タグ

ブックマーク / cruel.org (11)

  • Report from Iron Mountain: Translator's Note

    『アイアンマウンテン報告』(ダイヤモンド社、1997年4月) 訳者解説 山形浩生 書誌 書は Report from Iron Mountain: On the Possibility & Desirability of Peace (New York: Dial Press, 1967) の全訳である。翻訳の底としては、一九九六年にフリー・プレスより刊行された新装版を使用し、これに収録されている新たな序文や書評なども加え、さらに日からの材料も加えたものとしている。 翻訳に当たっては、DEC HinoteUltra + Windows95 + ATOK8 +MS Word95を主要環境とし、松田徳一郎監修『リーダーズ英和辞典』(研究社)を主辞書として使用している。 書のなりたち 世界は完全な平和を迎えられるのか。そしてそのためにはどのようなステップが必要なのか。それを現実的かつ具体

    ya--mada
    ya--mada 2023/06/18
  • 山形浩生「CUT」書評連載「今月の一冊」まとめ

    CUT 連載書評 CUT はいったいなんでぼくになんかこんな書評を続けさせてくれてるんだろう。渋谷陽一が「死の迷路」訳者解説を見て、こいつはなんか書けそうだと思って依頼してきたのが最初なんだけど、当時は(いまも?)ほとんど実績のなかった人間に、なんと大胆な。 新刊だろうと旧刊だろうと写真集だろうと経済書だろうと、なんでもできるのはホント得難い場ではある。でも、つまんないのが続くと怒られるし(「最近は山下達郎より反響が少ないですよ!」(涙))、しかも途中から吉親子とタメはらなきゃなんないっつー……いつ打ち切りになるかとヒヤヒヤしながら書いてて、先日も「実はこんどから月刊になってコラムを刷新するんですが……」という電話がかかってきて、ああきたか、ついに終わるか、と腹をくくったら「山形さんには続けて書いていただくということで」と続くことになってしまった。なんで?!? 気がつけば、ぼくが CUT

    ya--mada
    ya--mada 2017/07/31
    懐かしいな、いま振り返ってみるのも良いかもしれない
  • CUT 1991.08 Book Review 「コンサルタントの秘密」

    ぼくの秘密を教えよう:コンサルタント業究極の暴露。 (『CUT』1991年4月) 山形浩生 この仕事をはじめてぼくが最初に悟ったのは、自分がいかにものを知らないか、ということだった。こう書くと、あの傲慢不遜な山形にもそんなしおらしい悟りがあるのか、と驚く人もいるだろう。そういう人々は自分のせっかちさをよく反省する必要がある。というのも、自分の無知を悟った一週間後からぼくが徐々に気がつき始めたのは、ほかの人だってぼくと比べてそうそうものを知ってるわけじゃない、ということだったからだ。さらに、知りすぎているがゆえにかえってものが見えないこともあるのだ、ということも、現場の人と話していると往々にして感じられてくる。こうして、最初の悟りからわずか一か月たらずで、ぼくはもとどおりの偉そうで傲慢不遜な人間に戻ったわけで、しかも変な開き直りの分だけ扱いにくくなってしまったのは我ながら困ったものだと思う

    ya--mada
    ya--mada 2013/08/01
    <q>外部からちょっとつつかれたくらいで180度も変わってしまうような組織は、自己修復能力がないという意味でほとんど絶望的である</q>
  • 山形浩生「フォロワー数で変わるツイッターのメディア性」 - アルコムワールド コラム 2011/05

    『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 64 回 フォロワー数で変わるツイッターのメディア性 月刊『アルコムワールド』 2011/07号 要約:ツイッターの持つメディアの特性は、フォロワー数によってだんだん変わる。それに自覚的でない人の多くは、自分のおかれた環境にまったく鈍感なために愚かしい醜態をさらすことが多い。が、求める水準のメディアにとどめるための作業もむずかしい。 ある人の書くものでも、あるいはツイッターのツイートでもいいけれど、長いこと見ていると、ときどきその人がだんだん——または突然——おかしくなって、ぎょっとすることがある。今回の震災と原発事故では特に、ツイッターでそんな光景が見られた。それまで普通あるいは高めの見識を持つと思っていた人が、いきなりわけのわからないことを言い、デマに踊らされ、それをたしなめられると逆ギレして相手を罵り、過去の発言との矛盾を指摘されると変な言い

