギターで繰り返し奏でられるリフと呼ばれるフレーズが印象的な「ロール・オーバー・ベートーヴェン」や、「ジョニー・B・グッド」などをヒットさせ、エルビス・プレスリーやバディ・ホリーとともにロックンロールを作り上げたとされています。 その後、ビートルズが曲をカバーしたほか、ビーチ・ボーイズがベリーさんの「スウィート・リトル・シックスティーン」をもとにした「サーフィン・U.S.A.」を大ヒットさせるなど、1960年代以降の音楽界にも大きな影響を及ぼし、1986年にはロックの殿堂入りを果たしています。 公式のウェブサイトによりますと、90歳のことし、38年
「あの時君は若かった」などの曲がヒットした「ザ・スパイダース」の元メンバーで、「我が良き友よ」などの曲でも知られるミュージシャンのムッシュかまやつさんが1日、すいガンのため亡くなりました。78歳でした。 昭和45年の解散後は、アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のオープニングソングの作曲を手がけたほか、歌手としては吉田拓郎さんが作詞作曲した「我が良き友よ」が大ヒットしました。 音楽活動を続けるかたわら、「時間ですよ」などのドラマや映画、テレビCM、バラエティー番組などに出演し、ニット帽をかぶり、軽妙な語り口で楽しげに話す姿が親しまれました。 また、幅広い世代の人とともに音楽活動をしていたことでも知られ、70歳を超えても10代や20代の若者とバンドを組むなど、若い世代にも影響を与えました。 ムッシュかまやつさんは去年5月の検査で肝臓がんと分かり、通院治療を行っていましたが、その後、去年8月に脱水
「別れの一本杉」「王将」「矢切の渡し」など多くのヒット曲を生んだ作曲家の船村徹(ふなむら・とおる、本名福田博郎=ふくだ・ひろお)さんが16日、死去した。84歳だった。 32年、栃木県塩谷町生まれ。親友だった作詞家の高野公男さんとコンビで作った「別れの一本杉」(春日八郎)が55年に大ヒット。以来、涙や故郷、別離を歌に込め、大衆の心をつかんできた。 コロムビア専属時代の代表曲は「東京だョおっ母さん」(島倉千代子)、「王将」(村田英雄)、「矢切の渡し」(ちあきなおみ他)など。78年にフリーになってからも「風雪ながれ旅」(北島三郎)や「兄弟船」(鳥羽一郎)、「みだれ髪」(美空ひばり)などを手がけ、作品は計4千曲を超す。 門下生も多く、歌手の北島三郎さん、鳥羽一郎さんのほか、作曲家の三木たかしさんらが師事。「演歌巡礼」と銘打ち、自らもギターを抱えて全国を回り、ナイトクラブや刑務所で歌った。日本作曲家
イギリスのロックバンド・エイジア、キング・クリムゾンなどのベース・ボーカルとして活躍したジョン・ウェットンが結腸がんによる闘病の末、1月31日の早朝亡くなったことが公式サイトで発表されました。67歳でした。 エイジア、キング・クリムゾンのベース・ボーカル、ジョン・ウェットンが1月31日、がんで死去(画像はJohn Wetton's Official Websiteから) ジョンは70年代にキング・クリムゾンに加入、「太陽と戦慄」「Red」といったアルバムで広く知られました。同バンドの解散後、プログレッシブ・ロック界の名ミュージシャンが集まったバンド・エイジアを結成。1982年の1stアルバム「Asia(詠時感~時へのロマン)」が全米チャート1位を10週獲得し、同年アメリカで最も売れたアルバムとなりました。 2015年にジョンはがんによる悪性腫瘍を摘出したことを発表。2017年1月には新しい
イギリスの公共放送BBCは、1980年代にポップデュオ「ワム!」として活躍し「ラスト・クリスマス」などの世界的ヒット曲で知られるイギリスの人気歌手ジョージ・マイケルさんが亡くなったと伝えました。53歳でした。ジョージ・マイケルさんはクリスマスの25日、自宅で亡くなっているのが見つかったということですが、死因は明らかになっていません。
