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2021年3月16日のブックマーク (5件)

  • 魚の摂取と心血管疾患リスク: 北品川藤クリニック院長のブログ

    yajifun
    yajifun 2021/03/16
    “現状はお魚を週に2回はメインのおかずにしましょう、 というくらいが健康な食生活の条件として、 妥当なところのように思われます”
  • 【証言あの時】元県議会議長・佐藤憲保氏(上) 県災対本部に常駐

    「おい、どうなってんだ」。2011(平成23)年3月11日午後4時30分すぎ、県議会議長だった佐藤憲保は、福島市にある自治会館の一室のドアを勢いよく開けた。そこは設置して間もない県の災害対策部だった。佐藤はそのまま対策部に加わり、関係者に雷を落としながら震災対応の重要な役割を担うことになった。 「原発危ない」情報に内堀氏に「早く行け」 県の対策部に議長が加わることは異例だ。だが、災害に直面し鬼気迫る佐藤の勢いに、誰も異論を唱えなかったという。被災状況が報告される中、11日深夜に「原発が危ない」との情報が入る。「どうする」とざわめく。佐藤は反射的に、副知事だった内堀雅雄に「余裕はねえ。今すぐ行け」と口にした。内堀は、大熊町の県原子力災害対策センター(オフサイトセンター)に飛んだ。 詳しい情報が手に入らないまま、12日に第1原発1号機が水素爆発する。その日の深夜、対策部の予備会議で「ス

    【証言あの時】元県議会議長・佐藤憲保氏(上) 県災対本部に常駐
    yajifun
    yajifun 2021/03/16
    “4月下旬、郡山市が独自に校庭を除染する方針を発表する。その翌日、県幹部らは「政府の方針もないのに、どうするのかね」と冷笑していたという。佐藤は激怒した”
  • 【証言あの時】元復興庁事務次官・岡本全勝氏(下) 与党が提言

    「与党から復興政策の提言が出ます。内容には僕らも関与しています」。2013(平成25)年3月、復興庁統括官の岡全勝は、官邸で首相の安倍晋三と向き合っていた。安倍は「何と言えばいいのか」と岡に助言を求めた。「この通りやると言って、復興大臣におろしてもらえれば良いと思います」。安倍は岡の進言を了承した。与党提言から復興政策が動いていくという、今に続く枠組みが生まれた瞬間だった。 3月6日、自民党東日大震災復興加速化部長の大島理森と、公明党の同部長の井上義久が官邸を訪れ、提言書を安倍と復興相の根匠(衆院福島2区)に渡した。安倍は「提言をしっかり受け止めたい。根大臣の下で復興を加速化することが使命。結果を出すことで応えたい」と述べた。シナリオや席次は、官房長官の菅義偉の了解を得て全て岡が決めた。 12年12月に政権奪還した自民党は、国会対策の経験が長く老練で調整能力に長(た)けた

    【証言あの時】元復興庁事務次官・岡本全勝氏(下) 与党が提言
    yajifun
    yajifun 2021/03/16
    “事故の加害者は東電と経産省だが、経産省の福島への『つぐない』については問題がある。彼らは事故の道義的な責任を背負い続けなければならないが、その組織機構がしっかりしていない”
  • 【証言あの時】前郡山市長・原正夫氏 計画停電、怒りに身震わせ

    「やれるものなら、やってみろと言え」。2011(平成23)年3月14日、開成山球場に置かれていた郡山市の災害対策部に、当時の市長、原正夫の声が響いた。普段は温厚な原が怒りに身を震わせた理由は、東北電力からの「郡山市に計画停電の説明をしたい」という申し入れだった。 郡山市は、東日大震災で多くの建物が倒壊する被害が出たため、市民は公共施設に身を寄せていた。東京電力福島第1原発事故の避難者受け入れも始めていた。すぐに「この寒い中、避難所が停電となれば生死にかかわる。人道上許されない」と原は考えた。申し出は職員を通じたもので、原は東北電力側がどのような意向なのか分からなかった。しかし、政治家の勘で「説明を受けたら停電を了解したと誤解される恐れがある」と感じた。強い意志で拒否したからか、再度の説明会の申し入れはなかった。その後も県での震災時の計画停電は行われることはなかった。 原は「私が対策

    【証言あの時】前郡山市長・原正夫氏 計画停電、怒りに身震わせ
    yajifun
    yajifun 2021/03/16
    “原は代わりに郡山の給水車を派遣した。この行動が、各種団体の間で「いわき市に物資を送っても大丈夫」という先例として伝わり、いわきへの物流が動きだす契機になった”
  • 【証言あの時】元国家戦略担当相・玄葉光一郎氏 50キロの秘密計画

    yajifun
    yajifun 2021/03/16
    “私は『原発が水素爆発するのではないか』とも指摘した…菅直人氏は『それはないだろう。そうだよな、班目』…班目春樹氏が…『ありません』と言った…数時間後に1号機が爆発した”