  • 富岡日記

    右は一人にて二十五釜受持、繭えり場・糸揚場見廻りもこの内。 日婦人中廻り 尾高 勇   この方は尾高様の令嬢、只今は渋沢男御子息の令夫人の筈に有之。 青木 けい  総取締青木たい様の御孫 森村 時 (武州)  畑銀 (七日市) 太田たい (武州)  笠間愛 (武州) 轟 とね (武州)  若林若(高崎) 磯貝某 (上州小幡) その他の姓名忘れました。 右は五十釜に三人、二十五釜に一人ずつ。一人は二時間ごと位に交代。一釜を三人で代る代る に糸をとって居ります。男女二人二十五釜の前を行き来して、糸のむらになりませんように見て 歩きまして、太過ぎても細過ぎても切れてしまいます。湯かげん、しけの出し方、蛹(さなぎ)の出し方等 やかましく申されます。それで聞きませんと叱られます。その上西洋人が見廻りまして、目に止 りますと中々厳しく申します。これは直に工女中の評判になりますから、如何なる者も恥かし

    ya--mada
    ya--mada 2010/01/19
  • 事業収支の考え方:あるリゾートを例に

    要約: 事業収支は、まずビジネスモデルを見て、それからわかる範囲で数字をおさえ、その条件をいろいろ変えてみればいい。常識さえあれば高校生にもできる話だ。あるリゾートを例にそれをやってみよう。 注: 写真と文は関係ありません。 写真はフィジーのマナアイランドリゾート。 1. はじめに なんか例の ap bank に関する駄文を見た人が、融資先についてあそこで言ってる「もとがとれるかわからない」とかいうのは予断をもって見ているのではないかとかなんとか、事業の当の中身はわからない以上そういう決めつけはどうのこうの、そんな簡単に事業のよしあしがわかるものか云々というメールを送ってよこしてくれたことであるよ。まったく浜の真砂はなんとやらブツブツ…… おめえさんがた、むずかしく考えすぎ。もちろんそりゃあ、その事業の微に入り細をうがって知ってるわけじゃないよ。でもだいたいの見当はつくんだ。だって、そ

    ya--mada
    ya--mada 2010/01/19
  • ap bank の活動をちょっと見てみた。

    要約: 坂龍一やらミスチルやらの、エコロ金融 NPO である ap bank は、鳴かず飛ばずで地道にやってはいるようだが、融資傾向は明らかに堅実路線を狙って変化してきている。また資金を補うためにかなり儲かるコンサートをやっているけれど、そのお金がどう使われたかは、ap bank のディスクロージャーが悪くてまったく見えない。2007 年には儲かるはずだったコンサートが一部中止で、大赤字だが融資は結構大盤振る舞い。うーん、ここのお金の流れがあまりに見えない…… はじめに 昔、坂龍一とかミスチルとかのやってる、エコロ金融 NPO である ap bank について冷笑的なことを書いたので、その後どんな具合かなと思ってちょいと見てみましたよ。『サイゾー』のネタにでもしようかとも思ったが、そんなに変なところは見つからなかったので、ざっとした概観レポートくらいのもんだ。 早速の苦言として、ディス

    ya--mada
    ya--mada 2010/01/19
  • ソローによるジェイコブス『経済の本質』書評

    真実の経済:ジェイコブス『経済の質/自然から学ぶ』書評 ("Economies of Truth", The New Republic, 2000-05) Issue date: 05.15.00 Post date: 05.08.00 (2008/06/16) ロバート・M・ソロー  山形浩生訳 要約:成長理論の重鎮ボブ・ソローによるジェイコブス『経済の質』の容赦ない批判。同書はあまりに経済学について無知。中小企業の多様性が重要、という主張は必ずしもまちがってはいないが、それについてまともに分析ができていない。表面的な類似にこだわった小話で事足れりとして、それ以上の深い話をきちんと考えようとしない。このため、読んでもまったく勉強になりません、とのこと。 ジェイン・ジェイコブスので他に読んだことがあるのは『都市の経済』(邦題:「都市の原理」)だけだ。悪くなかった。彼女は人間スケールの