「恋のバカンス」や「恋のフーガ」などのヒット曲で知られる双子のデュオ、ザ・ピーナッツの伊藤ユミさんが亡くなりました。75歳でした。 高校生のとき、名古屋市内の飲食店で2人で歌っていたところをスカウトされ、昭和34年にザ・ピーナッツとして「可愛い花」でデビューしました。 2人のハーモニーは評判を呼び、「情熱の花」「恋のバカンス」「恋のフーガ」など次々にヒット曲を出し、NHKの紅白歌合戦には昭和34年から昭和49年まで16回連続で出場しています。 また、人気コミックバンドのクレージーキャッツと共演した民放の番組「シャボン玉ホリデー」に11年間出演したほか、数多くの映画に出演し、活躍の場を広げていきました。昭和36年には怪獣映画の「モスラ」に双子の妖精役で出演し、神秘的な役柄と歌声で人気となりました。 ザ・ピーナッツは昭和50年に活動を終え、平成24年には姉のエミさんが亡くなっています。 かつて
米女性歌手、コンサート会場で射殺される 1 名前:筑前鐵太郎 ★:2016/06/11(土) 18:06:44.33 ID:CAP_USER9.net 【AFP=時事】米テレビ局NBCのオーディション番組「ザ・ボイス(The Voice)」に出演して有名になった歌手クリスティーナ・グリミー(Christina Grimmie)さんが10日夜、米フロリダ(Florida)州オーランド(Orlando)のコンサート会場で撃たれ、まもなく死亡した。グリミーさんを撃った男は銃で自殺した。警察が発表した。 グリミーさんはオーランドにある「プラザ・ライブ(Plaza Live)」で、音楽バンド「ビフォー・ユー・エグジット(Before You Exit)」と共演した後、サインに応じるために会場に残っていたところ、男が歩み寄ってきて撃たれたという。警察によれば、グリミーさんの兄弟がすぐに容疑者に飛びかか
シンセサイザーを使った電子音楽の第一人者で、音響作家としても世界的に知られた作曲家の冨田勲(とみた・いさお)さんが5日、慢性心不全のため東京都内の病院で亡くなった。84歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男勝(まさる)さん。後日、お別れの会を開く予定。連絡先は日本コロムビア(03・6895・9771)。 1932年東京生まれ。幼少期を北京で過ごし、小学校から高校まで愛知県岡崎市で暮らした。慶応大在学中、朝日新聞社主催の合唱コンクール課題曲に応募し、1位となったことがきっかけで作曲の道へ。NHK大河ドラマの第1回「花の生涯」のほか、「新日本紀行」「きょうの料理」のテーマ曲などを作曲。漫画家の手塚治虫からの信頼が厚く、「ジャングル大帝」「リボンの騎士」などのアニメ主題歌、カネテツデリカフーズのCM「てっちゃん」なども担当した。山田洋次監督「武士の一分」「母べえ」などの映画音楽にも貢献した。
作曲家・編曲家・シンセサイザーアーティストの冨田勲さんが、5月5日に慢性心不全で亡くなったことを日本コロムビアが明らかにしました。84歳でした。 【1975年ごろの冨田さん】 5日の昼ごろに自宅で倒れ、搬送先の病院で家族に看取られて息を引き取ったとのこと。葬儀は親族のみで行っています。後日、お別れの会が開催される予定。 冨田さんは、NHK大河ドラマの第1作「花の生涯」や手塚治虫アニメ「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の音楽などを手がけ、1970年代からはシンセサイザーをいち早く導入。日本人で初めて米グラミー賞にノミネートされるなど、世界的な評価を受けていました。最近では初音ミクとコラボした「イーハトーヴ交響曲」で話題に。11月に上演予定の新作「ドクター・コッペリウス」の創作活動を逝去の直前まで行っていたとのことです。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く