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ブックマーク / amamako.hateblo.jp (7)

  • 「#ペドフィリア差別に反対します」について思うこと - あままこのブログ

    なんか一部のSNS上で最近「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグが肯定・否定両方の意味で話題になっているそうで。 note.com ペドフィリア、チャイルド・マレスターと性的指向 sykality.wordpress.com これについて僕が思ったことをまとめると以下の通りになります。 ハッシュタグのきっかけとなった発言が「ペドフィリア差別」であるとは、僕は思えない 欲望自体はもちろんだれも否定できないが、それを公に表現することは当然批判の対象となりうる 「○○を好きという感情は誰にも否定できない」みたいな安易な共感は、思想としての反差別とは関係ない 「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグが話題になった経緯について そもそもなぜSNS上で「#ペドフィリア差別に反対します」というハッシュタグが話題になったのか、詳細な経緯は上記のnoteの記事にまとめられていますが

    「#ペドフィリア差別に反対します」について思うこと - あままこのブログ
    wuzuki
    wuzuki 2024/02/21
    性愛の願望の公言はそもそも基本的には「批判されることが多い話題」で、限られた場でだけ許されてる、という印象。ペドに限った話でもない。/ そもそも私はLGBTQの括りに違和感があるので使わず「セクマイ」派。
  • 少女を犠牲にして世界を救う功利主義が「道徳」となってはいけない理由 - あままこのブログ

    amamako.hateblo.jp 先日の記事ですが、はてブやTwitterの反応を見る限り、賛否両論、それも、否定がだいぶ多めのようです。 寄せられた主な批判としては 「著者の主張を曲解している」 「人文学は、文化相対主義を否定し、価値判断をすることによって社会に貢献しなければならない」 「功利主義に対するあままこの批判は間違っており、功利主義こそ道徳とされるべきだ」 というようなものが多いです。 ベンジャミンの考え方に同意できない部分は私もあるものの、このブログの主張も同意できないなと思ってしまったし、要約も恣意的だと感じた。の内容だけでいうなら私はベンジャミンのほうに意見が近い。 / “自分がどう生きるかは、結局自分が決めるしかないのでは?―『21…” https://t.co/PNmVoTdiyb— まくはり うづき(Makuhari Wuzuki) (@wuzuki_) 20

    少女を犠牲にして世界を救う功利主義が「道徳」となってはいけない理由 - あままこのブログ
    wuzuki
    wuzuki 2022/08/07
  • 自分がどう生きるかは、結局自分が決めるしかないのでは?―『21世紀の道徳』批判的書評 - あままこのブログ

    21世紀の道徳 作者:ベンジャミン・クリッツァー晶文社Amazon著者のベンジャミン・クリッツァー氏(id:DavitRice)の論考については以前もこのブログで何度か取り上げたことがあります。 amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp 上記の記事を読めば分かるとおり、僕はクリッツァー氏の豊富な知識量についてはすごいと思っているんですが、そこから示される、社会問題や学問観・人生論にはどうしても同意できないところがあります。ただ、なんでそこで同意できないかはいまいちよく分からなかったんですね。 それは、このを読んでも正直あまり変わらなかったんですが、ただこうやってまとまった形で論考を読むことによって、そもそもクリッツァー氏と僕には、根的な考え方の違いがあるんだなと思うようになりました。 学問は「唯一無二の正解」を示す

    自分がどう生きるかは、結局自分が決めるしかないのでは?―『21世紀の道徳』批判的書評 - あままこのブログ
    wuzuki
    wuzuki 2022/08/05
    ベンジャミンの考え方に同意できない部分は私もあるものの、このブログの主張も同意できないなと思ってしまったし、要約も恣意的だと感じた。本の内容だけでいうなら私はベンジャミンのほうに意見が近い。
  • 男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか - あままこのブログ

    s-scrap.com 「男性にも『ことば』が必要だ」という記事を読みました。 上記の記事は、さまざまな論点があって、それぞれの論点で賛成できるもの・そうでないものが分かれるのですが、それに一つ一つ答えていくと長くなってしまうので割愛します。 ただ、タイトルの「男性にも『ことば』が必要だ」に関して言うと、それについての僕の答えは簡単で 「男性から『ことば』を奪っているのは男性自身ではないか」 というものです。 「ことば」を発するときに「説明する理論」が必要なときとは 上記の記事では、「女性が受けている不利益を説明する言説はたくさんあるが、男性が受けている不利益を説明する言説はない」ということをもって、「男性には『ことば』がない」と主張します。 これまで、男性と女性が受ける不利益の非対称さを論じる言説は、フェミニズムによるものが大半だった。したがって、女性が受けている不利益については、それを

