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ブックマーク / hanshotfirstjp.hatenablog.com (8)

  • 中国人が初めて読んだ「和文」の文献は何だったのか - Cask Strength

    先日来、明の時代の貴族が『源氏物語』を読んだ云々というツイートが話題になりました(残念ながら、その元のツイートは削除されてしまいました)。 『源氏物語』が大陸に輸出され、それを明人が読んだとは到底考えられないのですが、そもそも前近代の中国人が読んだ最初の「和文」の典籍って何なんでしょうね。 日人の著作が海を渡り、大陸で受容されたという例は確かにあって、このあたりは王勇氏や田島公氏等の得意とする分野かと思うのですが、私も少し関心があって折に触れて調べていることです。その最も古く、かつ、最も有名な例は、聖徳太子撰(太子の作ではないという説もある)『勝鬘経義疏』が唐土にもたらされ、法雲寺の明空という僧がその末注『勝鬘経疏義私鈔』を作った(『大日仏教全書』所収。https://books.google.co.jp/books?id=5A7e1Tw-IAIC&hl=ja&pg=PA379#v=o

    中国人が初めて読んだ「和文」の文献は何だったのか - Cask Strength
    yajifun
    yajifun 2017/06/26
    “書史会要”
  • 「おもう」「思う」「想う」 - Cask Strength

    いつも楽しく拝見している毎日ことばですが、今回の「なぜ新聞は「想う」を使わないか」と題する記事には少し「おもう」ところがありました。 「想」はかつての当用漢字表でも今の常用漢字表でも「ソウ」の音読みだけが掲げられています。常用漢字表は2010年に改定され、「鑑」に「かんが(みる)」の訓が認められるなど一部音訓も拡大しましたが、「想う」については依然認められていません。 したがって、少なくとも学校では「想」に「おも」という読みは教えていないはずです。新聞は基的に義務教育で学ぶ範囲内の漢字を心がけていますから、「想う」は認めていないことになります。 (中略) 歴史的には「おもう」に「想う」の字を当てることが一般的になったのは、それほど昔からではないようです。大野晋さんの「古典基礎語辞典」には「おもふ」「おもい」などの項で膨大な用例が集められていますが、ほとんどが平仮名か「思」です。わずか1例

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  • 先送り語釈 - Cask Strength

    学生たちに日関係の辞典・事典のごくごく初歩的なことを手短に教えてくれないか、というご依頼。それは得意分野(?)ですし、こちらでお世話になっているお礼も兼ねて快諾して、実際に手にとってもらいながらいろいろと説明したり注意点を教えていたところ、図らずも久しぶりに「先送り語釈」を見つけました。 「先送り語釈」(私の造語)とは、2回以上語釈が先送りにされる例、要するにAの項目で明快な語釈が与えられずに「Bを参照せよ(Bに同じ)」とあり、Bを見ると「Cを参照せよ(Cに同じ)」と出てくるアレです。昔、面白がって探したことがあります。今となっては一例も思い出せませんですけれども。どこかにメモしているはずなので、それが出てくるといいな。 我が東洋の訓詁学には「互訓」という、「先送り」「たらい回し」ならぬ「循環」語釈といえる恐ろしいものがあって、「AはBなり」でBを見ると「BはAなり」と出てきたりして目を

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  • 梅堯臣「月蝕」詩――月蝕の際に鏡を叩くこと - Cask Strength

    この雲の様子だと首都圏で皆既月を見ることはほぼ絶望的なようです。無念・・・ 昨日話題になったことで、月蝕を題材にした和歌とか漢詩というのはあるのかと。ほとんどないという結論でいいと思うのですが、たとえば古いところでは、日蝕や月蝕が不吉だと詠んだ「十月之交」(毛詩・小雅)があって、あるいは詩のなかに月蝕を取り上げた作品はチラホラあるのですけど、月蝕そのものをぶっつけに主題にした作品は思いつきませんでした*1。 ところが、ついさきほど別の件で梅堯臣の詩集を見ていたら、「月蝕」と題する詩が目に飛び込んできまして。これはその珍しい例ということになります。梅堯臣らしいですね。 中国詩人選集二集〈第3巻〉梅堯臣―梅聖兪 (1962年) 作者: 吉川幸次郎,小川環樹出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1962/08/22メディア: 単行 クリック: 10回この商品を含むブログ (2件) を見る 有

