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ブックマーク / ofellabuta.blogspot.com (3)

  • 泉目吉の幽霊蠟燭

    横山泰子「妖怪手品の時代」を読んでいたら江戸時代の人形師、泉目吉に関する記述を見つけたので抜き書き。 泉目吉については過去のエントリー「泉目吉の変死人形」でも取り上げている。 文中に出てくる林屋正蔵(初代)は怪談噺の元祖とも呼ばれた江戸時代の落語家。現在その名跡は林家三平の息子のこぶ平が継いでる。 都楽は三笑亭可楽の弟子だったが、同門の林屋正蔵も化物咄を売り物にしていた落語家で、高座で焼酎火をともしたり、化け物の人形を使ったりしたものと思われる。大仕掛けの化物咄を披露するには、適切な上演スペースが不可欠である。そこで正蔵は文化十四年(1817年)に江戸の盛り場両国に寄席を取得し、日国中からやってくる旅行者たちを怖がらせ驚かせていた。旅行者は常に入れ替わるので、何度も繰り返し仕掛けを見て飽きる客層ではない。この点は化物咄にはもってこいだった。 正蔵に協力したのは人形師泉目吉である。目吉は幽

    泉目吉の幽霊蠟燭
    yajifun
    yajifun 2012/07/01
    泉目吉の幽霊蝋燭
  • 徳川夢声 - 「カリガリ博士」説明文句

    岩波同時代ライブラリー「活辯時代」御園京平+みそこコレクション著 1990 より、1920年代ドイツ表現主義を代表する映画「カリガリ博士」(原題:Das Kabinett des Doktor Caligari ローベルト・ヴィーネ監督)の日公開時つけられた徳川夢声による説明文句。 徳川夢声「カリガリ博士」 老人は棺のような箱に近づき、扉を左右に開く。なるほど、中には人間が一人、ほとんど棺一杯になって立っている。黒いタイツをピタリと身につけた痩せ細ったミイラみたいな男である。両眼をつぶっているから、死骸みたいな感じでもある。 老人は右手に持った短い銀色の棒を、ものものしく動かすと、セザレの両手がノロノロと肘のところから前に曲がって、棒の動きにつれて目をつむったまま、箱を出て前へ歩き出した。棒で止まれという形をすると、セザレは立ちどまり、曲げた両手を真直ぐにおろした。 「セザレ、セザレよ、

    yajifun
    yajifun 2012/02/14
    "天上天下唯我独尊頗る非常大博士"
  • 明治期、鹿児島の中学校における男色

    屋で買った「歴史民俗資料叢書第二期3 男色の民俗学」という男色資料のアンソロジーのようなを読んでいたら、巻頭に付された編者である礫川全次による解説の中で、「気違い部落周游紀行」で知られる鹿児島出身の作家、きだみのるの自伝的エッセイ「人生逃亡者の記録」より、 男色が当たり前のように存在した鹿児島県立一中時代の話が取り上げられていた。興味深いので孫引きになるが抜き書きしてみる。明治39年(1906年)ごろの話だそうだ。 興味深いのは、記述を信用するならば、学校が男色を問題と認識し禁止していたということと、単に男色というだけでなく強姦・輪姦が日常的に行われていたということ。ちなみに、男色が体格を悪くする云々という話はマスターベーション害悪論などと同じく、近代以降にあらわれた国家による青少年の性を管理しようという意思を感じさせる。 おまい〔私〕が一中にはいった年、尻突きの名で呼ばれる青年の射

    明治期、鹿児島の中学校における男色
    yajifun
    yajifun 2012/01/25
    きだみのる
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