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考え方に関するwsswsのブックマーク (10)

  • https://anipression.doorblog.jp/archives/51324847.html

  • インターネットの父は言った「ネットは人権の1つではない。」

    以前に「インターネットは人として生きるための権利なのかな?」と自分自身に問うてみたこともありましたが、インターネットの父曰く、違うみたいです。 インターネットの父、ヴィントン・サーフ氏。米国の情報工学者でインターネットの誕生に大きな役目を果たした人物。現在はGoogleにて「インターネット エヴァンゲリスト」として活躍中。その彼が言うのです「ネットは人権じゃないよ」って。 人権とは人として幸福で健康な状態でいるための基にあるもの。人間として生き残るためだけでなく、繁栄していくためのもの。綺麗な水や、言論の自由、他人から暴行をうけないとか、そういうことです。この考えは500年前でも同じだし、500年後の未来でも古くなる事なく同じなのです。その理由は、テクノロジーが含まれていない考え方だから。とは言っても、テクノロジーが人権という大きなフレームに全く組み込まれないということでもないのですけれ

    インターネットの父は言った「ネットは人権の1つではない。」
  • 数学の勉強が苦手な人必見!数学の理解で到達できる境地17個

  • 備忘録 [2011/11/26] : 秘教性/教条主義/硬直の陥穽

    千野 帽子 翻訳「小説列伝」準備中 @chinoboshka2017 さきほどRTした @rockets_yamada さんたちの一連のツイートについて雑感。発祥時にジャズの「中」の人(ファンも含め)がアシッドジャズという音楽や名称にたいして批判的だったかどうか私は知らないのだけど、私は長いあいだアシッドジャズを好んできたし、→ 千野 帽子 翻訳「小説列伝」準備中 @chinoboshka2017 →パリや岡山でDJとしておもにそういう音楽を好んでフロアで鳴らしてきた。東京マッハvol. 1は会場そばに渋谷クアトロがあったので客入れ(選句タイム)のトラックはコーデュロイのクアトロライヴだったし、vol. 2の客入れトラックなんてパパレコーズのコンピレイションだった。→ 千野 帽子 翻訳「小説列伝」準備中 @chinoboshka2017 →アシッドジャズという分野はジャブとつける必要がほと

    備忘録 [2011/11/26] : 秘教性/教条主義/硬直の陥穽
  • 電子書籍についてぼんやり考えたこと - 宇宙行きたい

    こんなこと落ち着いて話す相手もいないし、なんとなく電子書籍周辺についてぼんやり考えてることをまとめてみる。 あ、これは僕個人の意見であって、僕の所属する会社とかやってる仕事とか関係ないですよ。 まずはみんなも大好きだったり大嫌いだったりするスティーブ・ジョブズの言葉を最初に引用しておく ハリウッドの連中にとってテクノロジーは「買ってくるもの」で、それが創造的なプロセスだとは全然思っていない。突然インターネットが出現して、彼らの商品を盗みはじめた。ナップスター後遺症に悩まされ、つなに糾弾すべき相手を捜し回っている。そして、テクノロジー業界にまで非難をぶつける。 一方テクノロジー業界の側は、彼らの商品にどれだけ手がかかっているか知らないから、違法ダウンロードをどうでもいいことだと思っていて、「うーん、ぼちぼち彼らも新しいビジネスモデルを作る必要があるね」で片付けてしまう。 でも、どっちも間違い

    電子書籍についてぼんやり考えたこと - 宇宙行きたい
  • 新連載: Googleで何もかも調べられる時代に「知的」ってどういうこと?

    私の肩書きは「科学者」で、学歴の肩書きには「博士号」がついてまわります。 そう、資格だけで語るなら私は「知識人」といってもいいのかもしれませんし、それが無理でも少なくとも「知的な職業」についていると言ってもよさそうです。 それでも私自身は、エドワード・サイードの「知識人とは何か 」や、渡部昇一さんの「知的生活の方法 」を読みふけった頃から「知的になりたいなあ」と憧れるばかりの人間で、すこしも自分が知的だという自信がもてません。せいぜい、頭でっかちで理屈っぽいというくらいのものでしょうか。 「もっと知識がほしい」と行き当たりばったりの乱読をしていた時期もありましたし、「知的に見られたい」と思って読みかじった知識を衒う悪癖はいまも抜け切れたとはいえません。でも「知的なもの」に憧れる気持ちはいまも高校生の頃と変わっていないつもりです。 一方、「知的なもの」の意味も今ではちょっと前に比べて多少変化

