横山泰子「妖怪手品の時代」を読んでいたら江戸時代の人形師、泉目吉に関する記述を見つけたので抜き書き。 泉目吉については過去のエントリー「泉目吉の変死人形」でも取り上げている。 文中に出てくる林屋正蔵(初代)は怪談噺の元祖とも呼ばれた江戸時代の落語家。現在その名跡は林家三平の息子のこぶ平が継いでる。 都楽は三笑亭可楽の弟子だったが、同門の林屋正蔵も化物咄を売り物にしていた落語家で、高座で焼酎火をともしたり、化け物の人形を使ったりしたものと思われる。大仕掛けの化物咄を披露するには、適切な上演スペースが不可欠である。そこで正蔵は文化十四年(1817年)に江戸の盛り場両国に寄席を取得し、日本国中からやってくる旅行者たちを怖がらせ驚かせていた。旅行者は常に入れ替わるので、何度も繰り返し仕掛けを見て飽きる客層ではない。この点は化物咄にはもってこいだった。 正蔵に協力したのは人形師泉目吉である。目吉は幽