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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (11)

  • 牧野富太郎 牧野富太郎自叙伝 第一部 牧野富太郎自叙伝

  • 寺田寅彦 科学者とあたま

    私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。 「科学者になるには『あたま』がよくなくてはいけない」これは普通世人の口にする一つの命題である。これはある意味ではほんとうだと思われる。しかし、一方でまた「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」という命題も、ある意味ではやはりほんとうである。そうしてこの後のほうの命題は、それを指摘し解説する人が比較的に少数である。 この一見相反する二つの命題は実は一つのものの互いに対立し共存する二つの半面を表現するものである。この見かけ上のパラドックスは、実は「あたま」という言葉の内容に関する定義の曖昧(あいまい)不鮮明から生まれることはもちろんである。 論理の連鎖のただ一つの輪をも取り失わないように、また混乱の中に部分と全体との関係を見失わないようにするためには、正確でかつ緻密(ちみつ)な頭脳を要する。紛糾した可能性の岐路に立ったときに、

    yajifun
    yajifun 2021/02/25
    “頭のいい人は批評家に適するが行為の人にはなりにくい。すべての行為には危険が伴なうからである。”
  • 伊藤永之介 押しかけ女房

    yajifun
    yajifun 2020/11/15
    警察日記(1955)をアマプラで見たので。現代では成立し得ないラブストーリー。
  • 尾崎紅葉 鬼桃太郎

  • アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway 石波杏訳 Kyo Ishinami 老人と海 THE OLD MAN AND THE SEA

    老人と海 THE OLD MAN AND THE SEA アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway 石波杏訳 Kyo Ishinami 彼は老いていた。小さな船でメキシコ湾流に漕ぎ出し、独りで漁をしていた。一匹も釣れない日が、既に八四日も続いていた。最初の四〇日は少年と一緒だった。しかし、獲物の無いままに四〇日が過ぎると、少年に両親が告げた。あの老人はもう完全に「サラオ」なんだよ、と。サラオとは、すっかり運に見放されたということだ。少年は両親の言いつけ通りに別のボートに乗り換え、一週間で三匹も立派な魚を釣り上げた。老人が毎日空っぽの船で帰ってくるのを見るたびに、少年の心は痛んだ。彼はいつも老人を迎えに行って、巻いたロープ、手鉤(ギャフ)、銛(もり)、帆を巻きつけたマストなどを運ぶ手伝いをするのだった。粉袋で継ぎあてされた帆は、巻き上げられて、永遠の敗北を示す旗印のように

    yajifun
    yajifun 2017/05/13
    “『老人と海』を読む最初で最後の機会が拙訳であるような読者が損をすることのないよう、翻訳には全力を尽くしました。”
  • 『圓朝全集』は誰のものか

    『圓朝全集』は誰のものか 1999年6月30日作成 2005年10月16日修正 富田倫生 目次 【報告書作成の狙い】 【発端】 【調査の内容】 1 没年確認の流れ ●基的な資料での確認 ●著書からの調査 ●その他の手がかり 2 団体名義か個人名義か 3 『圓朝全集』の校訂をどうとらえるか 【結論】 【今後の検討課題】 1 著作権者、著作権継承者〈たずね人〉ページの新設 2 裁定制度の利用 【報告書作成の狙い】 幕末から明治を生きた落語家、三遊亭圓朝は、書き言葉の今のあり方に、影響を及ぼしている。 その後の文学、さらにより広く、文章一般のスタイルにも深く関わった彼の仕事の全体像は、大正の終わりから昭和のはじめにかけて刊行された、春陽堂版の『圓朝全集』にうかがえる。 書物を通じて圓朝の作品に触れた人は、これが彼の噺をうつしたものであることに、あらためて驚かされるだろう。 大きな物語の骨組

