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哲学と医療に関するyachimonのブックマーク (2)

  • 【3868】コンサータによって自己の連続性を失いつつある | Dr林のこころと脳の相談室

    Q: 私は某大学の法学部に通う21歳の男子学生です。(質問とは、直接、関係はありませんが、触法精神障害者に興味があり、それについて卒業論文を書くため、日々、資料を集めております。) 質問に入る前に、長文になりますが、質問に関わってくることなので、少し、コンサータ の服用とそれによる私自身の感じたことを書かせていただきます。 私は、精神科にてADHDと診断され、コンサータ を服用して数年になります。コンサータ 服用当初は、コンサータ によって、感覚過敏から解放され、初めて、ゆっくりとを読むことができるようになり、感動のあまり泣いてしまいました。この感動はあまりにも激しく、「私は、もう完全に『脳』を支配した」という優越感(あるいは、副作用としての多幸感に過ぎないのかもしれませんが)を得ました。ところが、数ヶ月たち、このコンサータ 服用後の精神の変調が、私の悩みの種になってしまいました。 私は

    yachimon
    yachimon 2019/08/08
    鬱病による休職からの復職後、仕事で鬱々と悩んだりイラついたりした時、おやつやご飯食べるとスーッと落ち着く事を知った。脳ってやつはまったくもう
  • まるごと死んでゆく - kom’s log

    長期脳死、人の意思表示@参議院での発言(森岡正博さん) http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20090708/1247014793 ここから、私の個人的な見解、といいましょうか、思想、哲学になるのですが、 こどもたちには、自分の身体の全体性を保ったまま、 外部からの臓器摘出などの侵襲を受けないまま、 まるごと成長し、そしてまるごと死んで行く、 自然の権利というものがあるのではないでしょうか。 そして、その自然の権利がキャンセルされるのは、 人がその権利を放棄する事を意思表示したときだけではないでしょうか。 日の国政の場でこのようなスピーチがあったことに拍手したい。「日文化では、臓器移植はいやがられる」的な形で文化論にもっていって「しかしながら欧米では」といった”脳死は人の死”擁護論があるけれども、上のリンク先を読めば、文化バイアスではなく脳死状態はひとつ

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