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ブックマーク / tonmanaangler.hatenablog.com (8)

  • 有職読み - 国家鮟鱇

    面白い。 『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』(青土社)のp.100に「有職読み」という語が出てくるが、このような言葉は存在しない。これは2006年何者かによってWikipediaに立項され、その内容がいかにもありそうだったため、以後増補が続けられてきたもので、2010年9月9日読売新聞西部版夕刊に、こんなコラムがある。 ⇒特記訂正 - を償うにをもってせよ そもそも俺は「有職読み」という言葉を知らなかっただけでなく、「故実読み」という言葉さえ知らなかったんだけれど。 ちょっと調べてみた。 小谷野先生は「有職読み」という言葉は存在しないというけれど、三省堂の『大辞林』に載っている。 ⇒ゆうそくよみ【有職読み】 の意味とは - Yahoo!辞書 ただし、意味は、 「故実(こじつ)読み」に同じ。 であるから、ウィキペディアの説明とは違う。 ウィキペディアの記事の初出は20

    有職読み - 国家鮟鱇
  • アンチサヨクとしてのウヨク - 国家鮟鱇

    仙谷官房長官の「自衛隊は暴力装置」発言がネットで大きな話題に。 仙谷由人官房長官は18日の参院予算委員会で、「自衛隊は暴力装置」と述べた。その後、「実力組織」と言い換えた上で、発言を撤回し、謝罪した。 「暴力装置」の表現は、かつて自衛隊を違憲と批判する立場から使用されてきた経緯がある。 ⇒asahi.com(朝日新聞社):仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 参院予算委で発言、撤回 - 政治 「暴力装置」はもともとドイツの社会学者のマックス・ウェーバーが警察や軍隊を指して用い「政治は暴力装置を独占する権力」などと表現した言葉だ。それをロシアの革命家、レーニンが「国家権力の質は暴力装置」などと、暴力革命の理論付けに使用したため、全共闘運動華やかなりしころには、主に左翼用語として流通した。 ⇒仙谷氏「暴力装置」発言 謝罪・撤回したものの…社会主義夢見た過去、質あらわに (1/2ページ) - MSN産

    アンチサヨクとしてのウヨク - 国家鮟鱇
    woykiakes
    woykiakes 2010/11/19
    萱野稔人氏の暴力論が話題になったときも「なんでいまさら?」感があったよね
  • 絶対理性 - 国家鮟鱇

    他方において、理性主義は、絶対なるものは理性的な演繹の結果であり、説明可能であるとする。すなわち、理性主義のリベラル質は、自らが説く絶対なるものは理性に照らして明らかであるとするところにある。 しかしながら、絶対理性なるものは、来、理性によって説明することも否定することもできない。絶対理性はその質からして理性の枠外にある。 (『イノベーターの条件』P・F・ドラッカー 上田惇生翻訳 ダイヤモンド社) 民主主義は多数決を原則とする。しかし単純な多数決が常に正しいとは限らないというのは良く聞く話。 ルソーは市民の意志を特殊意志と一般意志に分けた。特殊意志とは個人の利益を表明したものであり、その集合が全体意志。しかし、全体意志が全体の利益となるとは必ずしもいえない。一方、一般意志は「社会契約のもとに集まった、共同体の意志」。 ⇒ルソーの一般意思ってなんですか - 哲学 - 教えて!goo

    絶対理性 - 国家鮟鱇
    woykiakes
    woykiakes 2010/11/11
    apes先生のことかー
  • 「周回遅れ」とか意味わからない - 国家鮟鱇

    はてなブックマーク - ホメオパシーに関する 「うじうじ」 が晴れた: tak shonai's "Today's Crack"(今日の一撃) ここに「周回遅れ」とか「今更」といったコメントがある。ここに限らずニセ科学の記事に良く見かけるコメントだ。 俺には周回遅れの何が問題なのかさっぱりわからない。特定の人物と議論していて、それは既に議論した話だとかいうのならわかるけれど。そもそも周回遅れというのなら、ホメオパシーの議論などネットが登場する以前からなされていたわけで、ネット上の言論はほぼ全てが周回遅れなんじゃなかろうか? また、ある特定のコミュニティーにおける言論に参入するためには、それ以前になされた議論を踏まえてから参入しろという話はありえる。2ちゃんねるで前スレ読んでから」みたいなこと。だけど、余程の好き物でなければ、ホメオパシーに関する議論を逐一観察している人間など、ほとんどいな

    「周回遅れ」とか意味わからない - 国家鮟鱇
    woykiakes
    woykiakes 2010/11/06
    無理解への苛立ちを、見下すことによって解消しているだけだろう。いい事ではないだろうが人間の心理ってそんなもん
  • 今日の内田樹先生シリーズ「内田先生奨学金に物申す」 - 国家鮟鱇