    男性から「ことば」を奪っているのは男性自身ではないか - あままこのブログ
    wuzuki
    wuzuki 2022/04/14
    「加害される辛さ」には「加害を止めろ」と言えるけど、「選ばれない辛さ」には「俺を選べ」とは言えないのは大きいよね。男性の生きづらさは、制度的な差別よりテストステロン由来の辛さが多そうだと考えてる。
  • 「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうか―エイプリルフールの同性婚ネタについて - あままこのブログ

    www.huffingtonpost.jp この記事を読んだときに、最初に抱いた感想を正直に言うと 「そんなことで傷つかれてたら何にも表現できなくなるわ」 でした。 ただ、何度も読んでいくと、 「まあ確かに当事者には傷つく人も居るかもしれないな」とも、思うようになりました。 ですが、「誰かが傷つく」ということと、「そういう表現をしちゃいけない」ということは、また別問題なわけです。 問題は、「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうかなのです。 この記事で専門家として発言を紹介されている松岡氏は、次のように論じることで、アイドルがエイプリルフールに同性婚をしたと嘘をつくことが、差別や抑圧に加担すると主張します。 松岡さんは、「『嘘』でより多くの注目を集めるためには、『あり得ないこと』が冗談としてネタに利用されやすく、差別意識や偏見が顕在化しやすい」と指摘する。 「同性愛をエイ

    「誰かが傷つく」という事実を、正面から受け止められるかどうか―エイプリルフールの同性婚ネタについて - あままこのブログ
    wuzuki
    wuzuki 2022/04/04
    「表現物は常に誰かを傷つける可能性を内包していることを前提に、どこまでの配慮をすべきか」という問題。「マイノリティで虐げられている人が見たら傷つくから」というのは配慮を求める理由としては弱く感じる。
  • オタクとフェミニズム、なんでこんなに仲が悪くなっちゃったの? - あままこのブログ

    なんかまた最近、女の子を描いた絵が過度に性的とかそういうはなしで、Twitterの方で炎上があった模様です。 www.asahi.com www.itmedia.co.jp こういう話題については、このブログでも何度か取り上げてきました。 amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp amamako.hateblo.jp なので、こういう問題に対しての僕の原則的立場とかは、上記の記事を読んでいただければと思います。 ただ、こういう炎上をいっぱい見てきて、僕には一つ思うことがあるのです。 それは、「オタクフェミニズム、なんでこんなに仲が悪くなっちゃったの?」ということです。 かつて、オタクフェミニズムが結構仲がいい時代があった……少なくとも、僕の認識では こういうことを言うと、多くの人はきっとこう思うでしょう。「オタクフェミニズムってもともと仲悪かったんじ

    wuzuki
    wuzuki 2020/11/09
    私もそう思ってた。オタクとフェミニズムはむしろ親和性高い印象が強かったし、ヲタ側もキモがられてる自覚があるからひっそり楽しんで「萌えブーム」として一般人にも晒すのはむしろ嫌がってた人も多かったような。
  • ラブライブ!サンシャインのパネル騒動について―その輪の外へ、想像力を向けようよ - あままこのブログ

    寿太郎みかん www.at-s.com ラブライブ!サンシャインのパネルの騒動についての、僕の考え。 僕の立ち位置について まず最初に行っておきたいのは、僕の立ち位置です。なぜそれを言っておきたいかといえば、この騒動は、それぞれがどういう立ち位置から意見をいうかで、ぜんぜん違う意見になるということ、むしろ、立場が違えば意見も違うものになって当然なのに、多くの人が「自分の立場からの意見が唯一無二の正しい意見のはずだ」と強く思い込んでいて、そのせいで対立が激化してしまっているように見えてならないからです。 そういう対立の激化から距離を置くためにも、僕は、僕の立ち位置を明確にし、あくまでそういう立ち位置からの意見を述べたいと思うのです。 僕は、大学で4年・大学院で2年、社会学というものを学び、その中でジェンダー学やフェミニズム、また差別や社会的排除といった問題について、それを専門としてきたわけで

    ラブライブ!サンシャインのパネル騒動について―その輪の外へ、想像力を向けようよ - あままこのブログ
    wuzuki
    wuzuki 2020/02/24
    主な批判の論点はそこではないのでは、とは思いつつも、バランスの取れた記事でいいね。卒論を「アニメ聖地の観光地化」で書いた私としては、その観点からも面白く読めた。個人の嗜好とジェンダー規範は別物だよね。
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