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  • 「義を見てせざるは勇なきなり」はどこの国のことわざか ※追記があります - Cask Strength

    念のために最初に断っておきますが、鈴木都議のヤジは許容されるものではありません。その上で、の話です。 都議の「『義を見てせざるは勇無きなり。』日のことわざですけれども」という発言を批判している人たちに訊いてみたいことがあるんですよね。「ことわざ」の定義は何ですか?そして、「日のことわざ」の定義は何ですか?と。 今回は、たまたま、よく知られている中国古典の、たまたま、よく知られている一節が出てきたから、日固有の表現ではないということに気づいて批判しているだけではないですか。 はっきり言って「ことわざ」の定義は難しいです。藤井乙男ですら「これ極めて困難の業たり」(『諺の研究』講談社学術文庫、17頁)と言っています。私にも明解はありません。しかし、件に関わるところで結論を先に述べておきます。 「義を見て・・・」を、『論語』の一節の読み下し文を典拠として引用したものだととらえるのであれば、

    「義を見てせざるは勇なきなり」はどこの国のことわざか ※追記があります - Cask Strength
  • ピーターラビットを翻案した松川二郎「悪戯な小兎」(『日本農業雑誌』第2巻第3号) - Cask Strength

    http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140526-OYT1T50141.html 英国の女性絵作家で、人気絵「ピーターラビット」シリーズの作者、ビアトリクス・ポター(1866〜1943年)の少女時代の水彩画に、幕末の浮世絵師が手がけた絵手(えでほん)が描かれていることが分かった。 http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140526-OYT1T50141.htmlとのなじみの深さが今回改めて判明したわけですが、この「ピーターラビット」も意外と早く日に紹介されています。 松川二郎「悪戯な小兎」(『日農業雑誌』第2巻第3号、1906年11月5日)です。 エロプシーと言ふのを、人間の言葉になほしますれば、駈落者といふ意味で、モプシーは終始ふて口をして居る仏頂面、コツトンテールは木綿の尾、ペターは旋毛曲の我儘者と言ふ事

    ピーターラビットを翻案した松川二郎「悪戯な小兎」(『日本農業雑誌』第2巻第3号) - Cask Strength
  • 「漢字の本義」という魔物 - Cask Strength

    一昨年、昨年と講師を担当した某ワークショップが、今年度は先方の財政難によって開催されなくなったので、用意していた2、3の教育的な小ネタは来年以降に持ち越しに。 小ネタはたいてい「こういうことをしてはいけない」という注意を与えるものでして、今回ご紹介するのもそれです。つい最近刊行された熊倉浩靖氏『日語誕生の時代』(雄山閣、2014年)にも見いだされたので、御覧ください(多分、このネタ自体はお蔵入り)。 (216〜217頁) 古代東アジアの諸地域において、漢文の読み書きを学ぶというのは当時すでに成立していた古典の注釈――訓詁学――による解釈を受け入れることで成り立っていたのであって、原則として、漢字の運用は典籍の権威ある注や辞書の記述を離れてなされるものではなかったと考えるべきです。 壬申誓記石の最後にも「詩尚書礼伝倫得」(詩・尚書・礼・伝の倫を得)とありますが、こういった経典は伝統的な注釈

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  • 地震用心の歌 - Cask Strength

    (source: http://rarebook.ndl.go.jp/pre/servlet/pre_ni_koma.jsp;jsessionid=C2DD80AEF819845013FAB5E406357CEF ) 「地震用心の歌」は物名歌五首で構成される錦絵で、それぞれの歌に十個の物が詠み込まれている、大変技巧的な作品です。昔の避難所生活の様子も描かれていて興味深かったので、ご紹介いたします。 魚の名十/さはかしきなますふりふりうこひたら/はやくいなせよふかきささはら/鳥の名十/何ときもきしかなく日はうかりすな/藪へかけとひさきへすすめよ/虫の名十/あふなくもけかありしてふきいてだに/身にのみしみていとどかなしき/草の名十/ゆりやんでついにはよしときくとても/つたなきとこにしばしねむらん/木の名十/つきひすきやむかやと気を/もみきりぬまつももどかし地震なき日を 以下、濁点を付したり漢字

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