    結論を最初に書くと、またやっちゃった?って話。 ⇒教育のコストは誰が負担するのか? (内田樹の研究室) 増田聡くんがツイッターで、奨学金について考察している。 もう奨学金という名称を禁止すべきではないか。学生向け社会奉仕活動付きローンとか、強制労働賃金(返済義務あり)とか、いいのがとっさに思いつかないけど、現実を的確に解釈しかつ人口に膾炙するキャッチーな概念をこういうときにこそ考案するのが人文学の仕事なのではなかろうか。マジで。 すくなくとも現状の奨学金は奨学金ではなく貸学金と呼ぶべきだよな。 引用元はここ。 ⇒Twitter / 増田聡: もう奨学金という名称を禁止すべきではないか。学生向け ... この元情報は、おそらく、 ⇒奨学金の条件「社会貢献活動への参加」追加へ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) ⇒はてなブックマーク - 奨学金の条件「社会貢献活動への参加」

    今日の内田樹先生シリーズ「内田先生奨学金に物申す」 - 国家鮟鱇
    woykiakes
    woykiakes 2010/10/23
    「ボランティア義務化」なら怒る人がいて当然だと思うが、「加味する」なら確かに話は違ってくるですな
  • 福沢諭吉は『痩我慢の説』で何と言っているのか(その4) - 国家鮟鱇

    福沢諭吉曰く 左れば、自國の衰頽に際し、敵に對して固より勝算なき場合にても、千辛萬苦、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくは死を決するは、立國の公道にして、國民が國に報ずるの義務と稱す可きものなり。即ち俗に云ふ瘠我慢なれども、強弱相對して苟も弱者の地位を保つものは、單に此瘠我慢に依らざるはなし。啻に戰爭の勝敗のみに限らず、平生の國交際に於ても、瘠我慢の一義は決して之を忘る可らず。歐州にて、和蘭、白耳義の如き小國が、佛獨の間に介在して、小政府を維持するよりも、大國に合併するこそ安樂なる可けれども、尚ほ其獨立を張て動かざるは小國の瘠我慢にして、我慢、能く國の榮譽を保つものと云ふ可し。 内田樹先生曰く 立国は私情である。痩我慢はさらに私情である。 けれども、これ抜きでは頽勢にある国家は支えきれない。 そもそも「痩我慢」の意味を内田先生は理解しているのか?先に

    福沢諭吉は『痩我慢の説』で何と言っているのか(その4) - 国家鮟鱇
  • 2010-10-11

    福沢諭吉曰く 扨、この立國立政府の公道を行はんとするに當り、平時に在ては差したる艱難もなしと雖も、時勢の變遷に從て國の盛衰なきを得ず。其衰勢に及んでは、迚も自家の地歩を維持するに足らず、廢滅の數、既に明なりと雖も、尚ほ萬一の僥倖を期して窟することを爲さず、實際に力尽きて然る後に斃るるは、是亦人情の然らしむる所にして、其趣を喩へて云へば、父母の大病に囘復の望なしとは知りながらも、實際の臨終に至るまで、醫薬の手當を怠らざるが如し。是れも哲學流にて云へば、等しく死する病人なれば、望なき囘復を謀るが爲め、徒に病苦を長くするよりも、モルヒネなど與へて、臨終を安樂にするこそ智なるが如くなれども、子と爲りて考ふれば、億萬中の一を僥倖しても、故らに父母の死を促がすが如きは情に於て忍びざる所なり。 内田先生曰く けれども、国勢が衰え、中央政府のハードパワーが低下し、国民的統合が崩れかけたようなときには、「国

    2010-10-11
    woykiakes
    woykiakes 2010/10/11
    「内田樹先生の利用法」、福沢諭吉『瘠我慢の説』
  • 内田樹先生は今日も平常運転 - 国家鮟鱇

    ⇒内田 樹 「腐ったマスメディアの方程式」 君たちは自滅していくだろう | 経済の死角 | 現代ビジネス [講談社] テレビは見ない。新聞もも読まない。マスメディアは世の中の急激な変化に戸惑うばかり。なぜ見なくなったのか。なぜ読まなくなったのか。内田教授はその理由を「作り手の劣化」と断じる。 たとえば、「かつての売れっ子歌手が最近売れなくなったのはなぜか」という問いがあったとする。それの答えが「音痴だから」というのは適切な答えだろうか。俺にはそう思えない。なぜならその歌手は昔だって音痴だったのだ。それにもかかわらず昔は売れていたのだ。「昔は音痴という短所を上回る魅力があったが今はただの音痴にすぎない」という話ならわかるけれど。 似たような話はよく見かける。たとえば、ファストフード会社の売り上げがなぜ落ちたのかという問いに、「あんな豚の餌みたいのべられるか」みたいな答えとか。そういう考え

    内田樹先生は今日も平常運転 - 国家鮟鱇
    woykiakes
    woykiakes 2010/10/08
    内田先生は「~の劣化」のような物言いが「事実」でなくて「物語」であっても構わないと思ってるフシがあるね。心ある人はマスゴミと五十歩百歩の俗論だと見抜くでしょう。
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