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満州に関するy_shimizuのブックマーク (3)

  • シベリア抑留:露に生存者 北海道出身の89歳 | 毎日新聞

    「もう一度日に」 第二次世界大戦末期の1945年に旧満州(現中国東北部)でソ連軍に捕まり、シベリアで抑留された日人男性がロシアで生存していることが新たに判明した。抑留者のほとんどは56年12月までに日へ帰還したが、外務省の資料によると、約1000人がソ連にとどまったとされる。その男性が、初めて日メディアの取材に応じた。「戦後、一度も日に帰っていない。死ぬまでにもう一度日をこの目で見たい」と話している。 取材に応じたのは、北海道遠別(えんべつ)村(現遠別町)出身の田中明男さん(89)。10代で陸軍に入り、満州の関東軍に送られた。戦時中は機関銃を撃つ兵士として中国人の部隊と戦ったという。

    シベリア抑留:露に生存者 北海道出身の89歳 | 毎日新聞
    y_shimizu
    y_shimizu 2017/06/05
    遠別町出身
  • 忘れてはならないことー東京農業大学満州報国農場ー | 思泳雑記

    忘れてはならないことを忘れて生きているとよく感じることがあります。 今回取り上げたいのはたまたま定期購読の雑誌で知ったことで、無数にある太平洋戦争に関連する惨劇の一つです。こんなことも忘れてはならないことだと思い、無知に逃げこむ前に簡単にスケッチしておくことにします。 ◈「満州報国農場」のこと 年始恒例の箱根駅伝中継で黒の詰襟姿の応援団員が両手に大根をもって踊っている姿を見られたことはありますか。この゙ダイコン踊り゙が名物となっているのが東京農業大学です。 岩波書店のPR誌『図書』に三回にわたり掲載された「農学と戦争ー東京農業大学満州報国農場の記憶」(2016年5月・7月・9月各号)のことが今回のテーマです。東京農業大学出身者であり現教授(国際農業開発学)の小塩海平さんが執筆しています。 大学部構内に慰霊碑がありますが、小塩さんは大学入学以来、気づきながらずっと関心を持たないままで過ごし

  • 国策の果て 終わらぬ苦難/(8完)2度の強制避難/開沼幸一さん/伝える 戦後69年の夏 | 河北新報オンラインニュース

    資源獲得とエネルギー政策。二つの国策に翻弄(ほんろう)され、居住地から2度も強制的に追われた人々がいる。  福島県飯舘村の農業開沼幸一さん(75)もその一人。旧満州から引き揚げ、戦後入植した同村の豊栄(ほうえい)集落は福島第1原発事故で避難区域になり、離郷を余儀なくされている。  山形市出身の父は満州開拓団に加わった。開沼さんは現在の中国黒竜江省ジャムス市で生まれ、敗戦の時は6歳。大連の日人収容所で1年間過ごした。  「収容所では、一日に黒パン一つしか配給されなかった。中国北東部の冬の寒さはものすごかった」  幼子の心に記憶が焼き付いている。  旧満州から逃れる途中、体力のない者が次々脱落した。5歳の弟と、生まれたばかりの妹も命を落とした。父はシベリアに抑留され、1946年12月、長崎県の佐世保港で日の土を踏んだときは母と2人きりだった。  48年秋に帰国した父は、山形県の仲介で豊栄集

    国策の果て 終わらぬ苦難/(8完)2度の強制避難/開沼幸一さん/伝える 戦後69年の夏 | 河北新報オンラインニュース
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