  • 水上瀧太郎 貝殼追放 新聞記者を憎むの記

    大正五年秋十月。 八月の中旬に英京倫敦を出た吾々の船は、南亞弗利加の喜望峯をり、印度洋を越えて、二ヶ月の愉快な航海の終りに、日晴といふ言葉が最も適確にその色彩と心持とを云ひ現す眞青な空を仰いで、靜な海を船そのものも嬉しさうに進んで行く。左舷には近々と故郷の山々が懷を開いて迎へてゐる。自分は曉から甲板に出て、生れた國の日光を浴びながら、足掛け五年の間海外留學の爲に遠ざかつた父母の家を明瞭に想ひ浮べて欣喜した。 勿論自分は後にして來た亞米利加、英吉利、佛蘭西に樂しく過した春秋を囘顧して、恐らくは二度とは行かれないそれらの國に、強い悔恨と執着を殘したことは事實であつた。けれども、過ぎ去つた日よりも來るべき日は、より強く自分の心を捕へてゐた。常に晴れわたる五月の青空の心を持ち、唇を噛む事を知らずに、温い人の情愛(なさけ)に取圍まれて暮す世界を描いてゐた。而してその光明と希望に滿ちた世界を、形に現

    yajifun
    yajifun 2011/10/07
    "馬鹿馬鹿馬鹿ッ。"
  • 寺田寅彦 怪異考

    物理学の学徒としての自分は、日常普通に身辺に起こる自然現象に不思議を感ずる事は多いが、古来のいわゆる「怪異」なるものの存在を信ずることはできない。しかし昔からわれわれの祖先が多くの「怪異」に遭遇しそれを「目撃」して来たという人事的現象としての「事実」を否定するものではない。われわれの役目はただそれらの怪異現象の記録を現代科学上の語彙(ごい)を借りて翻訳するだけの事でなければならない。この仕事はしかしはなはだ困難なものである。錯覚や誇張さらに転訛(てんか)のレンズによってはなはだしくゆがめられた影像からその体を言い当てなければならない。それを的確に成効しうるためにはそのレンズに関する方則を正確に知らなければならない、のみならず、またその個々の場合における決定条件として多様の因子を逐一に明らかにしなければならない。この前者の方則については心理学のほうから若干の根拠は供給されるとしても、後者に

    yajifun
    yajifun 2011/09/09
    孕のジャン
  • 作家別作品リスト:坂本 竜馬

    公開中の作品 海援隊約規 (新字旧仮名、作品ID:51377) 坂竜馬手記 イロハ丸航海日記(新字旧仮名、作品ID:52174) 坂竜馬手帳摘要 (新字旧仮名、作品ID:52148) 新官制擬定書 慶応三年十月十六日(新字旧仮名、作品ID:52143) 新政府綱領八策 慶応三年十一月(新字旧仮名、作品ID:52144) 船中八策 (新字旧仮名、作品ID:4254) 船中八策 慶応三年六月十五日(新字旧仮名、作品ID:52155) 続 手紙 01 清井権二郎あて(推定、安政年間、五月二十五日)(新字旧仮名、作品ID:52127) 続 手紙 02 坂乙女、春猪あて(推定、文久三年秋頃)(新字旧仮名、作品ID:52128) 続 手紙 03 宛先き、年未詳(推定、元治元年九月十五日、勝海舟あて)(新字旧仮名、作品ID:52129) 続 手紙 04 池内蔵太あて(推定、慶応元年夏、二十二日)(

  • 南方熊楠 十二支考 田原藤太竜宮入りの話

  • 青空文庫 - 小栗虫太郎 黒死館殺人事件

    [#改ページ] 聖(セント)アレキセイ寺院の殺人事件に法水(のりみず)が解決を公表しなかったので、そろそろ迷宮入りの噂(うわさ)が立ちはじめた十日目のこと、その日から捜査関係の主脳部は、ラザレフ殺害者の追求を放棄しなければならなくなった。と云うのは、四百年の昔から纏綿(てんめん)としていて、臼杵耶蘇会神学林(うすきジェスイットセミナリオ)以来の神聖家族と云われる降矢木(ふりやぎ)の館に、突如真黒い風みたいな毒殺者の彷徨(ほうこう)が始まったからであった。その、通称黒死館と呼ばれる降矢木の館には、いつか必ずこういう不思議な恐怖が起らずにはいまいと噂されていた。勿論そういう臆測を生むについては、ボスフォラス以東にただ一つしかないと云われる降矢木家の建物が、明らかに重大な理由の一つとなっているのだった。その豪壮を極めたケルト・ルネサンス式の城館(シャトウ)を見慣れた今日でさえも、尖塔や櫓楼の量線

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