聖武天皇の御代、人々は口々に謡ったという。 汝をぞ嫁に欲しと誰、庵知の此方の万の子 南无南无や、仙酒も石も、持ちすすり、法申し、山の知識、余しに余しに ナレヲゾヨメニ ホシトタレ アムチノコムチノヨロズノコ ナムナムヤ ヒジリビト サカモ サカモ モチススリ ノリモウシ ヤマノチシキ アマシニ アマシニ…… ***** 大和国十市郡庵知(あむち)の村の東に、裕福な家がありました。 姓を鏡作造(かがみつくりのみやつこ)。その一人娘に万(よろず)の子という、見目麗しい女がおりました。未だ嫁がず、男を知らない女でございます。 家柄の良い男が求婚したが、断り続けて年月は過ぎていきました。 ところが、ある男が結婚を申し込み、幾度と無く様々な品物を送って寄越しました。 色鮮やかな絹布が車三台。娘はそれを見て心を奪われ、心を許し、男の言葉に従って白い手を靡かせ男を閨に招き入れました。