    新連載: Googleで何もかも調べられる時代に「知的」ってどういうこと?
  • 人生で必要な知恵はすべてブラウザ三国志で学んだ : 小野和俊のブログ

    ブラウザ三国志での1000人対1000人の一ヶ月に渡る大戦争が終わった。 今回の戦争はこの2年間のブラウザ三国志の活動の集大成として位置づけていたので、 これを機に私がブラ三を通じて学んだことをまとめてみたいと思う。 学生にとっては努力の結果状況が一変する、ということが日常茶飯事だ。 毎日部活で夜遅くまで練習して1年後には見違えるほど上達していたり、 受験勉強で1年前には絶対合格不可能だと思われた大学に合格したり、 「今のままでは無理」と諦めずに努力や工夫を継続することで状況が劇的に 改善する事例は、自分や周囲の人のことを思い出してみても枚挙にいとまがないだろう。 しかし年を重ねるにつれ、自分に合った進路を選び、 人との接し方や問題が起きた時の対処の仕方もある程度身に付き、 上手くいかない場合にもその理由を整理し、対策を考えることもできるようになって行き、 様々な意味で成長すると共に、一方

    人生で必要な知恵はすべてブラウザ三国志で学んだ : 小野和俊のブログ
  • 先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。自分��

    「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」これ、僕もすごくわかる気がします。僕みたいに写真を撮る側の人間が「わかる」とか言っちゃ駄目なんだろうけど、でも同じようなことを言われた時もあるし、写真って絵画や音楽と違って原則的にシャッターを押せば写ってしまうんで、簡単なんですよ。写真を80年間撮り続けている人と今日初めてカメラを持った10歳の子供が同じ露出に設定したカメラを持って同じ立ち位置で同じ方向にレンズを向けたら全く同じ写真が撮れてしまう。これが写真です。「何者にもなれないオタク」ていう言葉が一度何者かになろうとしてそれをあきらめたり挫折した人間や人生に対して何らかの屈を抱えたある種の人間を指すのであれば、そういった人たちがカメラを手に持って「何か出来るかな」「おもしろいな」と考えたりカメラそのものが好きになったりするのは、僕は自分の経験則としてすごくわか

  • 山形浩生「フォロワー数で変わるツイッターのメディア性」 - アルコムワールド コラム 2011/05

    『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 64 回 フォロワー数で変わるツイッターのメディア性 月刊『アルコムワールド』 2011/07号 要約:ツイッターの持つメディアの特性は、フォロワー数によってだんだん変わる。それに自覚的でない人の多くは、自分のおかれた環境にまったく鈍感なために愚かしい醜態をさらすことが多い。が、求める水準のメディアにとどめるための作業もむずかしい。 ある人の書くものでも、あるいはツイッターのツイートでもいいけれど、長いこと見ていると、ときどきその人がだんだん——または突然——おかしくなって、ぎょっとすることがある。今回の震災と原発事故では特に、ツイッターでそんな光景が見られた。それまで普通あるいは高めの見識を持つと思っていた人が、いきなりわけのわからないことを言い、デマに踊らされ、それをたしなめられると逆ギレして相手を罵り、過去の発言との矛盾を指摘されると変な言い

  • ブログを活性化する情報フィルタリングの2つの考え方|まとめ記事は情報をまとめる事ではない

    まず「まとめ記事」とは、様々な情報を「まとめる事」だと思っている人がいますが、実はまったく違います。 ブログ、そして記事の基となる部分である、フィルタリングこそが、まとめ記事の最大のポイントなのです。 あなたの記事はきちっとフィルタリングされているでしょうか? 今回は、あなたのブログ、そして記事がいかにフィルタリングされて運営されているかを確認し、さらにまとめ記事のフィルタリング方法を考えて見ましょう。 情報はそこらじゅうにあふれている そもそも、フィルタリングと聞くと、くさいものにふたをするかのようなイメージがあります。しかし、このフィルタリングという考えは、ブロガーの記事作成に大いに役立ちます。 例えば、 「コンビニでいろはすとエビアンとボルビックという水を買って飲んだんだぜ」 これに対して、あなたというフィルタを通してみましょう。 あなたは、この中で、エビアンがおいしかったとします

    ブログを活性化する情報フィルタリングの2つの考え方|まとめ記事は情報をまとめる事ではない
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