いかなる暴力も許されないとする道徳的な人間にとって「暴力を孕(はら)む愛」は矛盾であり、正しくはなく、それは愛ではないとさえ言うだろう。けれど、人間は合理性だけでは生きていけない。「道徳」とは別に、特定の個人すなわち〈当人〉が、社会の中で「より善(よ)く生きる」ことができる方法を模索する必要がある。 「歪(いびつ)な愛の倫理」では、まさにこうした、他者から見て理解しがたくとも、〈当人〉にとって譲れないものがある関係に対し、〈第三者〉はどのように応じられるかという可能性を模索している。本書には、パートナーとの暴力関係にありながら「離れたくない」と思う人や、親から虐待を受けて児童相談所に保護される際、まるで「誘拐」されるかのような態度を見せる子ども、ゆるやかに死へと近づいていると自覚しながらも、今を生きるために自傷行為を必要とする人などが登場する。身近な友人がこうした状況に置かれていたら、危険
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