    ya--mada
    ya--mada 2010/01/19
    売り歩く人々もそうゆう話しかと思っていたけど、経済学者って広義と狭義じゃまるで意味が変わると思う。
  • ジョン・ロー (John Law)

    ジョン・ローは、アルフレッド・マーシャル (1923: p.41) に言わせると「向こう見ずでバランス欠如だが、実に魅力的な天才」で、カール・マルクス (1894: p.441) が追加したように「詐欺師と予言者のおもしろい人格的な混合物」だった。博打打ち、銀行家、殺人者、王室顧問、亡命者、放蕩者、冒険家だったジョン・ローは、その独自の経済理論以外でもいろいろ有名だ。かれの一般的な名声(あるいは悪名?)は、かれがパリで行った二つのすばらしい事業からきている。Banque Générale とミシシッピー方式だ。その経済的な名声は二つの大きな発想からくる。価値の希少性理論と、通貨の真(リアル)手形 (real bill) ドクトリンだ。 ジョン・ロー (1705) は ダヴァンザティの「交換価値」と「利用価値」のちがいを拡張して、その有名な「水とダイヤモンド」パラドックスを導入した。つまり、

  • やっぱり貧乏人は合理的でないのかもしれないよ。

    (The Economist Vol 383, No. 8526 (2007/04/28), "Economic Focus: Another day, another $1.08," p. 90) 貧乏人は減りつつあるし、その貧乏にでさえ選択の余地はある――最善の選択をするとは限らないかもしれないけれど。 今月、世界銀行は、一日一ドル以下で暮らす人の数が 2004 年には 9.86 億人だったと発表した――これはそうしたひどい状態で暮らす人の数が 10 億人を下回った初めての年となる。世界銀行の極度な貧困の定義は、明快で単純で、dollar a day と d の続く頭韻にさえなっている。Journal of Economic Perspectives最新号で、マサチューセッツ工科大のアブジット・バナジーとエスター・デュフロは、これをレトリック的な名作と呼んでいる。だがこれはそんなにいい

    ya--mada
    ya--mada 2008/06/19
    貧乏人もだんだん賢くなってきて合理性を得るようになった。それで、景気が悪くなってきたということなんかな?/生意気なはてなーが槍玉にあげられてる。
  • 『はだかの王様の経済学』は戦慄すべき本である

    研修資料の余白に:『はだかの王様の経済学』は戦慄すべきである (2008/06/16, 17 日に 注 等細かい加筆, 22日にコメントなど加筆。) 山形浩生 要約:松尾『はだかの王様の経済学』は、解説されている疎外論がひがみ屋の責任転嫁論でしかないうえ、それを根拠づける「来の姿」だの「実感」だのがあまりに恣意的で確認しようがなく、まったく使えない。そして「みんなで決め」ればすべてうまく行くというお花畑な発想は悪質なニュースピークによる詐欺であるばかりか、最後にはポル・ポトまがいの抑圧思想に直結していて戦慄させられる。 目次 序 「設備投資」は「コントロールできない」か? 疎外とはひがみ屋の天国である。 「来の姿」ってだれが決めるの? 市場を超える「話し合い」って? 「みんな」で決めればだれも不満はない? おわりに 稿への反応など 蛇足コメント 1. 序 松尾筺『はだかの王様の経済

    ya--mada
    ya--mada 2008/06/18
    おもいっくそ機嫌悪いなぁー。松尾氏嫌いなの?ケチのつけ方がいまいちと言うか、ダレ向けにケチをつけているのかわからんなぁ。額面通りに受け止めると痛い目に遭うぞこりゃ。
  • 1